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メグレ警視シリーズ長編72『メグレと老婦人の謎 La folle de Maigret』(1970)

ジョルジュ・シムノン/長島良三・訳『メグレと老婦人の謎』河出書房新社, 2001


あらすじ

生死に関わる事があるためメグレに会いたいと、レオンティーヌ・アントワーヌという老婦人が司法警察局を訪ねてきた。
重要とは思わなかったメグレは、ラポワントに対応をしてもらう。
老婦人によると、二週間に少なくとも五度、部屋の家具類の位置が動いており、外出中も尾けられているとのことだった。
このような訴えは日常的に多いこともあり、メグレもラポワントも本気に取り合わなかった。
その日の仕事終わり、待ち伏せしていた老婦人と話しているうちに、メグレは彼女の話を信じたくなり、早いうちに自宅を訪ねる事を約束する。
しかし、まだ真剣には考えられないため、訪問を伸ばしていると、二日後、老婦人が自宅で殺されているのが発見された。
メグレは、犯人は家の中を物色中に老婦人と鉢合わせをしたのだろうと考え、捜査を始める。

本の紹介と感想

事件は、すぐに新聞でも中面に数行掲載される程度、ラジオでも報道されなくなるような小さな事件でした。
しかし、メグレもラポワントも自責の念を感じながら、一心に捜査を行っていきます。

ページ数が一般的な第3期メグレより少な目なこと(文庫本で208ページ)もあるのか、人物描写の深まりなどで物足りなさもありますが、レギュラーキャラクターが多く出ていたり、夫人との描写も多いなど、リラックスしながら読める一冊としては悪くありませんでした。

また、事件発生から解決まで、一貫してメグレが分かりやすく捜査を行っています。
後半には容疑者を追ってツーロンまで行き、昔馴染みのマレラ警視を相棒に、捜査小説らしく関係者を回る様子もあるなど、全体に動きが多いため、メグレ物の雰囲気に慣れてなくても読みやすいと思います。

前述のとおり、リュカ、ジャンヴィエ、トランスなどメグレ班も揃っていますが、メインはラポワントになります。

しかし、中盤まではメグレもラポワントを引き連れて捜査をする場面が多く、ラポワントも自ら考えて動いたりと印象に残りますが、後半から一切出番がなくなるのが残念でした。

ちなみに、鑑識のムルスや、オフィス付きの老給仕ジョゼフも出演しており、ムルス以外の鑑識課員も出て家宅捜索をするという、警察小説らしいシーンもあります。
後期作品では良く見られる、メグレが酒を飲むたびにパルドン医師のことを思い出す描写もあり、シリーズファンのために書いたファン小説の趣もあります。

印象に残る登場人物は、老婦人レオンティーヌ・アントワーヌ、その姪のアンジュール・ルエット、アンジュールの息子のエミール・ルエットの家族になります。
しかし、その描写も、傑作にあたる他のメグレ物に比べると、あっさり終わってしまった感がいなめません。

ただ、メグレとメグレ夫人の会話は好きなシーンであり、本作のハイライトだと思います。
メグレ夫人の出番は結構多く、物語の後半、夫人と一緒に老婦人が毎日通っていた公園へ行き、ベンチに座ったり、レストランで夕食を食べる描写が良かったです。

レギュラーがしっかり出るメグレ物を読みたい時や、メグレに触れたいけどあまりどっしりしたものを読みたい気分じゃない時に、軽く手にとると楽しく読めると思います。

本編とは関係ない感想ですが、第一章の老婦人の記載したカード、アンダーラインのくだりを読んで、アガサ・クリスティーの『もの言えぬ証人』でポアロに届いた、自身の身に起こった事件について調査を依頼する典型的なオールド・ミスの手紙を思い出して少し笑ってしまいました。


 彼のシニックな態度には悪意めいたものはなかった。それどころか優しさみたいなものがある。まだ味わったことのない家庭生活への郷愁のせいかもしれない。
 そのため、彼は虚勢を張っているのだ。

ジョルジュ・シムノン/長島良三・訳『メグレと老婦人の謎』河出書房新社, 2001, p.140
エミール・ルエットの態度について

 メグレは寂しくなった。たとえ警察官にならなくてもいいから、このような息子を持ってみたかった。

ジョルジュ・シムノン/長島良三・訳『メグレと老婦人の謎』河出書房新社, 2001, p184
マレラ警視の息子と話した時のメグレの心情

「少なくとも生涯に一度は、ベンチに座ってみたかった。」
 そして、あわててつけ加えた。
「もちろんおまえとだよ。」
「あなたって記憶力が悪いのね。」
「二人で座ったことがあったかい?」
「婚約時代に、ヴォージュ広場のベンチに。あなたが初めてわたしにキスしたのは、そのベンチだったのよ。」
「そうだったかな。ぜんぜんおぼえていない。いまおまえにキスしてやりたいが、ちょっとまわりに人がいすぎるね。」
「わたしたちはまだここに来るような年齢ではないんだわ。」

ジョルジュ・シムノン/長島良三・訳『メグレと老婦人の謎』河出書房新社, 2001, p,195
チェイルリー公園の池が見えるベンチで、メグレとメグレ夫人の会話


映像化作品

ジャン・リシャール主演シリーズ(仏)
 第26話「La folle de Maigret」(1975) ※日本未紹介

マイケル・ガンボン主演シリーズ(英)
 シリーズ1 第4話「メグレと錯乱した女」(1992)

おまけ:「メグレの初手柄」長島良三・著

巻末に掲載されている文庫本にして18ページくらいの作品です。
解説が書いてあると思って最初は面食らい、とても長島さんらしいと感じました。

特に何の説明もなく乗ってあるので間違っているかもしれませんが、多分、1978年に読売新聞社のYOMI BOOKから出版された長島良三さんのメグレシリーズを紹介した著作『メグレ警視』中の、「第一部 メグレの履歴:8 メグレの初手柄」に書かれた内容と同一のものだと思われます(『メグレ警視』自体が手に入りにくく読めていないので、いつか確認したい)。

内容は、長編30作目『メグレの初捜査』(1948)という、メグレがサン・ジョルジュ警察署で書記として働いている二十代の青年時代の作品の、「第六章 内輪のお祝い」を中心に、さすがに犯人などは書いてませんが、後半の流れが分かる形でまとめてある、ダイジェストみたいな内容です。

メグレの経歴に焦点を当てており、具体的な人間ドラマや関係者は殆ど出てこないため、元の作品の重大なネタバレであるとまで言うつもりはありません(そのため、そもそも原作を知らなければ、書記のメグレが何の捜査をしてるんだって感じになりますが)。

しかし、この掲載の問題は、上記の情報を一切乗せずに、シムノンの言葉の引用後に、いきなり本文が始まっていること、そもそも『メグレと老婦人の謎』に一切関係ないことにあります。

長島さんとしては、メグレ警視のキャリアとしてのスタートを紹介したかったのでしょうか、さすがに乱暴すぎると思いました。

万が一、『メグレの初捜査』を読んでいないタイミングで、この文庫を読む際には、気を付けてください。


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