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メグレ長編18『第1号水門』L’écluse n°1(1933)紹介と感想

ジョルジュ・シムノン 大久保輝臣訳『第1号水門』グーテンベルク21, 2023


あらすじ

老船頭のガッサンが泥酔し運河に落ちた。そのガッサンが落ちた場所のすぐ側で、エミール・デュクローが刺されて運河を流れていた。
幸い重大な怪我にはつながらなかったが、報告書を読んだメグレが捜査を担当することになった。
退職間際のメグレにとって最後の仕事になるはずの事件は、被害者デュクローとの緊張感溢れる時間となった。
そんな中、デュクローの息子・ジャンが「父を刺したのは自分だ」と遺書を残し首を吊って自殺し、第二号水門の水夫ベベールが首を絞められ殺される事件が起きた。
事件の真実は、エミールを中心とした、ガッサン、ガッサンの娘アリーヌ、エミールの家族たち人間関係の中に隠れていた。


紹介と感想

メグレ引退直前の事件として設定されている今作は、メグレ対エミール・デュクローの静かな戦いを描いた物語でした。
久しぶりの初期作だったので、最近読んでいた第3期とは全く違う空気感に最初は戸惑いましたが、第1章を読み終わる頃には気にならなくなりました。

事件が起こり、メグレが捜査に当たることになりますが、一般的な意味での捜査は行われず、ジャンルとしてはミステリーとは言えません。
警察官が主役の普通小説に近い内容ですが、小説としての満足度が高いため文句ありません。

この物語で描かれるのはエミール・デュクローの悲哀をメインに、ガッサンの悲哀、引退直前のメグレの複雑な心境になります。

デュクローはいわゆる成り上がり者で、色んな女性に手を出し、子どもを作り、誰に対しても上からものを言いつける、いけ好かない人物です。
しかし、それらは成り上がりゆえの虚勢や、金持ちになっても上流階級からは受け入れてもらえず、欲しいものを得られない空疎さが関係していました。
決して好きな人物ではありませんが、その強い哀しみはしっかり伝わります。
この、好ましくないし、共感も出来ない人物の哀しみが、最小限の分量でしっかり伝わるところにシムノンの上手さがあると思います。

メグレはデュクローの挑発に乗ることはなく、それどころか異常なほどに状況を見つめているだけな所がありました。
しかし、それが強がっている男・デュクローの本音を引き出していくことになりました。

最初から最後まで一貫して暗いトーンで進み、最後にはあまりにも悲痛な叫びで閉められる本作。
初期メグレの中でも特に面白い話しであることに疑う余地がない作品でした。

 メグレにはとうにわかっていたことだが、こういった悲喜劇がデュクローの生活をめちゃくちゃにしていたのだ。この男は無一文から出発して、ざくざく金を稼いだ。大ブルジョワと取引きもあって、その暮らしぶりもかいまみた。ところが、身内のものは依然として昔のままだった。~中略~
 デュクローはまるで自分自身がくそみそにやられているみたいにそれを苦にしていたし、いくら広大な白い邸を構えたり、運転手や庭師を雇ったりしたところで、隣人たちから人並みに扱われていないのを痛いほど感じていた。

ジョルジュ・シムノン 大久保輝臣訳『第1号水門』グーテンベルク21, 2023, 8より
サモワにあるデュクローの別荘に招待されたメグレが見たデュクローの現実

映像化

ルパート・デイヴィス主演(英) ※日本未紹介
 シリーズ2 第7話『The Golden Fleece』(1961)

ジーノ・セルヴィ主演(伊) ※日本未紹介
 第3シリーズ『Le inchieste del commissario Maigret』(1968)
  第4話「La chiusa」(全3回)

ジャン・リシャール主演(仏)
 第10話「L'écluse N°1」(1970) ※日本未紹介

ブリュノ・クレメール主演(仏)
 第13話「第一号水門」(1994)



メグレシリーズ 既読作品リスト

現時点での読了リストを自分用のメモとして書いておきます。
☆がお気に入り、〇がお気に入りには後一歩だけど良いと思った作品です。
全て現時点での評価になります。

長編
〇03.サン・フォリアン寺院の首吊人(1930)
 06.黄色い犬(1931)
☆07.メグレと深夜の十字路(1931)
☆09.男の首(1931)
 14.サン・フィアクル殺人事件(1932)
☆18.第1号水門(1933)

☆21.メグレと超高級ホテルの地階(1942)
☆25.メグレと奇妙な女中の謎(1944)

☆29.メグレと殺人者たち(1947)
☆35.メグレと老婦人(1950)
☆36.モンマルトルのメグレ(1950)
☆38.メグレと消えた死体(1951)
☆39.メグレと生死不明の男(1952)
☆41.メグレとベンチの男(1952)
〇42.メグレの途中下車(1953)
〇43.メグレ間違う(1953)
☆44.メグレと田舎教師(1953)
☆45.メグレと若い女の死(1954)
☆46.メグレと政府高官(1954)
☆47.メグレ罠を張る(1955)
〇48.メグレと首なし死体(1955)
☆53.メグレと口の固い証人たち(1958)
〇56.メグレと老外交官の死(1960)
 62.メグレと幽霊(1964)
☆63.メグレたてつく(1964)
〇64.メグレと宝石泥棒(1965)
〇72.メグレと老婦人の謎(1970)
 73.メグレとひとりぼっちの男(1971)

中短編
 01.首吊り船(1936)
 02.ポールマルシェ大通りの事件(1936)
 03.開いた窓(1936)
 04.月曜日の男(1936)
 05.停車──五十一分間(1936)
☆06.死刑(1936)
 07.蠟のしずく(1936)
〇08.ピガール通り(1936)
☆09.メグレの失敗(1937)

☆10.メグレ夫人の恋人(1939)
☆11.バイユーの老婦人(1939)
〇12.メグレと溺死人の宿(1938)
☆13.殺し屋スタン(1938)
☆14.ホテル“北極星” (1938)
〇17.メグレと消えたミニアチュア(1938)
〇19.メグレとグラン・カフェの常連(1938)

 20.愚かな取引(1939)
☆21.街中の男(1940)

☆24.メグレと無愛想な刑事(1946)
☆25.児童聖歌隊員の証言(1946)
〇26.世界一ねばった客(1946)
〇27.誰も哀れな男を殺しはしない(1946)
☆28.メグレ警視のクリスマス(1950)
☆29.メグレとパリの通り魔(1951)


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