実はレベル低い?高い? カナダの「教育レベル」の話 【学校教育の「究極の目的」とは】
「カナダって教育レベルが高そう」
「先進国だし、北米だし、英語ネイティブの国だし、教育レベルは当然高いでしょう!」
そんな風に考えたことはないでしょうか。
また、
「この間、留学セミナーで『教育レベル高い』って聞いた!」
「PISAでのランキングも、毎回高いよね」
という方もいるかもしれません。
「カナダの教育レベルは高い」という一節をよく耳にするのですが(特に日本語でカナダ留学を紹介している文脈で)、私としては「判で押したようなフレーズだなあ」と感じてしまうんですよね。どこかからまるっと持ってきたような。
(「教育レベル」という言葉自体が、そもそも判で押した感あり)
あなたはどう感じますか?
いまカナダ留学を目指している人、
すでにカナダ留学を始めて、この教育システムの中に身を置き始めた人、
カナダで教育を受けて何年も経っている人、
カナダ留学を当事者としてではなく傍観者として見ている人・・・
それぞれの立場で(もちろん個々人の考え方によっても)、見え方や評価は変わってくると思います。
今日は、インターネットで検索すると出てくる「カナダの教育レベルは高い」という一節について思うところを、海外教育6年目の私が4000字超で語ります。
小学校:「Empathy」の涵養
いくつかのタイプのカナダの小学校を知っていますが、共通していると感じるのは「Empathy(共感)」の育成が重要視されている、ということです。
Empathyとは?
「Empathy(共感)」とは単なる「思いやり」とは少し異なり、「他者の感情や経験を自分自身のことのように理解し、感じ取る能力」のことを指します。
つまり、相手がどのように感じているのかを深く想像し、自分の視点を一旦脇に置いて、その人の立場に立って共感することがその要点です。
相手の感情を理解しようとする行動が重要で、単に感情を共有するだけでなく、相手の視点を持って状況や感情を把握することを意味としてもっている言葉です。
Sympathy(シンパシー)とは違うの?
「エンパシー」に似た言葉として「シンパシー(sympathy)」というものがあります。こちらはカタカナ言葉として日本でも意味が通じますね。
「シンパシー」も「同情・共感」という意味なのですが、「エンパシー(empathy)」と「シンパシー(sympathy)」は実は大きく違います。
「sympathy(シンパシー)」 は、相手の感情に対して同情すること、つまり「かわいそうだと思う」「気の毒だと感じる」という感覚に基づいています。つまり、他者の苦しみや悲しみを理解して心を寄せるものの、自分自身がその感情を直接的に感じるものではありません。
まとめると、
ということができます。
カナダの小学校の中に入ると見えるもの
小学校の建物の内部に入ると、いろいろなところに標語のようなものを見てとることができます。
廊下の壁に展示されている子どもたちのアート作品にもいろいろなテーマが垣間見えるのですが、そうしたものを見渡したり、校長先生から毎週届く学校便りを読んだり、学校の集会に出席したり、イベントや課外授業のボランティアとして参加してみると、見えてくるのは「empathy(エンパシー)」の育成に重きを置かれていることだというのが、私の実感です。
多文化主義の反映
その要因は、と考えると、カナダは世界有数の移民国家であるというバックグラウンドです。
そのため、小学校の段階から、異なる文化や価値観は常に身近にあるものであり、それを尊重し、理解を深める機会が多く設けられています。
同質性を求められない
みんな違う(髪や目・肌の色、家族構成、ルーツをもつ国)が違うことが前提であるため、同質性を求められることはありません。
「そもそも違う」のが当たり前なので、「みんなはどうしているの?」という感性は見受けられません。
実話:「比較級」で語らなくなった娘
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