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希望のタイムスパン:『不安の時代の抵抗論』ご感想を受けて③

3.11後の反原発運動、あるいは同じ時期に世界的に展開していたオキュパイ運動などの社会運動について、「結局、あれは社会を変えなかった」という言い方がされることがあります。

運動の「意義」や「成功」をどう測るのか。それは、自著『不安の時代の抵抗論』の議論の一つでもありました。この中で私は、3.11後の反原発運動が社会を変えなかったという評価に異を唱えています。

前回の投稿『ご感想を受けて②』でも取り上げた川口和正さんの書評も、この議論を受けて、このように述べてくださっています。

「311があっても、日本は変わらなかった」といわれることがある。
でも、果たして本当にそうだろうか。
少なくとも、私は変わった。
政治や社会のありように対して、路上に出て意思表示をするようになった。
希望は、私の中にある。
そのことを、この本はあらためて教えてくれる。
                  「路上からのメッセージ」より※1

3.11後の社会運動の評価

私は、3.11後の社会運動そのものについて、成功ー失敗の評価をすることに懐疑的です(デモや集会など、それぞれのアクションの評価はできるとしても…)。理由のひとつは、運動は継続しており、今後それがどう展開するかは分からないからです。私たちの動き方次第で変化するものである以上、客観的に成功-失敗や、意味のあるなしを論じるより、自分たちがそれに、どのような意味をどう持たせるか(=社会にどんな変化をどう作っていくか)考えるほうが現実的です。

原発がなくなるまで運動を続けてゆく。3.11後のデモ参加者の多くは、そういう思いでいます。たとえ年一度しかデモに参加できなくても、一時的に運動から遠ざかっても、参加の形が変わっても。そういう人々の相互作用で持続している運動体を、評価する側が一方的に作った時間的枠組みによって切り取り、時間を静止させて結論を出すことは、倫理的に思えませんでした。

また別の理由として、上記の川口さんと同じように、私自身は個人的にも、すでにこの運動から多くを得て、自分が変わったと感じていたこともあります。路上の人々に話を聞き、一緒に行動する中で「これから自分はこんなことをしていきたい」「こんな風に生きていきたい」という思いを持つようになりました。

一方で、運動に参加した人たちがみな、運動にポジティブな思いを持っているわけではありません。たとえば、『ご感想を受けて①②』でも取り上げた堕落さんは、すでに反原発運動を離れており、ご自身の運動の経験を次のように振り返っています。

「成功-失敗」で言うならば
「2011年からの反原発運動は失敗だった」とは言わないし、その議論は100年後にでもしてくれたらいい。
「勝った-負けた」で言うならば、正直「負けた」・・・と言い切りたくないのであれば「勝ってはいない」とは言わなくてはならない。
そして、俺自身の反原発運動は「失敗」であり「負け」であった。
今自分が置かれている状況を見るに、そうとしか言えない。
      『不安の時代の夜郎自大、次代に地代が払えず辞退』より※2

ここには、二つの異なる評価があります。3.11後の反原発運動そのものの評価は、「100年後」にすればいい、と長いスパンで結論を考えようとする一方、自分自身の反原発運動は、すでに現時点で「失敗」であり「負け」だと結論を出しています。

運動そのものの評価と、運動に参加した個人的体験の評価に乖離があることは不思議ではありません。たとえ運動が社会に大きな影響を与えたとしても、内部の人間関係や運営方針に問題があったり、個人としては不利益を被ったという場合もあります。ただし今回考えたいのは、そうした個々のケースではなく、運動体とそこに参加する個人の時間感覚の違い、そしてそれに基づく「希望のタイムスパン」の違いについてです。

ロスジェネ世代の「希望のタイムスパン」

個々人が集合して相互作用し、試行錯誤しながら社会を変えようと展開してゆく「運動体」と、そこに参加する個々人の身体は、もちろん異なる時間や空間の感覚を持ちます。

このことについては、本書でも触れた個所があります。日常を生きる個人の身体=「個体」としての意識と、運動の中に溶けこんで他者と渾然一体となった「流れ」としての意識がある。限りのある「個体」の私が、運動に参加することで、自分の輪郭の外側に溶けだし、時間や空間の感覚が一気に広がる、という例について、いくつか書きました。そしてその結果、逆説的ですが、個体としての自分にも「希望」のようなものが生まれた、という自分自身の経験にも触れました。

具体的に言えば、日常を生きる私一人の想像力は限られています。けれども先ほども書いた通り、路上で人々と共に行動する中で「これから自分はこんなことをしていきたい」という思いを持つようになりました。それを本書では、自分を内側から支える「希望」と表現しました。

これは少なくとも数年くらいのタイムスパンを持つ希望です。けれど、私はいつも、このタイムスパンの中で物事を考えているわけではありません。この先、仕事があるのか不安になったり、周囲の無理解や守られない約束が重なってやる気を失ったり……日常に閉じ込められ、しかも押しつぶされているときの、自分の「希望のタイムスパン」は、数週間とか数日単位になることもあります。そういうとき、運動で得た上記の「希望」は遠すぎて見えません。

個体の希望のタイムスパンは、人によって違うし、個人の身体の中でも、かなり大きな振れ幅で揺れ動くものです。

研究者としてデモ参加者にインタビューをしたとき、彼らの語る希望のタイムスパンが、自分のそれと違うな、と感じたことが何度かありました。当然といえば当然ですが、最も違和感がなかったのは、同年代の人の時間感覚(正確にいうと、私が最後の世代にカウントされる「ロスジェネ」世代の時間感覚)です。

もっと年配の方だと、個人の希望を語る時でも、「これから若い世代が社会を変えていってくれる」というような、かなり長期のタイムスパンが伺えることがありました。ここに私が感じたのは、「歴史が積み重なってゆく」ことへの信頼感です。「一歩一歩の積み重ねで、何かを達成してきた」という経験から、「それを次の世代に引き継ぎ、さらに進んでいく」という継続性の感覚が生まれ、それが希望を形づくっているように感じたのです。

一方、これに呼応する「若い世代」はどうでしょうか。目の前に未知の可能性が広がっているゆえに、「これから自分が踏み出す一歩一歩」という長期的で継続的な時間感覚を、やはり持つかもしれません。その上で、運動体の流れに同期して「諦める必要はない、これから社会を変えてゆける」というように、長いタイムスパンの希望を描くこともできるかもしれません。

けれどもちろん、このタイムスパンは、日々を生きるのに精いっぱいの人にとっては長すぎます。そして私自身も、この感覚をさほど強く共有できなかったのです。単にミドルエイジだから、振り返る過去も中途半端だし、見通す未来もさほど長くない、というだけではありません。私には「積み重ね」という継続的変化の感覚があまりありません。正社員として働いていた時はまだしも、その後はいつも「来年の自分が何をしているか分からない」という断片的な未来に向かって進んでいます。数年ごとに住む場所を変え、周囲とのお付き合いもゼロからやり直しです。

就職氷河期に社会に出た「ロスジェネ」世代の多くは、非正規雇用の労働者となりました。とくに数年おきに職を転々とするような環境では、未来も過去も断片的になります。それが単純労働であれば、技術的にも積み重ねるものがありません。こうしたとき、それほど長いタイムスパンで、個人の希望を描かないでしょう。

単純労働のタイムスパン

時間感覚について、よく考えていたのは、実際に自分が単純労働をしていたころでした。英国の大学院にいるとき、学費が恐ろしく高額だったため、やむなく日本に帰国して、一時期、派遣バイトをしていました。食品加工工場の夜勤、1日働けば1万円くらい稼げる職場でした。

仕事内容は数日で把握でき、あとはとくに学ぶことがなく、変化のない労働が続きました。物流センターにいたので、それなりの肉体労働で疲れます。朝方に帰って寝て、起きても体がだるくて何もする気が起きないので、「労働時間外」にさほど有意義なことができるわけでもありません。すると、何の積み重ねもない日々のループとなります。

それでも私は「出口」がありました。英国に戻り博論を提出する時期は決まっていたので、それを目指せばよかったのです。また、バイトしていた時期も一応は博論を書いていたので、たとえ労働時間が不毛なループだとしても、「労働時間外」に(非常に遅々と)完成に近づく成果物を通じて時間の流れを感じられました。私にとって、この「出口」と、労働時間外の生産物の存在は救いでした。未来に向けた変化を感じることができたからです。

夜勤で一緒に働く人たちの中には、家計を支えるためにダブルワークする父親や、介護と子育ての合間を縫って深夜に働くことにした母親もいました。もちろん彼らの負担の大きさは大変なものだったと想像しますが、それでも家族との関係性の変化を通じて、未来に向かってゆく時間感覚を持つことはできたかもしれません。

でもこうした条件が全部なかったら? 学生バイトのように「出口」もなく、家族もおらず、それどころか他人と接触もなく、労働時間外に何かを自分で生産する余裕(時間的、体力的、精神的)もない場合は? 

英国のジャーナリストが低賃金労働の現場を体験したルポルタージュ『Hired(邦題:アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した)』に、興味深い記述があります。

この本でブラッドワースは、アマゾンの倉庫で働いていた時の自分の7日分の生活費の内訳を書いています。低収入でやりくりしているにもかかわらず、そこには酒やジャンクフードなどの一見「不要」なもの、将来を考えれば節約すべきと思うものも含まれています。しかし著者は言います。こうした「中流階級の常識」は、「低賃金労働という陰鬱な世界に入ったとたん」に通用しなくなり、「単純労働による身体的・感情的な消耗を、何かで補う必要に迫られる」(p.86)。

著者のブラッドワースはあくまでルポを書くために潜入しており、「出口」のある人間です。しかしピッキング作業で一日平均16キロ歩かされる陰鬱な世界に足を踏み入れた途端、彼の希望のタイムスパンも著しく短くなり、仕事終わりの酒とジャンクフードの喜びにすがるようになる、という実感がこもっています。

※この本、邦題が妙にキャッチ―ですが、センセーショナルに企業の闇を暴くというよりは、英国の底辺労働の現状と、その背景の考察がきちんと書かれた非常に読みごたえある本です ↓ 【注意】ア〇ゾンでこの本を買って読んだあなたを罪悪感が襲います。

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私は決して、希望のタイムスパンが長いほどいいと思っているわけではありません。継続的な時間感覚を持つのが、必ずしも良いことだとも思いません。私の性格からして、年功序列賃金の安定した職場を得ても、そこに十年も二十年もいることには耐えられないかもしれません。

その意味で、継続性を感じられないこととか、希望のタイムスパンが短いこと自体が問題なのではなく、その個人差や環境の違いによる差異に無自覚なまま、「希望」を普遍的なものとして語ることが問題なのだと思います。

希望のタイムスパンは個人の中でも、置かれた環境によって揺れ動きます。あるときは数年後の計画を熱く語っていたとしても、たった一つの出来事でタイムスパンが極度に短くなり、きょう自分に手が差し伸べられなかったことに絶望し、すべて諦めてしまうかもしれません。そうした状態の相手に対し、自分の時間感覚に基づいた希望を語ることで、その人を追い詰めたり、孤立させることにもなりかねません。

「希望は自分の内側にある熱」と書いた意味

私はもともと、「希望」という言葉が好きではなく、自分の本の中で使う気もありませんでした。自分は別に希望なんて持っていないと思ったし、どちらかと言えば安っぽい言葉だと感じていました。

ただ、『不安の時代の抵抗論』を書くにあたり、若い編集者から言われた「希望を書いてほしい」という一言(何気ない言い回しだったのかもしれませんが)が頭に残りました。「希望なんてありませんね」と言い切ってしまう前に、希望とは何なのか考えることにしました。そして、自分に何か新しい行動を起こさせるもの、新しい人に出会わせるもの、そうしたエネルギーが自分自身の中にあるのなら、それは希望なのかもしれないと思いました。

希望というと、なにか絶対的で、どんなときも視界にあり、自分を導くもののように聞こえます。でも私にそんなものはなく、ただ時と場合によって燃え盛ったりしぼんだりする炎のようなものが内側にあるだけです。その意味で、希望とは自分の内側にある熱のようなもの、と本に書きました。

本の中で、私はこの「熱」を「光」と対比させていました。希望を「光」――進んでゆく方向を示す星、あるいは足元を照らす灯のようなもの――と認識すると、やはり継続的変化を連想させる気がしたのです。一歩一歩そちらへ進んでゆく道を照らす、あるいはその一歩一歩の足取りを導く、というような。

けれども私自身、そうしたものと無縁で過ごしてきました。会社を辞め、大学院留学して博士号を取ったのも、研究者になるという目標に向かっていたわけではなく、ただ「知りたい」「もっと深く考えたい」「考えたことを表現したい」という衝動に突き動かされたにすぎません。

自分に何か新しい「行動」を起こさせるもの、それが自分にとっての希望だと書きました。その行動とは私にとって、「何かに向かって一歩一歩進む継続的な行動」というより、「今とは違う変化を求めて衝動的に飛び出すという行動」です。私の希望を構成するのは、到達目標ではなく、なにがしかの変化を作りたいという衝動です。とにかく今とは違う変化を生み出すエネルギーを自分が蓄えたとき、「希望がある」と私は感じます。

絶望から遠ざかる一歩を踏み出さなければならないとき、光より先に熱としての希望が必要だ、というのが私の考えです。自分の中にある熱、炎のようなものが消えかけて、諦めそうになっているとき、他人の燃え盛っている炎の発光を遠巻きに眺めても、その光は救いになりません。そこまで歩くエネルギーがありません。そのとき必要なのは、自分の近くで振動して熱を伝えてくれる誰か、一緒に炎を燃やしてくれる他者でしょう。

「自分の身の回りの人を大事に」という堕落さんの言葉に、私は改めてそういうことを考えました。

社会を変えるには時間がかかり、運動は長く続いてゆくもの。だからこそ、その息の長いタイムスパンとは相いれない、個々の脆い身体の揺れ動く時間感覚と、それに伴い移ろう希望の形にも、敏感でなければなりません。

そもそも運動体そのものが、本来は遠い射程と近い射程を組み合わせたものであると思います。社会運動は、粘り強く目標を達成してゆくものであると同時に、そうして人々が集まった「場」の中で、近くの人々と熱を伝えあって、互いの生を肯定してゆくことでもあります。「場」に重なり合っている異なる時間の流れが、運動体の持続と多様化のエネルギーになっている、ともいえるのかもしれません。

……てなわけで今回は希望と「時間」の話だったので、次回は希望と「空間」的な話(場所/居場所について)をしようかなと思います。

***

【引用】前回から引き続き、引用させていただいたnoteはこちら。

※1 川口和正さん『路上からのメッセージ』

※2 堕落=だらくさん『不安の時代の夜郎自大、次代に地代が払えず辞退』

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