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まずはエポケーして合意点を見つけよう

はじめに


「哲学なんて、全然役に立たない机上の空論だ」と思ってる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際に哲学と言うのは、長い歴史をかけて、様々な問題や課題に対して、哲学者たちが真剣に向き合い、時には命をかけながら練り上げてきた深い思考の営みであり、哲学を理解すれば、現状の問題を力強く解決していく大きな味方になるんだと思っています。


喧嘩ではまずエポケーしてみよう


例えば、私は小学校の教師としてこどもたちに向き合っていますが、こどもたちの中で時々衝突や対立が生まれます。そういう時に哲学に何ができるか?

まず私が言えるのは「エポケーすること」の重要性です。エポケーとは「判断保留」という意味であり、現象学のフッサールによって提唱された概念です。

ちょっとだけ説明すると、人間は原理的に客観的事実や絶対的真理に到達することができないので、それについて正しいとか間違っているとか、議論しても永遠に平行線になる可能性が高いので、そこについては一旦判断を保留にして、話を前に進めようと言う方法論なのです。


自由の相互承認を学ぶ絶好のチャンス

では、その上でどうするか、

私たち教師や大人がすべき事は、こどもたちが何か問題に直面したときに、一方的に指示を与えたり罰を与えたりして、こどもたちから問題解決の機会を奪ったりしてはいけないという確認ではないかと思います。

学校教育の本来の目的のが、こどもたちに自由に生きるための能力を養うことと、自由の相互承認の感度を養うことであると言うことを思い出す時、こどもたちが衝突した場面と言うのは、まさしく自由の相互承認の感度を学ぶ絶好のチャンスだと言えるのではないでしょうか。


合意点を見つけ出す


しかし、だからといってほったらかしにしておくと、お互いに対立が激化して、身体的な暴力に発展してしまう可能性もあるので、教師が何らかの働きかけをしなければいけないと思います。

その時に重要なのは、喧嘩している当事者同士が何に合意できるかということです。例えばこのままの状態を続けたいのかと言う問いかけをすると、大抵はそれを望まないと言う意見が出てきます。その点において合意が取れたらではどのようにしたらこのような対立を避けることができるかということを話し合っていくのです。

どんな対立だっても合意できるところは必ずあるはずなので、まずはそこを足場にして話を進めていくと言うわけです。


起きたことの動機に耳を傾ける

しかし、実際にはそんなに簡単に合意点が見つからないケースも結構あったりします。そういう時は、そのようなことが起きた背景にあるこどもたちの動機をしっかり聴きとることが重要になってくるんではないかと思います。

つまり、哲学的に言って、人間の認識や行動の背景には、それと結びついた、欲望、関心、目的などが必ずあるからです(欲望•関心相関性の原理)。そこを聴かずに教師の方から一方的に指示を与えたり罰を与えたりすると、こどもたちは間違いなく反発すると言って良いでしょう。

そして重要なのは、そうした欲望や関心や目的のレベルになると、結構お互いに理解できる立地点を探すことが可能になってくると言うことです

例えば、「もっと自分を対等に扱って欲しい」みたいな気持ちが出てきたら、お互いに対等な関係になると言うことに関しては結構理解しあえたりできるのではないでしょうか。だとしたら、そこを立地点にして、そこを合意点にして話を進めていくと言うことです。

おわりに

もちろん日本であってもオーストラリアであっても、教師は非常に忙しいわけで、じっくり十分にこどもたちの声に耳を傾ける事は難しいわけですが、長い目で見てこどもたちがこの社会で生きていくためには、やはり様々な衝突や対立を体験することは避けられないわけで、その場合に「自由の相互承認」の原則を確認しながら、合意点を見つけ出し、そこから話を前に進めていくことの重要性を学ぶ事は、欠かすことのできない観点ではないかと思うのです。



どう思われますか?

野中恒宏

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