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『卒業、果て剥がれて』演出のノート

はじめに

2023年3月22日、23日に行う古川智恵子プロデュース公演『卒業、果て剥がれて』の演出を務める上野隆樹による「演出のノート」です。

演出のノート

 『卒業、果て剥がれて - 異稿「魔法少女になりたいの」』の演出を務める上野隆樹です。今回の創作にあたって、ノートを書いておこうと思います(ソクラテスシリーズで出してきた“演出ノート”ではなく、“演出のノート”であるということを強調しておきます)。

 余談ですが、まずは近況報告を。演劇の仕事も少しずついただけるようになってきましたが、それ以上の大きな変化としては、障がい者福祉の場でお仕事をさせていただくことになりました。そこでは、自分の日常との違いや、人間の肉体について深く考えを巡らす日々を過ごしています。もちろん、演劇関係の仕事や舞台映像の仕事も意欲的に行っていきたいので、各種ご依頼もお待ちしています。

 以上、余談でした。

 さて、今作を語るにあたって、原作となった『魔法少女になりたいの』に想いをはせてみます。原作などというと、優れた戯曲のように聞こえますが、若かった私が必死になって書いただけの戯曲に過ぎないし、メンバーの沢見によるリライトの結果、すこぶる魅力的な戯曲に生まれ変わったなぁという印象があります。ですが、あの戯曲には特別な思い入れがあることも確かです。

 あの戯曲を書いた頃、私は「学生」という身分の最期を迎えようとしていたし、それによって迫り来る「大人」という肩書きに戸惑ってもいました。それと同時に、当時のMr.daydreamerのメンバーに対して、そろそろ道が分かれるのだろうなぁという雰囲気を感じていた時期でもありました。ですから、私にとってあの作品には「サヨウナラ」という思いが強く込められていたと思います。当時は無自覚でしたが、今読み返すとそのように思います。そして、その「サヨウナラ」を嫌がってもいたし、人と人とが関わることは、もっと重要なことだと思っていたのだと読み取りました。人と人とが関わることは、その分、深く互いに傷つくことで、その傷を共に乗り越えることで深く触れ合うことができるのだと、その傷を恐れて都合のいい距離にいること、そして勝手にいなくなることは残酷なことなのだと言っていたのでしょう。その当時、そんなことを考えていた記憶はないので、無意識にそう考えていたのかもしれません。
 しかしこの感覚は、コロナ禍を経て、そして多くの人々と出会ってさらに実感するようになってきました(だからこそ、そのように読み取ったのかもしれませんが)。コロナを経て、より個人主義が加速した時代に生きているように思います。ソーシャルディスタンスは感染防止のための物理的距離だったはずですが、それがそのまま他者との心理的距離に置換されていったように感じます。他者との壁をハッキリさせる、あるいは「自分なんか××だ」「自分は〇〇だ」というロジックで自傷して他者を遠ざけることも増えたような肌感覚があります。少し話は逸れますが、宮﨑駿の『君たちはどう生きるか』を観た時、似たような現代人性を主人公に感じました。疎開してきた主人公が新しい環境に馴染めなかったとき、その行き場のない自己の尊厳を守るために石で自らを傷つけることで、第三者を強制的に介入させ場の解決と自己の尊厳の防衛を図ったシーンが特にそうでした。しかし、そのような自己防衛を図っていた主人公も、深く他者(母親)を知ろうと行動していくうちに、一つの世界の崩壊と存亡を委ねられることになります。私には、他者と関わることは、1つの世界を崩壊させる、あるいは守るほどのエネルギーがあると言われたような気がした作品でした。おこがましいですが、自分の過去戯曲を読んでそれと似た感想が想起されました。

 ですが、あの戯曲は上演されなかった。コロナが上陸した。そう、当時の感覚は「上陸」だった。
 その波に飲まれて、公演自体を中止せざるを得ませんでした。Mr.daydreamerにとって唯一の汚点であり、無事に終幕することがありがたいことなのだと知った機会でもあったと言えます。

 さて、そんな思い入れのある原作ですが、プロデューサーと作家のおかげで再び創作できる機会を得られました。そして、自分が信頼を置く作家が大きくリライトしてくれたことで、まっさらな気持ちで取り組めることも嬉しかった。リライトされたことで、原作のイメージやモチーフはそのままに、描かれていることが大きく変化したと感じています。そう、『卒業、果て剥がれて』という戯曲からは、原作とはまた違った印象を得ました。先に書いたことにかこつけるなら「私たちはどう生きるか」を突きつけるような戯曲になりました。私が息苦しいと感じる今の時代ですが、その時代をどう生き抜くかの覚悟を決めるような意思を感じた戯曲でした。より詳しい内容を書くと、実際にご覧いただいたときに白けそうなのでやめておきますが、演出プランを考えるにあたって、どのような作品になるか非常にワクワクしています。そしてこの作品を、Mr.daydreamerの苦しい時期を支えてくれた古川智恵子の(大学)卒業公演という場でお届けできることがとても嬉しいのです。それは、私が大学を卒業するときに出来なかった公演を、彼女がリベンジしてくれているような気がするからでしょう。

 Mr.daydreamerは、団体として、そしてメンバー個々人として、新しいフェーズに入っていきます。今年も意欲的な活動と創作を予定しています。ぜひ今後ともご贔屓にお願いします。

上野隆樹(Mr.daydreamer)

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