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【きみが咲かせてくれた花】について

ごあいさつ

2024年1月16日、今年もこの日がやってきました。アイドルマスターシャイニーカラーズより三峰結華さん、お誕生日おめでとうございます。Xでたくさんのお祝いが飛び交っているのを見ると、どうぞどうぞ一日ニマニマしながら幸せに過ごしてください、それがわたしたちの幸せです、という気持ちになります。

諸星もそんなお祝いの花束の一輪になれればと思って、【きみが咲かせてくれた花】というタイトルの作品を贈ってみました。

今回も過去の自分からのバトンを受け取ってこの絵の完成に漕ぎ着けることができたので、例年に習って、描くときに考えていたりいなかったりしたことを未来の自分へのバトンとして書き残しておこうと思います。いつにも増して、非常に、非常に個人的な文章となってしまっていて、頭の中の自分が「これは人に読ませる物なのか?人によっては不快になるのでは?」というツッコミをしっかり入れてはいるのですが、これまでnoteにアーカイブしていく方針を取っていたので今年もこちらにて。ご興味があってお暇があって寛大な方がもしおられましたら、しばしお付き合いいただけると嬉しいです。

過去のお誕生日イラストを描いたときの備忘録も、きっちりバトンを受け取った証としてここに再掲させてください。

2022年1月の記事

2023年1月の記事

ごちゃまぜないまぜ八方塞がり

未来の自分へのバトン、ということで、本題である作品の話に入る前にすこしだけ(の分量で収まるといいのですが……)自分語りをさせてください。

2023年の下半期は個人的には難儀な時期でした。11月末くらいからなんとか気持ちを持ち直してリハビリを開始して、すこしずつHPやMP、PPやその他諸々を回復しながら、苦手意識払拭とリハビリのために毎日アナログの小さな絵を描いてみたり、別の個人的なプロジェクトのための作業に邁進してみたり、と慌ただしく12月を過ごして年を越しました。

この時期に始めたこととして、紙の手帳を使い始めた、というのがあります。2022年の末に2023年1月始まりの手帳を買っていたので、えっ、あともう1.5ヶ月で2023年が終わっちゃうのに今更?!という感は否めないのですが、この手帳はささやかな苦境の中でちょっとずつ立ち直るのを助けてくれた存在でした。

ささやかな苦境、と書きましたが、すべきこともやりたいこともできず、かといって何かをするでもなく部屋の隅でうずくまって時が過ぎていくような感覚、焦り、惨めさ、不甲斐なさ、悔しさ、怒り、悲しみ、いろんなネガティブな気持ちがごちゃまぜないまぜ八方塞がり(このように言葉にすると卍解みたいで愉快ですね)になっていて、ただただ自分のことを嫌い貶す日々でした。このままではいけないとわかってはいても、人間、水が流れるように低きに流れていくことと現状維持をするのが一番簡単ですので、対処もできず、嵐が過ぎ去るのを待つしかないのか?本当に去るときは来るのか?と晴れ間や夜明けを信じることすらできない状態だったようにも思います。きっと、傍から見たらなんてことないのだとは思いますが、こういう個人的な苦しみを乗りこなすのってなかなか苦労しますよね。この時期は人との連絡すらあまりできない状態だったので、多方面にご迷惑をおかけしました。

自分のことを嫌ってしまうのときの対処法としてマインドセットでなんとかするやり方があると思います。ポジティブに、頭で、気の持ち方で、見る角度でなんとかしようとするアプローチです。このアプローチは非常に効果的かつ、ある意味ではここをなんとかしないとどうしようもない本質的な部分でもあると思うので、いつものようにここから取り組んでみたのですが、全くうまくいきません。マインドセットアプローチでは、認知の歪みが強いとき、つまり自分を引き上げてくれている、自分に間違いなく存在しているはずのポジティブな側面のことを信じられないとき、「結局気休めの対処療法で自分を励ましているだけで、すぐにまた落ち込んで自分のメガネが曇ってしまったら元に戻っちゃうんだよね?」というツッコミがダウナーな自分から入って身動きが取れなくなってしまうという課題があります。今回のダウナータイムは非常に根深いようです、でもなんとかしないといけない、さあ、どうしたものか……。

そんな中でなんとか足掻こう踠こう抗おうと思って始めたのが紙の手帳でした。自分のことを打ちのめしてしまう自分をマインドセットで止められないのであれば、誰がどうみても貶すことができないようにしてしまえばいい、ということで2番目のアプローチです。紙の手帳にチェックボックスを作って、その日やることやルーティン、やりたいことを無理のない範囲の、ごくごくひくーーーいハードルで毎朝リスト化して、それにチェックをつけていく、昔ながらのやることリスト。「一筆でいいから絵を描く」みたいなゆるすぎるアイテムが乗っかったリストを日々積み重ねていくことで、自分の目標に向かって1mmでも積み上げたという証跡を残し、停滞したままの無価値な人間だと頭の中で囁く自分をねじ伏せるためのリストを紙の手帳に書き始めたのでした。

やることがあると日々はなんとか進んでいくもので、11月末から始めたこの取り組みのおかげで無事年を越すことができて、今このnoteを書くことができているのは本当にありがたいことですね。年を越せない世界線もあったのかもしれないと思うとすこしだけゾッとします。

それはそれとして、毎日一歩でもいいから何かを積み重ねる、という修行僧じみたモードに入ると(余談ですが、囚人のように筋トレに服役し奉仕せよというパワーワードが大好きな筋トレの本のことを思い出したので服役囚モードと呼んでもいいのかもしれません)、一日一日は積み重ねるものに変わってくるように思います。何が言いたいかというと、クリスマスだとか、年を越すとか、誕生日を迎えるとか、そういう特別な一日感のある日であっても、自分にとってはイチを積み重ねるいつもの一日でしかないという感覚が一層強まってしまったということです。

またねの日だよ、バトンを受け取って

そして、無事年を越してお誕生日に贈る作品のことをすこしずつ考え出すのですが、イチを積み重ねるモードに入ってしまっているので、お誕生日というものへの思い入れが去年よりもさらに薄くなっています。お誕生日のお祝いがしたいけれど、自分だったら何が嬉しいんだろう(そもそもこれがいけない)という感じになってしまって、スタートダッシュに手こずりました。マリオカートでいうところのロケットスタート失敗でぷすんってなっちゃってる感じです。

そんなとき、noteに過去の自分がどんな気持ちで何を考えてお誕生日祝いの作品を制作したかを記録していたことを思い出しました。過去の自分から「またねの日が来たよ、バトンを受け取って」と言われたような気がしました。

読み返してみたら、去年の自分もおんなじようなこと言ってるんですよね。誕生日っていつも通りに前に踏み出す一歩の延長線でしかない、でもそれをお誕生日祝いに載せるのはグロテスクだからやりたくない、みたいな。そうして去年の自分がたどり着いたのが、「誕生日って自分にとっては当たり前の一日だけど、周囲の人がお祝いの気持ちで特別な一日にしてくれる体験」なんじゃないか、という発見でした。こんなに大事なことをなんで忘れてしまっていたんだろうと恥ずかしくなりましたが、去年の自分からのバトンとして、このコンセプトを引き継いで出発点にすることに決めました。

今年のわたしはどんなわたし?

出発点となるコンセプトが決まったところでイメージを膨らませる作業に入ります。去年の作品タイトルに込めた「水やり」というキーワードは自分ではとても気に入っているので、さっそく自分に対して圧をかけていきます。

「きみさ、諸星くんさ、念のために当たり前のことを聞くんだけどいいかな?一年何かを積み重ねて進化して、水やりをきちんとしてきて、ネクストランナーとしてそこに立っているんだよね?まさかバトンを受け取ったからってそのまんま考えを掘り下げることもしないでペンを持ったりはしないよね?」

出発点から今年の自分はどんな+1を積み上げて作品にできるのか。近所にある、不定期にしばしば参拝に伺っている神社までお散歩しながらあれこれと思いを巡らせてみます。厳しいようですが、ここで+1を足せないのであればそれまで、そこまでです。運良く後述の発見があったので今年も筆を執ることができましたが、ここで何も思いつかなければ漫然と描き始める自分を許せなかったと思うので、多分お誕生日祝いができていなかったのではと思います。その意味でもイチを積み重ねるモードで歩く手助けをしてくれた紙の手帳さんには頭が上がりませんね。

季節の思い出

そうして発見した今年の+1が、「季節の思い出」というキーワードでした。思えば昔から気にかかっていたというかモヤモヤしていたというかなんですが、お誕生日の思い出と季節の思い出ってある程度連動していますよね。諸星の父は8月生まれ、つまり夏生まれなんですが、そういえば父の誕生日に贈ったものはポロシャツとか帽子とか夏のものばかりで、冬場にお誕生日プレゼントを使っているところって見たことない気がするってことを思い出したんです。お誕生日プレゼントを買いに行く時期の問題もあって、夏にデパートを探してみてもマフラーなんて置いてるわけないよねって言ってしまえばそれまでなんですが、なんというか、夏に生まれた人はこれまでもこれからも夏のものだけを贈られて生きていくし、冬に生まれた人はこれまでもこれからも冬の思い出を積み重ねていくのかなぁ、っていうモヤモヤがずーーっと心の片隅にあったことを発見したのです。それは文化だったり商業だったり暮らしやすさだったり、いろんな要因でそうなっているのだと思うのですが、なんか寂しいな、1月生まれの三峰結華さんにも、冬以外のお誕生日の思い出をプレゼントしたいな、というのが今回の作品【きみが咲かせてくれた花】のキーコンセプトになっています。

くみひものように編んできた時間を訪ねて

三峰結華さんに冬以外のお誕生日の思い出をプレゼントするぞ!と決めたところで、足がかりにするコミュを発掘しにシャニマスに潜りにいきます。

まだまだ創作初心者ですが(と言っても驚くべきことに今回でお誕生日祝いの作品を贈るのは4回目になるのでいつまでも初心者ではいられないですよね……成長していかないと……)、個人的な二次創作の面白いところって、ハイコンテクストなコミュニケーションがある程度許容されているところだと思います。なので、ここしばらくは基準や土台となるコミュをある程度想定しながら、そこに他のコミュのエッセンス、自分の考えていることなどをあれこれ闇鍋して、そこで起きたいい感じの出汁が見てくださる方の積み上げてきたこれまでとどこかでちょっとでも周波数が合えばいいな、みたいな描き方をしていることが多いです。なので、コミュ選びは入念に……。

お誕生日のコミュを書くようなイメージでイラストが描きたいので、アンティーカのみんなに一緒にいてほしいな、ということで、今年は今までスタックしてしまっていたアンティーカのみなさまのサポカも見られるものは片っ端から訪ねていきます。中身がみられないものも、画集やイメージ検索などでひととおりは頭の中にインプットをして、熟成するのを待ちます。

そうして幾つかの要素やキーワードから出てきたアイデアが、「この世はアンティーカの遊び場なのだから、今が冬なら自分たちで春にしちゃえばいい!お花見ピクニックパーティでわたしたちだけの花束をプレゼント!」というものでした。

遊ぶんなら本気で、ね!

ピクニックをするぞーとなったときに、次に決めるのは服装と場所です。服装は月岡恋鐘さんのサポカにお花見の回があったのでそちらをお借りすることがスッと決まったのですが、場所は二択ですこし迷いました。

例年は三峰結華さんのお部屋でお祝いをしていたので、今回もはじめは何も考えず三峰結華さんのお部屋にしようと思っていたのですが、パーティの飾り付けをすることを考えたときに、ん?5人で一緒に飾り付けをするの?それも楽しいとは思うけど、クリスマスパーティならまだしも、お祝いされる側がお誕生日にせっせと労働するのは(アリだとは思うんですが)僕個人はそのパターンを回避したいなという気持ちがありました。

そしてそもそもなんですが、過去のお誕生日イラスト(やいくつかのイラスト)で三峰結華さんのお部屋をモチーフに選んできたのは、「部屋にはある程度その人が表れるし、彼女の部屋にはオタクグッズを隠し取り繕うような部屋の二重性・心の二重性があって、部屋に入れたくない/部屋に入れるけど取り繕う/ありのままの部屋に入れる、などのグラデーションがあるところがとても人間らしく、共感できて、愛らしい」と感じ、部屋に仲間を招き入れるということに特別な意味合いを感じていたからでした。

諸星が背中を追いかけている三峰結華さんはいうまでもなくたくさんの時間と経験を積み重ねてきているわけなので、今回のような時間の積み重ねを主題にした作品でいつまでも部屋に入れる入れないの問答をしているのって彼女の成長を蔑ろにしているのでは?ということで、思い切って、三峰結華さんの部屋、ナシ!となりました。

そこで、三峰結華さんのお部屋じゃない場所で、場所として選ばれることに必然性があるまたは違和感がない場所、たどり着いたのが283寮にある月岡恋鐘さんのお部屋でした。考えてみれば、(諸星の対人経験値の問題かもしれませんが)自分の部屋に人を招くことのハードルだけじゃなくて、人の部屋に招かれるというのも低くはないハードルなわけで、アンティーカの5人のことなのでこれまでに何度も経験してきていることだとは思うのですが、諸星のチャレンジとして招待されることのドキドキを閉じ込めてみたいというエゴも含めてここに決まりました。

そうして今回のパーティは、月岡恋鐘さんのお部屋に三峰結華さん以外の4人でこっそり集まって飾り付けをし、お誕生日当日にサプライズで春爛漫な冬のピクニックパーティでお祝いをする、という遊びに決まった次第でした。

ちょっぴりの罪の味、たっぷりのしあわせの味

ピクニックパーティというその場で起きること、服装や場所などのおおまかな場面設定が決まったので、パーティに登場する小物類を決めていくフェーズです。つまり、飾り付けです。

既に述べたように部屋はある程度その人を表すと思うので、部屋をお借りする月岡恋鐘さんを尊重してお部屋のベースは公開されている公式の背景イラストを極力改変せずに拾うことにして、ピクニックパーティのための飾り付けの方で遊び倒していきます。

既にコミュをそれなりの数さらってきていてこのあたりの小物はパーティの中に登場させても居場所がありそうだなーというモチーフの候補リストはメモしてあるので、その中からさらに、エゴだけど入れたいもの、その場にあることで生きるもの、あっても不自然ではないけれどなんか気が乗らないもの、入れない方がパーティが白けないで済むもの、などをざっくり頭の中でラベリングしていきます。

飾り付けという作業はある目的、例えば文化祭であれば文化祭当日の賑わいであり、お誕生日パーティであればお誕生日を迎える主役の笑顔であり、を心に思い浮かべながら楽しむものだと思います。今回の場合はサプライズパーティということで三峰結華さんには隠さなきゃいけないというちょっとの罪悪感はあるとは思うのですが、これからお誕生日を迎える三峰結華さんの笑顔を思い浮かべながら手を動かすのって、きっとたっぷりのしあわせの味がするんじゃないかと思います。諸星も小物が多くて作業が大変ではありましたが、描いている間はしあわせな気持ちだったので、たぶんアンティーカ飾り付け班のみなさまからのしあわせのおすそわけをもらっていたんだろうなって思います。

フルーツタルトの魔法

個々のアイテムについて取り上げることは余白にしておきたいのでこの場ではしませんが、毎年恒例のアイテムになっているフルーツタルトについてだけは、エゴだけど入れたいものの筆頭なのですがちょろっと書きたいです。

このモチーフは縦長フォーマットで描き始める前、初めてお誕生日お祝い作品を制作したときから登場しているアイテムで、個人的にはとても思い入れが深い一品です。ぶっちゃけますと、4年前、近場でアクセスできる範囲で一番キラキラして美味しそうだったからこれにしちゃえ!みたいな勢いでえいやっと選んだFLOというお店のフルーツタルトだったりします。特別高いケーキ屋さんのものでもなければ、何かの考察によって導き出されたものでもないそれは、正直に言えば描くのが大変で早々に後悔した代物でもありましたが、毎年積み重ねて描くことでいつの間にか僕の中の特別な何かになりました。当たり前の日々もフルーツタルトを見かけることで幸せな気持ちが湧きあがって特別な自分にしてくれる、特別な日に毎度恒例があることで特別が当たり前に積み重ねられることになっていく、そんなキラキラとしたフルーツタルトの魔法がくれた体験を三峰結華さんにもプレゼントしたい、ということで今年も描きました。今日もあとでフルーツタルトを買ってこようかなと思っていますので、これを読んでくださった方にもキラキラした魔法が訪れますように、というささやかな祈りをそっと捧げさせてください。

ラッピングまで手が抜けない!

作品のイラスト部分が仕上がったことで、最後のラッピングの時が訪れます。そう、タイトルです。いつもタイトルに迷うのですが、今年は比較的スッと決まったような気がします。

絵が描きあがってから、タイトルを考えるためにお散歩に出かけました。ご近所でいつもお参りに伺っている神社さんにです。おかげさまで今回も自分としてはいい絵が描けたように思います、ありがとうございました、というお礼をしに伺いたかったのです。

歩いている間、寒風に耐えながらスマホのメモ帳にメモを書いていきます。一昨年は【季節と共に巡るもの】で、去年は【またねの日まで水やりをしよう】でした。水やりというワードが気に入っていたのと、今回のお花見ピクニックのコンセプトなんかを勘案して、今回は花という言葉を入れたいなーとはぼんやり考えていると、何の前触れもなく、家を出て数分でスッと頭の中に降りてきたのが今回のタイトルである【きみが咲かせてくれた花】でした。

このタイトルがとても良さそうに感じられる一方で、すぐに飛びついて安心してはいけない、考えよう、ということで、本当にこのタイトルでいいのかを検証する思考に入っていきます。そんな中でこのタイトルがきちんとかたちを変えずに残ったのは、「きみ」という言葉の懐が広かったからじゃないかなーと思います。

三峰結華さんからみれば、「きみ」は月岡恋鐘さんであり、白瀬咲耶さんであり、田中摩美々さんであり、幽谷霧子さんであり、そしてアイドルとしての時間にサイリウムで満開の花畑を見せてくれるファンのひとりひとりなんじゃないかなって思います。そして、そこに「みんな」という言葉を充てずに「きみ」という言葉を充てるところが、例えば1人:100人ではなくて1人:1人×100を愚直に積み重ねてくれるであろう、三峰結華さんらしいな、と思ったのです。

そして、三峰結華さんの背中を追いかける諸星からみれば、今目にしている花束は過去の貴女が積み重ねてきた時間が、今の貴女の努力が咲かせてくれたものですし、ひっそりと花束をイメージして描かれた今回の絵は貴女がいなければ咲かなかったわけなので、やっぱり「きみが咲かせてくれた花」だな、と思います。

ささやかではありますが、諸星からのお祝いの花束のつもりで描きました。本当にささやかなものなのですが、なんとか花が一輪咲いてるなくらいには三峰結華さんの目に留まって、しあわせをプレゼントできることを願って、作品についてのアレやこれやの結びといたします。

わたしもジョウロでイチを足す

そんなこんなで、今年も無事にお誕生日をお祝いするための作品を贈ることができました。三峰結華さん、お誕生日おめでとうございます。招待状、ワクワクしてくれましたか?お部屋の前、ドキドキしてくれましたか?パーティ、楽しんでもらえましたか?今日がしあわせな思い出になることを願っています。

自分語りパートではちょっとの期間大変だったことを書きましたが、手帳と一緒にちょっとずつ立ち直る様子を文章にしながら振り返ってみると、今思えば、諸星も水やりをするようになったということなのかもしれません。

三峰結華さんにすこしでも近づけるように。改めて、何度でも言いたいのですが、”三峰結華さんお誕生日おめでとうございます!これからもあなたのしあわせを願っています、ずっと応援しています!”、ということで、諸星もすこしずつですがジョウロでそっとイチを足し続けられるように、水やりに戻ります。お付き合いいただきありがとうございました。

蛇足:
どうでもいいのですが、一昨年のnoteは4,500字くらいで去年のnoteは6,000字。そして今年のnoteは8,700字らしいです……。もはや怪文書では……?どうなっているんだ……。

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