25歳2日前、仕事を休職することになった話②

フラフラと涼しい風に当たりながら家に帰る。電車の中は少し苦しかったが考えすぎないことに努める。帰る途中で病院に行こうと思った。最寄り駅に着いた時点でかけ始める計画性の無さが露呈したが、まあ良かった。

幸い、午前の診療なら空いているという病院があったので、そこに向かう。駅近の雑居ビルに病院はあった。
流石に通っている病院バレは色々避けたいので、この辺で。
問診表やら保険証やらを出して30分ほど看護師さんとの面談。物腰柔らかい50代後半の女性だった。きっと母親とそこまで歳が変わらないはず。
家族構成などそういえば前もこんなこと聞かれたなぁと思いつつ、穏やか雰囲気で話が進む。そして、診察室に呼ばれた。

優しそうなおじいさん先生。色々話をしていくが上手く纏まらない。ぐちゃぐちゃな気持ちになりながらも話をすると理解してくれた。この先生なら信頼できる。

「俗に言う適応障害ですね」

てっきり鬱の再発だと思っていたので、びっくりした。
適応障害?って聞き直した程。衝撃だった。

適応障害とは生活の中で生じるさまざまなストレスにうまく対処することができず、抑うつや不安感などの精神症状が現れて日常生活に支障をきたす病気のこと。-メディカルノートより抜粋-

ストレスへの対応力、耐性が尽く低い。「とにかく診断書を書くのでまずは10月末まで休職しましょう。これで会社とどうするか相談をしてくださいね」
うなずくことしか出来なかった。幸い、薬は前に通院していた病院からお守りとして10日分持っていたので診察代と診断書代で済み、次回の予約を取って帰宅した。

家族に話をした。話した所で治るわけではないけど休むことを伝えた。自分の気持ちを伝えるのが苦手で、優しすぎる所がある、家族からそう思われているなら他人からすればよっぽどだろうと思う。
父はあえて何も言わない。言われると私の気持ちがいっぱいいっぱいになることを知っているからだ。それはそれで助かるけど、自分の娘が心の病という現実に触れたくないのかもしれない。それは神のみぞ知る。

母も少し反省していた。妹はそうなんだふーんって感じ。多分、今朝私が普通の顔でいたからイライラはしていた。

派遣会社から電話が入り、診断結果を伝えた。凄くいい人で助かった。これが変な人ならどうしようかなと思っていたので安心。派遣先に明日出向くらしい。また派遣会社の採用担当から連絡があると言われて電話が切れた。

こうして25歳2日前、私は仕事を休職することになったのだ。

鬱とか適応障害になる時ってベルトコンベアーのラインが考えやすいかなと思います。(個人的見解)
普段だと10秒に1つ商品な来るベルトコンベアがあります。出荷できるならベルトコンベアに流す、出来ないものはラインから外すという作業。
何かしらのトラブル(=ストレスやアクシデント)が起きるということで、10秒に4つ商品が来ることになる。上手く処理できず、ラインを止めてしまう→ストレスが溜まる→上手くいかなくなる→また4つ商品が来る→エンドレス……という考え方です。

今日はここまで。続きます。

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