20歳からの5年。
気づけば25歳。20歳からあっという間に5年経った。5年前の想像していた自分とは大きく乖離しているが、まあそれは仕方がない。
振り返ってみると、ほとんどうつ病と向き合った5年だった。苦しいのに、もがけばもがくほど沈むようだった。でも、おかげで自分の嫌いな部分は消すことができているし、沈む前に回避する方法もある程度身につけられた気もするし。良くはないけど良かったような。いや、普通にしんどかったか。
書くととんでもなく長くなるような苦しい旅行も終わり、心はここ数年で1番穏やかな2週間を過ごせた。やっと新しい自分に出会えそうだ。病気を治そうと思っても、どうせ治らないから、新しくなってしまう作戦を1人実行中だ。
なにしたのかというと、まずはとにかく運動している。基本的に毎日自転車通学で13キロ。それからUberで3時間ほど自転車を漕ぐか、2時間ランニングとウォーキング。毎日どれか必ずやっている。自分自身が太りたくないのもあるし、細くて綺麗な身体になってみたかった。あと、毎日運動している、続けられているという日々の達成感のために。意外と心には良薬だ。嫌でも動けば気は紛れるし、何か目標持って動いてしまうし、一度走りに出たら帰ってこないといけないし。慣れると心にはいい方向で効く。体はキツイけど。荒療治かもしれないけど、僕にはこれが1番だ。
他には趣味を増やした。ギターとかスノボとかラジオとか。週の中の楽しみや、季節の楽しみを生き甲斐にできるようになった。楽しみが待っていると、人はそこまでは必死に生きれるもんだと、趣味が教えてくれた。できるようになったという経験が自己を肯定してくれた。多少できるともっとできるようになりたくなっちゃうから、ある程度は良い効果が続く。上を目指しすぎない程度に。見過ぎないように。人よりちょっとできることを増やしていけたらいい。1番じゃなくてもいいのだ。
旅も良い。誰も知らない街で、誰の目も気にせず、知らない街を歩き、流れる景色を眺めるだけで、幾分心は洗われることも知った。思い出のない場所が、心を蝕むことはほとんどなかった。なにも思い出すものがないからね。アップデートしか出来ないことがいい。
まあここまでは、どこかの本に書いてありそうなことだ。きっと書いてると思うけど、これらは僕が作った自分の治療法だ。それぞれみんなも無意識下にあるんだと思う。あんまりここまで理由を気にしてる人に会ったことないけど。気にしなくていい人生のほうが楽で良いに決まっているが、考えて試行錯誤したことが、今の自分を作っているんだろうか。
人間関係については、今は専門学校に通っているので、あと少しの付き合いだと割り切ってしまえたので、そんなに苦しくない。好かれるに越したことはないけど、嫌われるようなことはしてないから、苦手だと思われるくらいは仕方ない。(こう思えるのも今だけかも) 合う人に会うことを大事にしているから、それ以外のことで苦しむ時間はもったいない。誕生日におめでとうと言ってくれるような人は大事にしないといけないけど。自分の中でラインを作れたのが大きい。誰彼構わずに好かれるのは、相当な我慢が必要だ。我慢ばかりして、結局上辺の仲なら要らないよね。本音で話せる人と何人出会えるか。こっちに重心を置いたほうが良いだろう。話しかけられるまで話さないのは同じだけど…
あとは、なんでも人任せにしないことかもしれない。専門学校に入って仲が良くなった子たちと旅をすることがあった。そのときに、ホテルやレンタカーの予約、日程の調整、旅程を組む、なにがあるか調べる、運転とかほぼ1人でやった。大変だった。誰かがやってくれていることは大変だ。今までは受け身だったから、どっちの気持ちもわかった。人のことを考える習慣がついた。そのおかげで自分の意見が持てるようになったと思う。得意不得意も、好きも苦手も5年前よりはっきりわかる。結構でかかった。
とはいえ、バランスを取る力は皆無なので、熱が出るまで詰め込むことしかできない。休養を大事にしながら、また一つずつ新しい自分に向かって進めるようにしたい。一丁前なこと言ってるようだけど、全部主観だし、目標です。小さいハードルからいくつも飛び越えて行ってたら、いつか大きなハードルも飛べると信じたい。
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