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ツルダという人間(少年編)

自意識過剰なタイトルすぎる
2024年は誰かに自分を理解してもらうのを待つのではなく、自分から理解させにいくんだという想いを念頭に生きています。

サザンの桑田さんが育った街「茅ヶ崎」で僕も育ちました。茅ヶ崎といえばお洒落でサーフィンが趣味ですみたいなイメージがあるかもしれません。
それは、駅の南側だけです。
北側にいってしまえば、そこはもう田んぼや畑だらけのお芋タウンです。
故に、北側で育った僕とミヤタは、いかにもお芋みたいな人間となりました。ちなみに芋は好きです。

幼少期から親や祖父の影響で野球にどっぷりハマっていました。人生で初めて覚えた曲は六甲おろし(阪神タイガースの応援歌)なのではないでしょうか。人生で初めて好きになった曲は桧山進次郎の応援歌です。
そんなこんなで小中と約9年間、プロ野球を夢見て明け暮れる日々でした。
ですが、体が細く少食だった自分は、晩年どこかしらを怪我しているといった具合だったため、キャプテンなのにベンチスタートみたいな状態が多かったです。
中学で校外のクラブチームに入っていたときは練習日におにぎり10個食べるのが課せられてました。おにぎりは今でも大好きな食べ物のひとつですが、あのときは鬼に見えました。

ちなみにポジションはほぼ一通り経験しました。わりとどこでもそつなくこなせるタイプだったとは思いますが、なんせ怪我が多いので使いもんにならんときの方が多かったでしょう。固定で守っていたのは最後のファーストくらいです。
細いなりにチャンスで打てたりしたので何故か打順はクリーンアップ(3,4,5番)あたりでした。

そんな野球大好きお芋少年は、勉強のほうはどうだったのかというと、正直天才的でした。
学校のテストなんて基本暗記もので覚える数も少ないんですから、一夜漬けで百点なんてザラにありました。(こんな調子なのでのちに大学受験で痛い目に遭いましたが、それはまた別の時にでも)

そんなツルダ少年は、一方でずっと歌を歌うことが好きでした。
家では親がよく音楽をかけていました。
四つ離れた兄が高校でバンドをやっていたこともあり、中学時代から少しずつギターを触りはじめるようになり、コードもろくに弾けないまますぐ曲を作って歌っていました。
野球がしんどくなり、もういっかとなりかけた頃にギターと出会ったので、それはまあひたすらに弾いていました。
同じ中学だったベースのミヤタにベースを勧めたのは自分です。高校で一緒に音楽やろうって言いました。

今回はここまでにしておきます。
需要があれば、ツルダ青年編はまた後日綴ろうと思います。
最後まで見てくれてありがとうございました。

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