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ルーシー・ワースリー/大友香奈子 訳『アガサ・クリスティー とらえどころのないミステリの女王』(2022)紹介・感想

ルーシー・ワースリー/大友香奈子 訳『アガサ・クリスティー とらえどころのないミステリの女王』原書房, 2023


概要

歴史家である著者が、クリスティーの作品や自伝、クリスティーや関係者の手紙、更に今までクリスティーについて語られた多くの資料を用いて、現代の視点から、アガサ・クリスティーとその生きていた時代を浮かび上がらせようとした伝記です。

最近は英国でもクリスティーの研究が少しずつ盛んになっているようですが、今までは、その業績や人気にも関わず小説界でも演劇界でも過小評価をされてきたクリスティー。そのクリスティーについて、良い面も悪い面も平等に描き出すことで、クリスティー自らが丁寧に隠してきた真の姿を描き出そうとしていました。

クリスティーの一生を、親族や周囲の親しい人達の人生にも触れながら丁寧に紐解いています。
特に、当時の女性の生活や立場に触れながら、その流れの中でクリスティーという人物を描く部分に特徴があると感じました。

感想

本国での評価の流れを見ていると、他の本格黄金時代の作家もそうですが、日本の方がクリスティーの作家としての評価は高い時期が続いていたのかなと思いました。
また、ちょうどラザフォードの映画について記事を書いたところだったので、クリスティーがスパッと映画を酷評しているコメントが収録されていてちょっと面白かったです。

幼少期から亡くなるまでの年代を概ね10年刻みで見ていくため、1926年の失踪事件についても記述されています。
著者は、当時のクリスティーの状況について、一定期間の遁走も加えたうつ病ということになりそうだと記載しており、自分も概ねそうだったのだろうと昔から感じていました。

当時も、その後も、もしかしたら今も、記憶喪失のふりをしているだけで夫への仕返しだったという意見を主張する人がいます。これは、働く女性に厳しい当時のジェンダー観や、作家という職業が関係があったから声高に言われたのだろうとの意見を著者は書いています。また、有名人を探すために税金を使ったことに対する怒りも含まれているだろうと。

しかし、最も重要なことは、彼女が苦しんでいたと言うときは、信じることだと著者は語っていますが、本当にその通りだと思いました。

クリスティーは、作品中では基本的にあからさまな性的描写を描かないように注意していますが、一人の人間としては当時の価値観の中でも性において寛容な考えの持ち主であったことの指摘も面白かったです。

また、アーチーとの間では実現できなかった〝友愛としての結婚〟が、マックスとの間で紆余曲折ありながらも最後まで続いたのは本当に良かったと思います。
特にクリスティーがマックスに宛てた個人的な手紙や詩からは、どれだけマックスを大切に思っていたのかが良く分かりました。
手紙には意外と際どい内容も描かれていて、有名になるとこんな内容もバラされるのかと思うと、無名で良かったと思いました。

アーチーの晩年についての記述や、幼少期に両親が側にいないという経験をしたロザリンド視点での当時の出来事など、自分があまり知らない部分について知ることができたのも、クリスティーの一生を立体的に考えるうえで良かったところです。

当たり前ですが、クリスティーにも金銭の管理に甘い所があったり、当時の価値観としては特別ではないとはいえ、現代視点から見ると人種差別的な面もあります。しかし、それは何もクリスティーだから特別ではなく、現代人の中にも、もちろん自分の中にも沢山ある部分です。

大切なのは、人のある一部分だけに集中するのではなく、全体としてどのような人物なのかを見ることなのだと、伝記を読むと考えさせられます。

また、著者が何の原作が好きで、何をあまり評価してないのか所々書かれているので、「あ~それが好きで、これは評価してないのか。自分とは違う視点だ~」と著者の考えを読むのも面白かったです。

 表面的には保守的な作品であるにもかかわらず、アガサは読者の世界の認識を、前向きな方法でひそかに変えていったとわたしは信じてもいる。

 最後にはっきりさせておきたいことは、刊行当時の読者たちにとって、クリスティー作品は、〝郷愁を誘うもの〟でも〝伝統〟と関係のあるものでもなかったということだ。(中略)クリスティ自身はハワイにサーフィンに行き、速い車を愛し、新しい心理学に興味を持つという〝現代的〟な生活をしていた。だから彼女の小説が出版されたとき、それはやはり読者をわくわくさせる生き生きとした〝現代的な〟ものだったのだ。
 この本でわたしたちは、絶えず非難され、絶えず誤解されて、偉業が平凡な見かけに隠れがちな、二十世紀の偉大な作家のひとりに出会うことになる。

ルーシー・ワースリー/大友香奈子 訳『アガサ・クリスティー とらえどころのないミステリの女王』原書房, 2022, p.12-13, 序文より

「人間が価値のある仕事をなしとげることは、すばらしいことなんですよ。それが男であろうと女であろうと、そんなことはまったく問題じゃありませんわ。どうしてそんなことが問題なんです」

アガサ・クリスティー/高橋 豊訳『死との約束』早川書房, 1978, p103
「女が何かをやりとげることができるのはすばらしい」というピアスに対して反論するサラー

ミステリ的にネタバレ記述のある場所について

伝記の中ではクリスティーの多くの作品に触れています。
その中でも、特にミステリー的なネタバレがある部分について記載しておきます。
もし、まだ読んでいない作品がある時は、参考にしてください。
クリスティーの人生に沿って記載されている本なので、基本的には記載されている年代に書かれた本がネタバレされています。
漏れがあったらごめんなさい。

p.98 『スタイルズ荘の怪事件』の犯人についての言及があります。
p.143 『アクロイド殺し』の犯人についての言及があります。
p.263~264 『メソポタミアの殺人』のトリックについて言及があります。
p.264 『ABC殺人事件』のトリックについての言及があります。
p.280 『白昼の悪魔』『書斎の死体』のトリックについて言及があります。
p.287 『殺人は容易だ』の犯人について言及があります。
p.340 『葬儀を終えて』『ねじれた家』の犯人についての言及があります。
p.341~342 『予告殺人』の推理の手がかりについて言及があります。
p.342 『鏡は横にひび割れて』の真相についての言及があります。
p.343 『無実はさいなむ』の犯人についての言及があります。
p.346 『アクロイド殺し』『シタフォードの秘密』『終りなき夜に生れつく』の犯人についての言及があります。
p.399 『アクロイド殺し』『終りなき夜に生れつく』の犯人についての言及があります。


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