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稽古4回目でした。

こんにちは。Mr.daydreamerの上野です。

今回の稽古から、脚本を立ち上げる作業に入りました。

実は、今までのMr.daydeamerの稽古に比べると、4回目の稽古で脚本に入るのはとても早いペースと言えます。

複数人で創作する場合、基本的に12〜16回の稽古を第1期にあたる作業に当てています。これは全稽古日程の約半分にあたる期間です。

しかし、今回はあえてその期間を短くしました。これは、脚本の立ち上げ作業中に、立ち止まって脚本の再解釈をする時間をしっかりと確保する創作方法を試したいとの思いからです。

……少し話は脱線しますが、最近の創作方法に行き着くまでは、稽古初日からどのように脚本を舞台に立ち上げていくか?ということを重視して創作していました。しかし、稽古中期〜後期にかけて立ち上げ作業が停滞することが多々ありました。

理由は、それまでやっていた方向性で出来ることを全部やり尽くしてしまうからです。結果として、演技や段取りの再現性(何度やっても同じことが出来るようにすること)を高めるための反復稽古になってしまいました。以前は、この再現性こそが、演劇の「クオリティ」に繋がると思っていたことも原因だと思います。

しかしこれでは、演劇のライブ性を否定していると言えるでしょう。演劇には、毎回異なる観客がいます。つまり、毎回異なる反応が客席から発されるということです。この作用にも屈しない作品づくりを目指していましたが、それは役者に大きな負担を強いるのと同時に、演劇がライブで行われることの否定でもあったのです。

だからと言って、現在はクオリティを捨てたというわけではありません。クオリティを再現性に求めるのではなく、柔軟性に求めることにしたのです。作品の核になる部分を強くして、表現方法に遊びを残すことでそれを可能にしてきました。全国学生演劇祭の講評でクオリティの面も評価を頂いたのは、そうした方向転換の結果だったのだろうと思います。

……これをふまえて話を戻します。

最近の創作方法では、稽古後期に脚本の再解釈をしなければならない事態に陥ることが多く、その際に残りの少ない稽古の中でなんとか時間を作ってメンバーと話し合ってきました。しかし、それでは満足のいく結論に至ることが難しく、後半のためにもう少し時間を残すべきか悩んでいました。今回は色々なことを試すための稽古であるため、プラン作成において稽古後期にゆとりを持って時間を残せるようにしました。

* * *

本題

9月7日。4回目の稽古。

今回の稽古は、前回の続きである「人生分の話」と、脚本における「日常と非日常」の切り替わりをどのように表現するか試しました。

藤田の人生をざっくりと話してもらいました。話の詳細は、役者のプライベートに深く関わる部分なので割愛させてください。前回と同様に、ここに残せる範囲で考察していきます。

沢見と同じように、藤田にも話すことをあらかじめ書き出しておいてもらいました。これは、いきなりこれまでの人生をざっくり話してくださいと言われても、すぐに話し出すことは難しいからです。

話の総時間は62:30でした。約1時間です。前回の沢見の総時間が約35分だったので、倍ほどの時間を要したことになります。

この時間の差は、話し方の違いから生じたものではないか?と推測されます。

沢見は、あらかじめ書き出していたことから脱線した話が、ほぼありませんでした。そのため、話の道筋が整理されていて、時間的なロスが少なかったのだろうと考えられます。

対して藤田は、書き出していた単語が26語と、沢見より15語少なかったのですが、書き出していない話題を思い出して話している時間が多くありました。

この点が極めて興味深いものでした。書き出していない話題が新しく出てくることで、稽古時間というより普段の雑談という感覚になりました。それは、沢見の時よりも双方向のコミュニケーションとなる場面が多かったからだと考えられます。その理由は、書き出していない部分でそれを思い出すために、聞き手に質問や確認することが多かったからではないかと推測しています。

これにより、時間にすると約1時間が経過していましたが、体感としてはもっと短い時間だったように思います。これは、話し手である藤田にも当てはまっていたようで、話終わった時に1時間経っていたことを伝えた際に驚きを隠せないでいました。また、「けっこう端折って話したんだけどな」と発言していたことも興味深いものでした。

上記のことから脚本の考察をすると、登場人物2人の会話は今回のパターンと似ていたのではないか?と考えられます。彼女らは、2人で多くの時間を過ごさざるをえなかったと考えると、人生を切り取った双方向コミュニケーションで時間をつかうことが多かったでしょう。2人の「日常」を提示するためにも、「会話によるコミュニケーション」という点を、序盤に、適切な形式で提示しなければなりません。

次に、脚本の立ち上げという段階に入っていきました。初日の稽古場レポートであげた、第2期に入ったということになります。

実験として「稽古の中で行為の固定化をしない」という意識を徹底していきます。もちろん、脚本のト書きに書かれた行為は、何らかの形で行われなければ劇が進行しないため、ト書きに書かれた行為は必要最低限の固定として除外します。しかし、それ以外はなるべく固定しない方向で進めていきます。

この理由としては、無意識のうちに起こす行動を不自然に固定したくないからです。稽古が繰り返されるにつれ、役者は舞台上で安心するために、演技や行為を固定しようとする傾向があると考えています。舞台はライブであるため、なるべく固定できるところは固定して、繰り返し上演しやすいようにすることは自然なことであると考えられます。しかし、固定する部分を演技や行為ではなく、場の状態にすることでも大丈夫なのではないか?と考えはじめました。そのため、以下の点を固定することにしました。

1.舞台上は全て「家の中」とする。この状態が変わることは無い。
2.「日常」シーンは自分の身体を無意識に使っていいが、決められたこと(ト書きで指示されていること)以外は動くことが出来ない。
3.「非日常」シーンは自分の身体を全て意識的に使わなければならないが、決められていないこと(ト書きで指示されていないこと)でも自由に動くことができる。

1は、場の設定のために確実に固定しておかなければならないと考えました。家の中という場がシーン毎に配置が変更されることは、この芝居がワンシチュエーション作品である以上、避けるべきであると言えます。個人的に、ワンシチュエーション作品でも場の配置をコロコロ変えるのは好きなんですが、今回は短編と言うこともあり、それはしないことにしました。

2と3は、2回目の稽古場レポートで考察していた以下の内容を踏まえたものになります。

1.無感情、無意識であること。心が上下しない、感情が揺さぶられない状態であること。
2.太陽は日常とヒモづいている気がする(通勤や通学の時など)。非日常なときは太陽はあまり意識しない。また、日の出、日の入(「最近、日が沈むのが早くなったね」など)の話は、日常を共有している人とすることが多い。
3.決められたこと(仕事や稽古など)をしているとき。自分で決めたこと(旅行やコンクールなど)をしている時が非日常感がする。
4.「食事」「お風呂」は日常と非日常が切り替わりやすい。「家で食べる⇔外食する」「シャワーで済ませる⇔湯船につかる」など、些細な違いで非日常になる。

このうちで、1と3の内容から先ほどのルールを設定しました。

このルールをもとに、実際にP.3~P.5までを立ち上げていきました。

まずは、役者に自分の身体を使う意識を持ってもらうために、頭の頂点からつま先への順番で、自分の身体の可動部分を全て動かすというワークを行いました。頭から順番にというのが重要で、順番を意識することで自分の身体により意識を集中することができます。

このワークを踏まえて、役者にはまず場を固定しない状態で、2と3のルールを徹底してもらうことをお願いしました。これは『サロメ』の稽古で得たことなのですが、演技をする上で3つ以上の状態を同時にキープすることは不可能であり、そのため2つの要素を同時に行ってもらうことにしました。しかし、役者2人が久しぶりの演技と言うこともあり、2つのことを同時に行うことも苦戦している様子でした。

今回の稽古では、苦戦している間に稽古時間が終わってしまったので、次回の稽古で一旦ワークを挟んでから、同じところの立ち上げを行うことにしました。今回設定したルールが、どれほど有効なのかを実証しないことには次に進めないので、ここは一度立ち止まることも必要でしょう。

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