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ホロコーストを疑っている人のために

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かつてナチスドイツが行ったホロコーストを「なかった」という人たちがいます。それらの主張の代表的なものを、ある海外サイトを参考に論破する試みです。
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#アインザッツグルッペン

アインザッツグルッペンの証拠:作戦状況報告書ソ連の内容紹介(2)

追記:紹介している「作戦状況報告書ソ連」の内容は、示しているリンク先の英文テキストから日本語訳にしていますが、元々はイツァーク・アラドらによる『アインザッツグルッペン報告書』から必要部分を手作業で転記入力したもののようで、若干の入力ミス的な誤りを含んでいます。文章にはほぼ誤りはないようで、大意としては問題はないと思いますが、厳密な議論をする場合は、前回記事で紹介してあるアーロルゼン・アーカイブズのサイトなどにある元文書の画像からドイツ語をGoogleレンズなどで抜き出して、翻

アインザッツグルッペンの証拠:作戦状況報告書ソ連の内容紹介(1)

アインザッツグルッペンに関する証拠となる作戦状況報告書ソ連の内容を、この記事では、日本語訳して紹介したいと思います。非常に記事が長くなるため2回に分けます。この作戦状況報告書については、以下で詳しく解説されています。 米軍がドイツから捕獲した作戦状況報告書ソ連(OSR:OPERATIONAL SITUATION REPORT USSR)は、アメリカ国立公文書館(NARA)が所有していたらしいのですが、電子化されているのかどうかもわかりません(どこをどう調べたらいいのかもよく

アインザッツグルッペンの証拠:アインザッツグルッペンの報告書について。

ホロコーストは、大雑把に分けると、ユダヤ人犠牲者600万人のうち、その約半数が絶滅収容所で殺され、ゲットーなどで餓死や病死で約100万人が犠牲となり、これも大雑把に50万人程度が強制収容所で殺され、残るざっと100〜150万人程度が、ドイツが支配下に置いた元ソ連地域のユダヤ人を現地で銃殺やガス車などによって殺した、とされます(註:これらの数値は私自身がざっくり認識しているだけのものであり、広く認識されているというようなものではありません)。 このソ連地域でユダヤ人殺戮の主体

1005作戦/ゾンダーコマンド1005/Sonderkommando 1005/Aktion 1005

1005作戦とは、ナチスドイツが東部地域で行った大量虐殺の埋葬遺体を掘り起こして、焼却処分する作戦のことです。この1005作戦については、一般世間的にはあまり知られていないようですが、大量埋葬遺体を掘り起こして焼却処分していたという史実は否定派にとっては到底認め難いものです。何故なら、否定派の多くは大量埋葬墓など存在しない、的なことを主張しているからです。 否定派にとって都合のいいことは、この作戦が非常に極秘裏に行われていたことであり、かつ、文書証拠が少なく(実は少ないとは

ホロコーストの否定とラインハルト作戦。MGKの偽りに対する批判(7)

トプ画の写真は、今回の翻訳に登場するブレスト・ゲットーの跡地に今も残る当時の建物です。 2019年には、ブレストにある建設現場から、当時のものであると考えられる遺骨も発見されています。 さて、今回翻訳しているシリーズは、マットーニョ、グラーフ、クエスの三人(MGK)によるラインハルト作戦に関するホロコースト否定論の著書に対する反論が目的で書かれたものですが、元々のMGKによる著書を参照しないことには、何が書かれているのかがわかりにくいかもしれません。 私自身もまるで理解

バビ・ヤール渓谷の虐殺に関する追加資料(2)

前にも述べたと思いますが、バビ・ヤール渓谷の33,771人のユダヤ人についての虐殺(1941年9月29日、30日)に関連した写真は、基本的にはっきりしているものとしてはドイツ軍第六軍宣伝中隊637部隊のヨハネス・へーレの写真があります。その一部については前回の追加資料記事で紹介されています。しかし、例えば「Babi Yar」なんかでググったりすると、それ以外の写真が表示される事がしばしばあります。例えばこちらの記事中にあるリエパヤの写真がよく混同されているようです。 しかし

バビ・ヤール渓谷の虐殺に関する追加資料(1)

今回は、前回の続きとしてソビボルの否定論にしようかなと思ったのですが、なかなか探し出す事ができず(否定論だけじゃなく、反否定論とセットでないといまのところ理解が難しいので)、今回はバビ・ヤールの追加資料を紹介したいと思います。 バビ・ヤールについては以前に、翻訳しておりますが、これだけで十分なのですけど、実際には証拠資料はもっとあるそうなのです。バビ・ヤールについては、自称航空写真専門家の失踪したジョン・ボールがアホなことをやって、アンチ否定派にあっさりバレてしまい、ジョン

ソ連のホロコーストでは誰が加害者だったのか?(3)

今回のトプ画写真もソ連のホロコーストでのものですが、これもまたよく間違えられる写真の一つです。確か、私がネットで見た中ではバビ・ヤールのものと誤って紹介されていましたが、これはウクライナのヴォルィーニ州(今はもうないらしい)、あるいはリヴノ州にあるミゾックスという名の集落にある谷での虐殺光景(1942年10月14日)を捉えた写真だそうです。これまたWikipediaで説明されてます。英語版Wikipedia恐るべしですね。 で、ソ連ホロコースト加害者は誰か?シリーズの続きの

ホロコーストのたった一枚の写真が、ウクライナ・ミロポルで起きた虐殺の真相を暴き出す。

今回もまたトプ画写真で先ず話題提供。流石にこの画像をご存知の方はいないんじゃないでしょうか? こちらのサイトの写真です。 こうした現地射殺の場面を写した写真は、前回までにいくつか紹介しているものの、流石にこれだけの至近距離の撮影で、撃った瞬間の写真は珍しいと思われます。 さて今回は、この記事を全訳紹介したいと思います。記事は、この写真についてなんと10年もかけて調査をした、アメリカのホロコースト記念館で働く歴史家のウェンディ・ロウアーの著書『THE RAVINE』からの引

ソ連のホロコーストでは誰が加害者だったのか?(2)

今回もトプ画写真を、さまざまな展示、書籍やネットに広く出回っている有名な写真にしていますが、これはウクライナでの処刑風景だそうです。てっきり、数回前に翻訳したラトビアのリエパヤなのかな? と思っていましたが違いましたね。この写真の解説もWikipediaにあります。 「ヴィニツァの最後のユダヤ人」は、ウクライナのホロコースト時代に撮影された写真で、ヴィニツァ(ヴィニーツィア)の町の近くにいるユダヤ人男性が、ナチス親衛隊の機動決死隊であるアインザッツグルッペDのメンバーに射殺

ソ連のホロコーストでは誰が加害者だったのか?(1)

トプ画の写真も、この記事の写真と同様、いや頻度ではそれらを遥かに上回る使用率でよく見かけるアインザッツグルッペンの虐殺風景とされる写真です。 この写真についても、英語版Wikipediaに解説があります。冒頭だけ翻訳します。 イワンホロドのアインザッツグルッペンの写真は、ホロコーストのイメージで、子供を体でかばおうとしている女性にライフルを向ける兵士の姿が写っている。1942年、ウクライナのイワンホロド近郊でアインザッツグルッペンの決死隊がユダヤ人を殺害した様子を撮影した

ラトビアのホロコースト(2):ルンブラの虐殺

タイトルを変えようかなと思いましたが、そのままにしておきます。というのは二つ理由があって、①ラトビアがあるなら他の国も全てシリーズ化する気があるのか?(ないです^^;)、②ラトビアのホロコーストを隈なく記述する気はあるのか?(ないです^^;)、と自己反省するからです。 ホロコーストの全てを知ることができたらそりゃ理想的ですが、学者でも専門家でもないただの素人がそんな畏れ多いこと、できるわけがありません。あくまでも、自分が記事にしたいと思ったことだけを恣意的に選択して、翻訳し

ラトビアのホロコースト(1):リエパヤの虐殺

唐突ですが、ホロコーストに興味があって私の記事を何度か読んでいる人ならば、以下の動画はご存知の方も多いのではないでしょうか? この映像は現在ではネット上のかなり多くの場所で見ることができるのですが、一体どこでいつ撮られたものかが示されることがほとんどないので、こんな記事を延々と作成し続けているものですから、個人的に気になって仕方がありませんでした。しかし、動画映像とは厄介なものでして、静止画なら類似画像検索という手段もあるのですが、動画ではそれがなかなか出来ません。 です

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(16):ガス殺の遺体があった証拠。

まさか、あのアルバレス・シリーズに追加されていた記事があったとは知りませんでした。最終だと思っていた第十一部の目次にも載ってません。追加したのなら目次くらい更新して欲しいぞ 笑。でも更新が今年の2020年5月なので前回から三年も空いてるのですね。 短いので早速翻訳しておきます。 ▼翻訳開始▼ ガスバンに関するアルバレスの反論 重要な証拠 ガスバンに関するアルバレスの反論 第一部:ディーゼル問題がいまだに無関係な理由(更新1、2) 第二部:プロデューサーガス 第三部:フォ