「誰か」が見ていると思った話

俺は仕事が出来ない。

仕事が出来ないと思い込んでいる時点で、
俺の能力はたかが知れている。

けど、低く見積もられるのはすごく嫌だ。
「お前に俺の何がわかるんだよ」って思う。
それはすごく人間的で、俺の良いところだと思っているけど、すごく嫌いな部分でもある。

話を戻すと、出来ない事は沢山あって、
例えば、タスクの漏れが酷い、とか
報連相が一方的になりがち、自分1人で抱えがち、とか

書けば書くだけ、すごく萎えるけど、
萎えるのは芯を食っていて自覚があるからだと思う。

社員になってからそれを痛感させられる事ばかりで
嫌になって、効率が落ちて、そんな自分がさらに嫌で、
効率が落ちて、きっかけがあって持ち直して、
それの繰り返し。

けど、同時期に社員になった人にアドバイスをもらって
気づきを沢山もらって、その日に本を買って帰った。

買った本は学びになる事しか書いてなくて、
なんだか勿体無くて途中まで読んで、一回辞めてしまった。
読み終わってしまうのが勿体無いと感じるのは久しぶりで、すごくワクワクしている。

仕事について悩んでいて、悩みの答えみたいなのが見つかって、喜んで、少し楽になって、帰った。

帰ったら、突然親父に話しかけられた。
内容は、俺がさっきまで悩んでいた事で、
今も答えが出ていない事だった。

鳥肌が立った。心がブワーってなって、
中からじわじわ広がる感じ。

「誰か」が見ていて、
「そうなる」ようにしているように感じた。

思っている事を話す。それだけで少し目頭が熱くなる。
堪える。取り繕う。嬉しくなる。

不思議だなと思った。
俺はこれの繰り返して生きていく。
きっと俺だけじゃない。そう思えたら、明日も生きれる

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