アガサ・クリスティー『ベツレヘムの星 Star Over Bethlehem』(1965)紹介と感想
アガサ・クリスティー/中村能三 訳『ベツレヘムの星』早川書房, 2003
概要
1965年にアガサ・クリスティー・マローワン名義で出版された本で、5本の詩と6本の短編から成っています。
聖書の理解が試される場面も多いですが、短編は単独で理解が不可能と言うものではなく、知識が無くても楽しむことができると思います(「島」は少し難しいかもしれません)。
収録作と短編あらすじ
ごあいさつ(詩)
ベツレヘムの星(短編)
クリスマスの花束(詩)
いたずらロバ(短編)
黄金、乳香、没薬(詩)
水上バス(短編)
夕べの涼しいころ(短編)
空のジェニー(詩)
いと高き昇進(短編)
神の聖者(詩)
島(短編)
ベツレヘムの星
生れたばかりの嬰児に微笑んでいたマリアは、戸口に神々しい天使が立っているのに気づいた。
天使は、マリアに嬰児の未来に待ち受ける運命を見せ、ある決断を委ねる。
悩んだ末にマリアは、一つの答えを導き出す。
いたずらロバ
いたずらが好きな小さいロバは、次々と持ち主が変わっていった。
酷い飼い主のもとから逃げ出したロバは、通りがかりの隊商のなかにまぎれこみ、ある街の厩へ到着した。
自分は先のことや、昔のことを観ることができると、他の動物へ自慢を始めるロバ。
ある日、ヨセフ達に連れられ旅へ出る事になったロバは……。
水上バス
ミセス・ハーグリーヴズは人間が嫌いだった。
表面上では人に対して優しく振る舞うように努力していたが、どうしても好きになれなかった。
ある日、人との交流に疲れたミセス・ハーグリーヴズは、一人になるために水上バスに乗ることにした。
夕べの涼しいころ
グリアスン夫人は、教会で「あの子を救いたまえ!」と激しく神に祈った。
夫であるグリアスン少佐に「祈りすぎるよ」と言われても、自分の行為を信じて疑わなかった。
家に帰ると、息子のアランが見た事もない生き物に名前をつけたと嬉しそうに見せてきた。
「友だちとお話をしてたんだ。動物の名前をつけるのを手伝ってくれるんだよ」と楽しそうに話しながら。
いと高き昇進
2000年1月1日の早朝、十四人の聖人は<聖人の国>にある大審院を目指して歩いていた。
今日は千年に一度の《一千年祭》の日だった。
大審院へ着いた十四人は、記録天使に対して、ある願いを口にした。
島
荒涼とした景色が広がる島に、母・マリアと息子・ヨハネが暮らしていた。
マリアは献身的にヨハネを世話をしていた。
そして、とうとうあの時がきたのだった。
感想
毎年12月には何かクリスマスに関係するコンテンツに触れることにしています。今年は『ベツレヘムの星』を読みたくなったので、何度目か分からない再読をすることにしました。
ちなみに筆者は、むかし聖書を読もうと思ったけど途中で挫折したという人間なので、キリスト教と聖書については日本で普通に生きて触れられる程度の理解しかなく、あくまで一つの物語として触れた感想になります。
また、詩についても門外漢であり、「本の雰囲気にあってたなぁ」位しか言えないので、短編に絞った感想です。
寓話的な展開の話が多いですが、一つ一つの話は雰囲気がバラけるように構成されているため、飽きずに最後まで読む事ができます。
普通の小説のような構成の話や、ユーモア系の話が好きなので、「水上バス」や「いと高き昇進」が昔からお気に入りです。
今回の再読では、以前は理解が難しい気がして苦手意識があった「島」を読んで、マリアという女性が、想い出を大切に生きている普通の善き人間なのだと解ったのが嬉しかったです。
また、いくつか物語や詩に関係した中村銀子さんによる挿絵が入っています。こちらも雰囲気が良く、お気に入りです。特にナラコットが聖人を見て驚いてる場面の絵が特に好きです。
筆者のように聖書の知識が無くても楽しめることは間違いないですが、物語の背景や小ネタを知っているとより楽しめることは間違いないと思うので、もしよければ以下も参考にしてください。
以下、個別の紹介と感想です。
ベツレヘムの星
ルシファーの甘言ではなく、自分の目で見て考えたものを信じ、しっかりルシファーに自分の言葉を伝えることができるマリアの姿は、人として大切なものを教えてくれます。人が話すことを無闇に信じる事の危うさは、クリスティーミステリーの世界ではお馴染みのモチーフでもあります。
最後、ルシファーが地獄の深淵目指して堕ちていく姿を見て、神からのお告げだと誤解する占星学者の姿も、何かを安易に信じることの危険性を強調しています。
わずか16ページながら、ミステリーモチーフを使用した短編として面白かったです。
いたずらロバ
二作目は一転して、ロバ視点で展開される童話的なお話です。
過去や未来を知ることより、「今」をしっかり生きる事の方が大切であることが描かれていました。
水上バス
今度はメアリ・ウェストマコットらしい物語が展開されます。
昔から、ミセス・ハーグリーヴズの人間嫌いに共感をしていました。
この、「人なんて大嫌い!」と声高に叫ぶわけじゃなく、「なんか苦手だし、できれば触れたくないけど、完全に離れたい訳でもない」位の感じがとても理解できます。
話としては、物事は自分の面からだけではなく、相手の立場で考えてみる事も大切であり、そうすることで相手の為と言うだけでなく、自分も楽になることができるということが描かれていました。
ミセス・ハーグリーヴズの凄さは、今回の奇跡は一時的なものだと理解した上で、今後自分が歩むべき道を見つける事に労力を惜しまなさそうなところだと思います。
夕べの涼しいころ
あるがままに受け入れる事の難しさ、その大切さが描かれていました。
ジャネットがアランの救いを祈っているのは、本当のところは自分の心の救済を願っているだけです。
それは、アランのことを思っていないということではありませんが、アランを理解しようとしていないから起こっています。
それは、アランに何の期待もしていない少佐も同じです。
今のままでは、どれだけ神に祈っても、両親のどちらにも心の救いは得られないでしょう。大切なのは、自分の狭い常識の殻から少し外に出て、いま目の前にいるアランと向き合うことなのですから。
個人的には、このまま神様と触れ合うことがアランにとって良いとは思えないので、今後、両親がアランという個人としっかり向き合えると良いと思っています。
いと高き昇進
この本で最も未来を描いている物語は、聖人達が現代に蘇ったら何をするかの思考実験をユニークに描いていました。
聖人達の真面目ながらも、どこかユーモラスな感じが好きな話です。
いかにも奇跡という行いを披露したり、「代議士になるしかない」と現実的な方法を考えたり、短い中にそれぞれの個性がでていました。
特に好きな聖人は、主役のユーモア短編連作を読んでみたい「驚きの聖クリスチナ」、海辺で魚に説教したという伝説が印象に残る「聖アントニウス」、鮭を海にはなす優しさが印象に残る「聖スコイティン」になります。
島
ベツレヘムの星から始まった物語は、マリアの最後で幕を閉じます。
パトモス島で、母と息子として暮らしているマリアとヨハネの様子を描いています。
啓示を受ける直前のヨハネと対比させることで、マリアが、平凡な幸せを大切にしている一人の善き人間なのだと描いていました。
カナの婚礼のことを思い出し、迎えに来たイエスにも覚えてるか聞くくらいマリアにとって大切な思い出なのだと理解できます。
その最後も、「イエス・キリスト」という存在ではなく、あくまで一人の息子に再会できた母親としての喜びを描いており良かったです。
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