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【天才のとなり】

 努力の天才なんていないよ、そんなのつまんないし、そりゃ凡人の発想だ。天才は努力という概念なんてないから、彼らにとってそれは快楽かその延長上のなにかだ。

 フリースタイルピザアクロバットに関して言えば、自分の隣には天才がいる。世界選手権イタリア大会を2度制覇し、世界中のピザ職人に愛されている、日本が世界に誇るカンピオーネ。

 日々の練習、日々の仕事を共にするようになって思ったのは、それは努力の積み重ねってもんじゃなくて、楽しいから悔しいからやれないことにやれるまで挑戦するのがある種の快感なだけで、それが出来ない凡夫には必死に頑張っているように見えるだけってこと。
 猿が腰振って交尾してるのを努力と呼んで頑張れとは思わないだろ?その感覚に似てる。いや、似てないか、いやでも似てるか。いやでも卑猥か。でも表現的には嫌いじゃないな。

 天才のとなり。

 そこで天才に勝つために何を考えるのかっていうと、同じステージで争わないとならないし、勝たないと世界一にはなれないわけだから、かといって自分の努力や才能なんてものが一般的な範囲内なのは自分が1番よく知っているわけで、さらに他の国からも天才たちが集まってきやがるし、考えてみたらとんでもねぇーな、吐きそう。
 だから漫画を読む、『左利きのエレン』なんて最高だよ。映画も観るし、ミュージックビデオを観るし、LIVEやラップバトル、ダンスのショーケースも観る、観る、観る。
 同じ方向性の努力で新幹線に自転車は追いつかないから、自転車に翼を授けて上に飛ぶんだ、だって軽いから。
 そういう発想。

 もちろん凡夫に天才的な素晴らしい感性なんてモノが先天的に備わってるはずはないから、徹底的に他のジャンルの天才たちの発想やアイデア、スタイルを掻い摘んで自分の個性に変換していき、他の凡夫たちが必死にもがいて足掻いて捻り出した何かも使えそうなら吸収する。  
 そうやって集めたものを精選して出来ないことは捨て、出来ることを磨いて研いて武器にして、天才や化け物たちと競い合う。
 それが楽しいし気持ち良い。

 2023年の世界選手権で、あと1ポイント差まで追い詰めた。技術や完成度では全く敵わないのにその結果になったのは、技術や完成度では敵わないと諦めた上で、じゃあどうやって勝つかを考えたからだと思う。

 隣に天才がいて、そいつが仲間なら、そいつに出来ないことをやってあげたら良い。
 隣に天才がいて、そいつと競い合うなら、そいつが思いつかない発想で挑めば良い。
 隣に天才がいないなら、あなたは天才か、そうでもなければマルゲリータだ。いや、マルゲリータではなく、そうでもなければ環境が悪い。

 子供はみんな天才だから、その才能の芽を、凡人が『努力しろ』なんて言葉で摘まないように、自分は子供たちに「頑張れ」とは言わない。

 いつでも「楽しんで」とだけ伝える。

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