Mr.Childrenの原点「BEATNIK」

Mr.Childrenの原点と言えるバンド「BEATNIK(ビートニック)」

1985年、桜井和寿さん、田原健一さん、中川敬輔(ナカケー)さんが、関東高校1年時に軽音楽部において結成していたバンドです。
他に女性キーボード、男性ドラムがいたとされます。

桜井さんは、中学の頃に親戚の影響で浜田省吾や甲斐バンドをきき、お姉さんのギターを借りて演奏していました。
そして、バンドを組みたい、プロのミュージシャンになりたいと考えていて、高校のパンフレットに軽音楽部が大きく紹介されていた関東高校に進学しました。

一方、田原さんとナカケーさんは同じ中学でした。鈴木英哉さん(JEN)も同じ中学ですが、2人との交流はなかったようです。
田原さんは小学生の頃から野球をしていて、全国大会に出るほどのリトルリーグのチームに所属していたようです。
同じく小学生の頃野球をしていたナカケーさんは、そんな野球エリートの田原さんと知り合いたく、田原さんと同じクラスの友達にひき合わせてもらい、
同じ塾に誘い、仲良くなりました。
田原さんとナカケーさんは、高校へ行ったら一緒にバンドを組もうと話していました。担当楽器もこの時には既に決めていた模様です。
そして2人は、桜井さんと同じ関東高校へ進学しました。
しかし、高校に入ると、ナカケーさんは軽音楽部に入りましたが、田原さんは最初、野球部に入ってしまったんですね(笑)。

高校に入学すると、桜井さんとナカケーさんは軽音楽部で出会うことになります。
桜井さんと田原さんは、同じクラスで、桜井さんが学校に持ってきたギターに興味を示した田原さんが声をかけたことで仲良くなり、音楽のことを話すようになったと言います。
田原さんは、軽音楽部の桜井さんとナカケーさんにバンドを組むように進めていたそうです。
その後、桜井さんが野球部を辞めたがっている田原さんを軽音楽部に誘い、ぶじに現ミスチルメンバー3人が集結しました。
こうして、3人とキーボード、ドラムを加えた5人でBEATNIKが結成されました。

ミスチルの愛すべきドラマーJENさんは、昭和第一高校に行っていたので、バンドメンバーに加わるのはまだ先の話。

話をBEATNIKに戻しまして、バンド活動がはじまった訳ですが、軽音楽部の部室は先輩が利用するため、下級生は練習スタジオを借りなければならなかったそうです。
スタジオ代が必要となることから、3人以外のメンバーはバンドをやめていったようです。
ナカケーさんは、高1の夏には高校を中退していて、バイトをしてスタジオ代を稼いでいたようですね。

軽音楽部の他のバンドは、BOOWYやヘビーメタルをする中、BEATNIKはそこから外れたメンバーの集まりで、甲斐バンドのコピーをしていました。
BEATNIKという名前は、甲斐バンドの当時の所属事務所名と同じなので、そこに由来すると思われます。

1985年12月には、「クリスマスナイト」というオリジナルソングを制作しています。
桜井さんは、これを「ミスチル初のオリジナルソング」と語っています。

BEATNIKの活動期間は、1985年~1987年?。
その後は、THE WALLSとして、3人は本格的にプロを目指して活動することになります・・・


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