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稽古3回目でした。

こんにちは。Mr.daydreamerの上野です。

今回も3人で稽古しました。最初の稽古場レポートで決めた稽古プランでは、この稽古が第1期の最後の稽古になる予定でした。が、稽古の進み具合が想定より少し遅く、稽古プランの修正が必要になりそうです。ひとまず、次回の稽古の前半は第1期の続きを行い、前半だけで終わらなかった場合は次回稽古の全てを第1期最後の稽古にします。そのため、それ以降の稽古プランの修正は、次回の稽古の進み具合を見て行おうと考えています。

現在メンバーと共有している要素は「日常」のみになります。
そして私が、少なくとも共有したいと考えている要素は、以下の2つです。

「違和感」というキーワード
P.3 L.18〜
女2 「意外と、まだ知らないことあるね」
女1 「人生分の話があるから」
女2 「話そうと思ったら、人生分の時間が必要なのかも」
女1 「じゃなかったら、今までの時間が無駄な気がする」

この2つの要素は、今回の脚本を形にするにあたって欠かすことができないと私は考えています。

違和感というのは、今回の脚本の登場人物が感じる違和感です。会話が物語の進行の中心となっている以上、彼女らのそれまでの日常を観客に共有するために別の空間や時間を提示することは出来ません。だからこそ、彼女らの日常と、脚本の中で起こる事件の距離感(違い)を表現するために、登場人物が感じる違和のタイミングを明確にしておく必要があります。そして、演出においてそのタイミングを強調することで、観客の登場人物への理解を助けることができるようになります。そういった意味で、この「違和感」というキーワードは欠かすことのできない要素であると言えます。

また、提示した会話の箇所は、彼女らの「共に生活してきた時間」と「現在」を意識する意味で重要であると考えています。この会話から、彼女らの話題にそれぞれの過去があがっていたことが想像できます。そして、ある程度長い時間を共有してきたにも関わらず、まだ知らないことがあるというのは、(現実世界にも通じる)人間関係における相互理解の難しさを示す、普遍的な問題を内包しているとも言えます。彼女らの生活の背景を考察するにあたって、この会話は重要になってくると考えられます。

本題。

8/31。3回目の稽古。

今回の稽古も、作品理解を深め共有していく時間になります。今回の稽古の内容で、ある程度創作の方向性を決めていくので、とても重要な稽古として捉えています。

この稽古では、まず「違和感」というキーワードから始めました。冒頭でも述べた通り、「違和感」は登場人物が脚本の中において相手に感じたものを取り上げるため、役者が感じるもの(脚本の日本語が気になる、など)は含まないこととしました。

また、違和感を考えるにあたって、役者には自分が演じる役についてのみ考えてもらうことにしました。その理由としては、役者に「自分の演じる人物について考える」ということを意識づけたいという目的があるからです。

これは、私の個人的な経験からくる感覚ではあるのですが、「自分が演じる」ということに責任を持つという意識は、稽古が進むにつれて薄れていくと思っています。これは、一種の慣れであり、そうなることで創作における役への考察がおろそかになっていくと考えています。これは、メンバー全体で作品を考察していく稽古においては、致命的な問題です。だからこそ、今回の創作では特に、役者は自分の役に対する考察をしてもらうよう稽古プランを立てています。

「違和感」を感じたであろう箇所はそれぞれ以下の通りです。

沢見

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藤田

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お互い、序盤にそのほとんどが集まっています。物語の特性上、中盤以降は序盤の違和感の延長線上にあり、非日常が展開されることになります。したがって、「違和感」が序盤に集まるのは当然のことであると言えるでしょう。

沢見のピックアップした箇所で興味深いのは、

女2「今日の天気予報」

のセリフです。このセリフに関する考察において、沢見はその前の女2の行動は日ごろから行っていることと解釈した点でした。沢見によると、女2のカーテンを被るという行動は、女2がふてくされた時にはいつもやっていたことだろうとのことでした。しかし、このセリフは初めてのものであり、だからこその戸惑いのセリフが続くのだろうと考察していました。私も、この考察には賛成であり、また、彼女らの生活を観客に提示するためにも、この箇所のピックアップは必要不可欠です。表現方法は、いろいろと試す必要がありそうです。

次に、藤田のピックアップ箇所ですが、

女2「死んだら連絡してね? 」
女1「はいはい。」

 の部分を重要視しています。この部分は、それまでの2人の会話であれば女1が軽く冗談を言って流していたと考えられます。しかし、ここで女1は「はいはい」とそれを受け入れてしまいます。ここで感じた違和感が、その後の女2の提案に繋がります。この部分は、2人のそれまでの関係性を提示するためにも、大切にしなければなりません。

おそらく、この部分を普通に流してしまえば、この脚本を上演しても観客に何も残せず終わってしまうでしょう。会話がベースの作品において、それは最も避けなければならないことです。一見して何も起こっていなくても、登場人物の間にはとても大きな変化が起こっていることがしばしばあります。

※余談ですが、私が苦手な芝居は、そういった部分を理解せずに(あるいは、気付かずに)脚本の大きな事件にばかりフォーカスしたものです(演出家が敢えて選んでいる場合もあるでしょう。そういった創作方法や理論もちゃんと学んでいこうと思ってます)。そういった作品は、観ていても何が登場人物にそうさせたのか分からず、それを解釈するのにエネルギーを費やしてしまい、最終的に無駄に疲れて終わってしまうのです。芝居を観て疲れるのは好きですが、そういった疲労は好ましくはありません。自分が苦手な作品にしないためにも、こういった部分は丁寧に描いていこうと思います。

この作品の創作において、女2が違和感を抱く最初の部分を誇張した表現を用いるのが良いのではないか?と今は考えています。

ここまでのことを概観してメンバーで出した感想として、この作品においては、登場人物は互いに仕掛け、仕掛けられる側であり、それぞれ相手への違和感に応じている感じがするということでした。この関係性を上手く使って、創作を進めていくべきであろうと思います。

***

次に、以下のセリフの部分を考察していきます。

女2「意外と、まだ知らないことあるね」 
女1「人生分の話があるから」 
女2「話そうと思ったら、人生分の時間が必要なのかも」 
女1「じゃなかったら、今までの時間が無駄な気がする」

このセリフを考える上で、メンバーの今までの人生分の話をざっくり話してもらうことにしました。

まず、メンバーそれぞれの人生の話を箇条書きで書き出してもらいました。それに準じて話をしてもらうことにしました。

まずは、沢見の話を聞くことにしました。本来の稽古プランでは、今回の稽古で2人とも話を聞く予定でしたが、予想より長い時間をかけて話してくれたため、稽古時間の関係から藤田の話を聞くのは次回にすることになりました。

まず、役者のプライベートに関わる話なので、話の内容について触れることは避けることをご了承ください。その上で、ここに残せることを選んで書いておこうと思います。

私が目をつけたのは、話の内容の時間比でした。

沢見の人生分の話を書き出してもらった時、全て単語で書かれていました。その総数は41でした。人生で起こってきた出来事の総数は分かりませんが、おそらく41というのはかなり選別された量ではないかと思います。

次に話してもらった時間ですが、全部話し終わるのに35分45秒を要しました。そして、このほぼ中間である17~18分ごろに話していたのは中学時代の話で、18分からは高校時代の話が始まりました。しかし、書き出されていた単語の比率としては、中学までが26語に対して高校以降は15語しかないのです。この差は興味深いものでした。

沢見の年齢を鑑みると、高校時代は比較的最近の方の話であると考えられます。また、沢見の感想から大学時代の話は意識的に数を減らしてほとんど語らないようにしたとのことで、おそらく語ろうと思えばまだ多くのことを語れたのだろうと思います。

当初から予想していたことではありますが、記憶力的に最近の話題の方が覚えていることが多く、それに伴い語れることの総量が増えるのだろうと推測できます。

しかし、そうした量的なことと同等に、内容的なことも興味深いものでした。中学までの話は、比較的笑顔で語られており、録音データを聴き返しても笑い声は随所で残っていました。しかし、高校時代の話に入り、時間軸が現在に近づくにつれ笑い声の量は減っていき、大学時代の話では笑い声はほとんど聞き取れませんでした。

この心的な変化は、おそらく登場人物の間でも起こっていたのではないかと推測されます。彼女らが過去の話をしたとき、それは遠い記憶のものであり、互いに冗談めかして話しています。そして、その過去話はすぐに終わってしまいます。彼女らの生活する時代背景において、その活動範囲はかなり限られており、新しい話題を得ることはほとんど無いのではないか?と推測しています。そのなかで、過去の話は彼女らの会話にたびたび上がっていたことは、今回取り上げた会話の個所からも予想されます。そして、その過去の話の比率も、彼女らの現在に近い時間軸の話が多かったのではないか?ということも、今回の稽古の結果から推測されます。

つまり、彼女らの会話において、楽しい話題と暗い話題の比率は、おのずと後者の方が高かったのではないか?と考えられるのです。これによる心的ストレスがどれほどだったのか、それを検証することで、彼女らの現在における会話の温度感というものを決める必要があるように思います。

まだ藤田の過去の話を聞けていないので、この結論を出すのは早いですが、今回の稽古内容からは、そうした予想が導き出されました。

今回の稽古場レポートは以上です。次回は今回の続きと、今までの稽古を踏まえて、違和感の箇所の表現方法をいろいろと試していこうと考えています。

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