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母に抱きついた話

 今日、母の誕生日を祝うために、母をたたえ、母を豪華で特別な場所へと連れて行って、その日は王女様にして誕生パーティーを開く、幸せな夢を見ました。
 その夢を見て、起きた後母の現実を考え、いなくなってしまう前に、私は母に甘えて、抱きつきたいと思いました。母の愛を覚えて生きていくために。

 私の母は完治しない病にかかっています。しかし聞くところによると、頑張れば想像より長く生きることが出来てしまうそうです。それ故に本人はつらく、厳しい道のりを歩いて行かなければならないことを拝聴いたしました。

 普通の人よりも遅いおはようを私がして、ご飯を食べて、母がお買い物から帰ってくるのを待ち、帰ってきたとき、私はお辞儀をして「おかえりなさい」といいました。私は両親に対し、特に母に対してもだいたい必要以上に「ありがとう」、そして礼儀と丁寧語を使います。

 そうして、母がお荷物の整理をし終わった後、父がリビングにお荷物を置かれた後、私は、上記のことを母に伝えた上で、母に抱きつかせていただきました。母の全身を包み込ませていただきました。
 背丈は私の方がずっと高い関係上、母の首に少し負担がかかったようで、抱き合う姿勢を考えながら、背中をさすっていただきました。そして、母と言葉を交わし、思ったよりも長くいてくれるかもしれない分、本人はつらい旨を話していただき、父とのコミュニケーションに齟齬が発生し始めたかもしれないという事も聞き、私は「そうですね」、「そう感じます」となぜか丁寧語で相づちを打ち、少しの間、自分の背中をさすっていただきました。

 私は今、人の感情を受け取る力が、とてつもなく弱いです。
 自分の感情を感じ取る力と、理解する力も、少しでも風が吹けば消える火のように弱いので、それを強く抑え込んでいるかもしれない理性を使って、どうにか気をつけて生きております。
 なので、抱き合っていたときの温もり以外の感情は、その時にあまり交わせなかったかもしれません。私が理性で理解した方法を総動員して、「傾聴する」という選択を取った程度で、感じ取ることまでは出来ませんでした。

 けれども、確かに温もりを覚えさせていただきました。
 人と人が触れあうときの体温を、覚えさせていただきました。
 その温かさが示している意味を、改めて覚えさせていただきました。

 とても嬉しかったです。

 私の心は理性が支配し、人とご対面させていただく時、言葉のやりとりをさせていただくとき、理性でおもんぱかり、理性で応える方法を探り、理性で共感したフリをして、どうにかお相手に納得していただこうとしています。
 本能的な感情は、あまりに強いストレスを受けたときに、かんしゃくを起こして泣き出して、私の身体と脳に、立ち上がれないほどの強い負担を与えることぐらいしか意思を示してはくれず、そうしてまた感情は寝たきりになり、呼びかけてもお返事をくださいません。

 だから今は、母がくれた無償の愛を、理性で理解し、理性で解釈し、体温を交わしたという唯一の手がかりで、推測していくしか出来ません。

 けれど、あの瞬間、母は私を思いやってくださりました。
 確かに、私の全てを、受け入れ、受け止めてくださいました。

 これからどれだけ私が生きることが出来るかは分かりません。

 けれど、この事実を、この体験を、交わした温もりがくれた光を、忘れないで歩んでいきたいと思います。

 お母さん、わがままを聞いてくださり、ありがとうございます。

 あなたがいつも見て、私にも伝えてくれたアニメの脚本を書いて、あなたに見せるという親孝行は、残念ながら出来ないかもしれません。

 けれども、私は、確かにあなたを愛しております。

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