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ジョルジュ・シムノン『帽子屋の幻影』Les fantômes du chapelier(1949)紹介と感想

ジョルジュ・シメノン 秘田余四郎訳『帽子屋の幻影』早川書房, 1956


あらすじ

帽子屋をしているレオン・ラベは、既に5人の老女を殺害していた。それは、先だって妻を殺害したことに関係していた。
ある日、向かいの店で仕立屋をしているカシウダスに自分が犯人であることを知られてしまう。
その日以来、ラベはカシウダスのことが気になり、カシウダスも賞金の2万フランのためにラベの後を尾いてくるようになった。
ラベは、カシウダスに見られていることを知りながら、6人目の老女を殺害した。
何事につけても自分の計画通りに進むのは心地よかったし、誰かに知っていてもらうのも悪い気持ちではなかった。
しかし、7人目を殺そうとした晩から、少しずつ歯車が狂い始めていく……。


紹介と感想

1945年発表の短編「しがない仕立屋の話」を長編に書き直した作品になりますが、主人公が帽子屋であるラベに変更されており、中盤辺りから物語も大きく変わっていきます。

短編の方は、仕立屋視点から熟成されていくサスペンスを描きながら、最後に意外な主題を明らかにする良作短編になっていました。
しかし、帽子屋視点になった今作は、じっくりと帽子屋の考えにも筆を割きながら、座りの悪い不安な気持ちを読者に植え付けるような作品になっています。

物語は、ラベの行動と思考を三人称一視点で描いていきます。規律通りに生活を送っているラベの視点は、最初は冷静に見えますが、後半になるに従って本人と読者との間に乖離が生じるようになってきます。

また、ラベの思考に沿うような文章は、シムノン得意の現在と回想と想像を区切りなく飛び越える描き方によって、ラベの現在の状況を的確に伝えてくれます。

自分は誰よりも均整がとれており、人生も自分で選びとって進んできたと思い込みながら生きてきた男。しかし、その振り返りを読むと様々な困難と挫折があったように見えてきます。
それは、ラベの言う通り、言葉では上手く説明できないだけなのでしょうか。だとしたら、彼はなぜ自分へのコントロールを見失ったのでしょうか。

自分な行いを知ってくれていた男が死んだことで、遂に糸が切れてしまったラベ。最後の最後でやっと止まることができ、安息の気持ちを手に入れることができたのでしょうか。

自分の好みとしては短編の切れ味を取りますが、ラベと一緒に捉えどころのない不安を感じることができる小説として、オススメの一作となります。

 こうした感情は、彼の意識でははつきり割りきれていたが、いざ説明するとなると殆ど不可能に近かった。彼は、その生涯を、連続した線のように、ペン先で辿れると思つていた。ただ、言葉がすべてをもつれさせた。言いすぎたり、言い足りなかつたりした。

ジョルジュ・シメノン 秘田余四郎訳『帽子屋の幻影』早川書房, 1956, p.113
ラベが自分の人生を紙の上で振り返りながら考えていること

映像化

『帽子屋の幻影』Les fantômes du chapelier(1982) ※日本未公開
 監督・脚本:クロード・シャブロル
 出演:ミシェル・セロー、シャルル・アズナヴールほか


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