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芥川龍之介 読書記録①(蜜柑/疑惑/葱/河童/或阿呆の一生)

中学・高校時代を中心に夏目漱石を中心に文豪と言われる作品を色々と読んでいた時期がありましたが、その時期に殆ど読まなかった文豪も少なくありませんでした。
芥川龍之介もその一人で、教科書で「羅生門」を読み、何かの機会に「蜜柑」を読んで終わっていました。

しかし、「蜜柑」が面白かったこと、精神病との関りなどから、いつか読もうと考えており、一昨年にちょっとしたきっかけから、少しずつ読むようになりました。

今回は、これまでに読んだ作品から面白かった作品、印象に残った作品についての感想と、十数作程度ですが芥川龍之介を読んでみて感じたことを残しておきます。


蜜柑(「新潮」1919年5月1日)

憂鬱の虫に襲われていた私は、二等車と三等車の区別もつかぬ小娘に腹が立つ。しかし、娘のある行動が私の心持を変え、退屈な人生を僅かに忘れることができたのであった。

純粋で綺麗な心に触れた時、人は心が洗われたように感じる。
そんな瞬間を切り取っているようなこの話はやはり好きであることを再確認できました。


疑惑(「中央公論」1919年7月)

倫理学を専門としている私は、当時滞在していた岐阜県大垣町で左手の指が一本欠けている男・玄道から悩みを打ち明けられる。
玄道は、明治二十四年に起こった大地震の際に梁に圧されて動けない妻が生きながら焼け死ぬ前にと自分の手で殺した。
その後、再婚の話が持ち上がった時に「妻を殺したかったから殺したのでは」と疑惑に苛まれる。
憂鬱になっていく気持ちとは裏腹に再婚の話は進んでいった。
そして、婚礼の日に遂に限界が訪れてしまう。

極限状態で行った行為を冷静になって振り返った時に、人は冷静に受け入れる事ができるのか考えさせられました。
そして、狂人とは玄道なのか、狂人とレッテルを貼る周囲の人間の中にあるのか。人の理性の限界を感じます。


葱(「新小説」1920年1月)

作者の存在を強く感じさせるメタ的な文章で、カッフェの女給・お君さんの日常とある夜の出来事を書いており、最後には、お君さんが小説として世に出て批評家に評価される事にまで触れています。

お君さんは作者の想像上の人物で、実はサンティマンタリスムなのは作者自身なのではないかというのは意地悪な見方でしょうか。
ロマンチックな空想が、安売りされている葱を見る事で日常に上塗りされる感覚が素晴らしかったです。

普段は物語の世界に浸っていますが、必要な時には日常の感覚がしっかり現れるお君さんに好感が持てます。田中君はまだまだ甘いなと思いました。


河童(「改造」1927年3月)

精神病院に入院している患者が語る、河童の国で暮らしていた時の話。
河童の国では様々な河童が暮らしている。
人間の眼から見たら驚く事も多い河童の世界は、同時に人間世界のあり様に対して多くのクエスチョンを投げかけていた。

日本へ帰ってきた語り手は、結局ある事を境に河童の国へ戻りたくなりますが、失敗し、精神病院へ入院することになります。
しかし、河童の国で知り合った河童たちが夜な夜な見舞いに来てくれると彼は語ります。
そして、河童の中にも河童の国の精神病院へ入院してしまった者がいるのでした。

河童の国での出来事には、芥川自身の悩みも投影されているように思いました。
果たして、狂人とは誰のことなのでしょうか。その境はどのように見極め、何が問題になるのか。
この時期の作品の中では、物語性を忘れておらず、作家・芥川龍之介を感じられる作品でした。


或阿呆の一生(「改造」1927年10月)

ニ十歳の著者が本を探す所から始まり、母、家、先生、結婚……人生の様々な事を思い起こしながら時が進んでいく。
罪と後悔の気持ちから自由になる事は出来ず、徐々に蝕まれていく姿。
最後は〈敗北〉と名付けられた章で幕を閉じる。

全部で51章から成る、多くの苦しみに包まれているこの小説には、それでも人生に希望を見出しているような内容が少しですが含まれているように感じました。
それは単純に過去の出来事なのか、それとも自分の中の信じたいものが現れたものなのか。

芥川龍之介という一人の作家が残した、人生を振り返った記録。振り返りの中で、一瞬でも幸せな気持ちを感じられていたら良いなと思います。

純粋な創作として読む事が不可能な、一人の人間として、人生の最終局面でどのような景色を見ていたのかに思いを馳せてしまう作品でした。


芥川龍之介を十数作程度読んでみての印象

昔から〈純文学に特化した芥川賞〉のイメージから、芥川龍之介自身もなんとなく小難しい話しばかりが多いのかなという印象が強かったのですが、実際に作品に触れると、特に初期から中期は大衆小説的な娯楽作品もあり、文章自体も読みやすく、良い意味で印象が変わってきました。

そして、人生の最後に残した作品たちからも、抑えられない気持ちを描写していく中で物語の体をなしていないことが多くなりながらも、作品であろうとしている部分も感じられ、最後まで小説家だったのだと感じています。

短編作家で結構多作であったことも読み始めてから知りました。
まだ読んでみたい作品はあるため、これからも気が向いたら少しずつ読んでいこうと思います。



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