Mr.Childrenの前身「THE WALLS」

1985年、高校1年のときに、桜井和寿さん、田原健一さん、中川敬輔さん(ナカケー)にドラマー、キーボードを加えた5人で結成したバンド・BEATNIKは、甲斐バンドをコピーし、学園祭で演奏したりしていました。BEATNIKのメンバーは、桜井さん、田原さん、ナカケーさんは固定していたものの、他のメンバーの脱退や入れ替わりがあり、バンド名もライブの都度変えていたようです。

1987年、高校3年になると、3人は、バンド名をTHE WALLSと改め、オリジナル曲を制作し、音楽コンクールに参加するなどして、本格的にプロを目指すようになりました。
名前は田原さんの考案のようです。当時、「ベルリンの壁」という曲があり、そこからインスパイアされたとも言われているそうです。
THE WALLSは、3人以外のメンバーは流動的で、固定メンバーのドラマーがいなかったようで、テープ審査用の演奏では、桜井さんがドラムをたたいて収録することもあったようです。
THE WALLSとしては、1987年12月3日、オリジナルテープ「ticket」の制作、1988年4月、吉祥寺のライブハウス・シルバーエレファントへの出演(ライブハウスデビュー)という活動があったことが知られています。

1988年、ソニーのオーディションのテープ審査を通過し、次の選考が、ライブ審査ということで、ライブで演奏してくれるドラマーが必要になりました。
3人は楽器店や練習スタジオ周辺でドラマー探しをしながら活動していました。

そして、仲間うちで集まって開催されたシルバーエレファントでのライブに参加した時運命的な出会いをします。
そこには、鈴木英哉(JEN)さんがバンド・フェアリーランドのメンバーとして出演していました。
JENさんは、田原さん&ナカケーさんとは、同じ中学だったので面識があったので、JENさんをバンドに誘いました。
桜井さんとJENさんはこのときが初対面でした。
JENさんの桜井さんの第一印象は、「随分目が六角形だなー」だったようです。

こうして、JENさんはピンチヒッターとはいえ、ついに、現Mr.Childrenのメンバー4人が、同じバンドに集結しました。

この時のオーディションには、落ちたということですが、参加したことで、バンドの音楽の方向性を変え、Mr.Childrenを結成するきっかけとなる出来事がありました

桜井 「ソニーのオーディションにMr.Childrenの前身のバンド、ほぼメンバーは同じなんだけど音楽性がもっと暗いやつで、オーディションで進んでいって、日本青年館で決勝をやったんですよ。その決勝の時にユニコーンがプロとしてゲストで出てたんですね。で、僕らはその時落ちるのが確定していたから、沈んでいた時にユニコーンが出てきた時に、お客さんが、女の子がキャーキャーってモテまくってるわけですよ。それを見て、僕ら、こんな暗い音楽をやってちゃダメだと思って、それがポップに転向したきっかけ。

ユニコーンのパフォーマンスを目の当たりにして、これからは明るい音楽をやろうという事になったようです。
この頃演奏していた暗い曲については、捨てた?音楽性ではありますが、メンバーはそのころの楽曲も愛しているようです。

桜井 「(プロになってレコーディングは)してないですね。できないできない。でもね、割と悪くないのもあるよね?」
JEN 「悪くないよ。俺好きだもん。」

さらに、このオーディションのあと、ピンチヒッターだったJENさんも正式メンバーに迎え入れることになりました。
ただ、JENさんは、「アイドルのドラマー募集に応募しているから、結果がでるまで待ってくれ」と、バンド加入の打診を一旦保留したという話がありますね。
アイドルのバックバンドには落ちたので、無事に、桜井和寿・田原健一・中川敬輔・鈴木英哉をメンバーとするバンドが誕生しました。

1988年12月、音楽性の方向転換とJENさんの正式加入を機に、バンド名を変えることにしました。
そうして付けられた名前が「Mr.Children」でしたとさ。


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▶︎Mr.Childrenの原点「」BEATNIK
▶︎Mr.Childrenという名前について
▶︎ミスチルのメンバーが変わらないと言うこと

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