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ホロコーストを疑っている人のために

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かつてナチスドイツが行ったホロコーストを「なかった」という人たちがいます。それらの主張の代表的なものを、ある海外サイトを参考に論破する試みです。
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2022年1月の記事一覧

ホロコーストの否定とラインハルト作戦。MGKの偽りに対する批判(7)

トプ画の写真は、今回の翻訳に登場するブレスト・ゲットーの跡地に今も残る当時の建物です。 2019年には、ブレストにある建設現場から、当時のものであると考えられる遺骨も発見されています。 さて、今回翻訳しているシリーズは、マットーニョ、グラーフ、クエスの三人(MGK)によるラインハルト作戦に関するホロコースト否定論の著書に対する反論が目的で書かれたものですが、元々のMGKによる著書を参照しないことには、何が書かれているのかがわかりにくいかもしれません。 私自身もまるで理解

ヴァンゼー議定書/ヴァンゼー議事録/ヴァンゼー・プロトコル/ヴァンゼー会議の記録の日本語版

今回は、1942年1月20日に開催されたとされる、ヴァンゼー会議議事録の翻訳です。タイトルが複数表記になっているのは、いろんな呼び方があるみたいだからで、検索でできるだけ引っかかるようにするためですw あまり真剣には探してはいなかったのですけれど、ともあれネット上にはヴァンゼー議定書のテキストは私自身は見つけられていませんでした。どうして真剣に探していなかったかというと、ヴァンゼー議定書がホロコーストの証拠文書として重要な意味を持つのは、一義的には以下の箇所くらいだからです

ホロコーストの否定とラインハルト作戦。MGKの偽りに対する批判(6)

上のトプ画の写真は、マールィ・トロステネツ収容所と呼ばれた場所の写真です。場所は旧ソ連領土であったベラルーシで、最初はソ連兵捕虜を収容するための捕虜収容所でしたが、その後ユダヤ人に対する絶滅収容所となりました。ここに1942年の間、オーストリア、ドイツ、オランダ、ポーランド、ボヘミア・モラヴィア保護国からのユダヤ人が移送され、実数はよく分かっていないようですが概ね6万〜10万、説によっては20万人以上のユダヤ人が銃殺やガスバンで殺されたとされています。元々は、ソ連がコルホーズ

ホロコーストの否定とラインハルト作戦。MGKの偽りに対する批判(5)

ナチスドイツの全体的な方針、あるいはヒトラーの意図の中で、ユダヤ人の物理的絶滅政策がどのようにして推し進められ、決定していったのかについては、多数の歴史家・研究者によって研究が進められているものであり、それこそ歴史をどう読み解くかという大きなテーマの上で成り立つものです。 従って、それには多数の当時の文書記録や、どのような出来事が起きていたのかという事実、あるいはまた戦後の裁判での様々な証言など、それらの資料全体から読み解いていく必要があり、否定派のように不味い証拠は一切認