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こんなところにFUJITA

街角でみかけた藤田嗣治の自画像。第一次世界大戦以前、1913年に渡仏した画家である藤田嗣治。フランスで評価され、「成功」した数少ない日本人画家のひとりと言えるのかもしれません。藤田は渡仏当初、モンパルナス界隈に居を構え、後のエコール・ド・パリの画家らと交流したり、隣人にはモディリアーニが住んでいたり、、、藤田関連の書籍をフランスで見かけることが時々あり、そのたびに、FUJITAの知名度を実感したりしました。

藤田は、渡仏した直後、第一次世界大戦が勃発して、仕送りが途絶え、金銭的に困窮し、大富豪の薩摩治郎八の援助もあり乗り越えたらしい。。です。この大富豪の薩摩治郎八は、パリに留学していた多くの日本人画家を経済的に支援したり、パリ国際大学都市の「日本館」の建設に全額出資したり、「バロン薩摩」と言われたらしい。ちなみに、「日本館」とは、パリ国際大学都市内に戦間期(1929年に竣工式)に建設された留学生のための学生寮で、現在も存在し、留学生を受け入れています。この日本館内に、FUJITAの絵画が飾られていますが、背景にはこういうつながりがあったのでしょう。思わぬところに20世紀初頭、フランスに渡った日本人の残像が残っているパリです。ちなみに、藤田は1995年にフランス国籍に帰化しています。元日本人のフランス人画家?かもしれません。

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