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自分よりも「変わってる人間」に会ったときの高揚感に名前をつけてほしい。

仕事,しんど.職場と家の往復.
深度の浅い,テンプレの応酬.
人生そんなもんかい,おお,爽快.

こんな感じの心持ちの方は,お読みいただけるとなんか,ほっこりすると思います.

毎日がテンプレ化している時は,自分よりも変なやつと酒でも飲みにいけばいいんじゃね?って思っているわけです.

変わっていると言われ続けてきた人生であった

僕は「変わっている」と言われ続けてきた人生だった.
「変わっている」と,自認したことは一度もないが,なぜか周りと同じようには,
考えられない.
行動できない.
笑えない.

別に,病んでるわけではなく,ね.
達観に似た境地に達した感じ.

詳しくは,以下の記事を参照してほしい.

たぶん,5万回ぐらいは言われていると思う.
10年来の付き合いである親友も,妻も.
30年来の付き合いである両親すら,僕のことを「変わってる」と言う.

「変わってる」と言われてきたから分かること

僕が「変わってる」と言われ続けて,その都度,思ってきたことは二つ.

一つ目は,あんたの方が変わってるんじゃね?って思う.
変わっているかどうか,って平均値効果と主観的観測偏差が問題になるわけだから.

「生まれてこの方,自分は正規分布の端に位置しております〜」なんて思っているやつなんて誰一人おりません.

人にはバイアスが働くから,自分を中心に世界が広がっているって妄想の中を生きているわけですわ.
発達段階的には,思春期ぐらいに挫かれるはずだったが,残念ながら不登校というチート級発達段階無視路線を僕は生きた.よくも悪くも.

だから,「お前の方が変わってるって@全人類」って思って生きてきた.

で,なおかつ.
この多様性を許容することが重要だと叫ばれている世の中に迎合した表現を用いて,もう一つの思いを述べると.

「変わってる」って許容できないことを免罪するための文言として使われることが多いよねって思ってきた,と.

「変わってる」
「変わってる(から私はあなたを理解できようか(いや,できない))」

すごい,反語だ.人類こわい.

人生で初めて,自分よりも変わっている人間に出会った

さて,そんな皮肉れものが,自分よりも変わった人間に出会ったら,どう思うんだろう?
どう?
どう思うと思う?

僕自身,想定したことがないシミュレーション.
染み付いたフラストレーション.
結論,びっくりする.
いや〜,ビビった.で,ビビッときた.

もちろん,「変わってる」なんて一言で形容なんてできない.
心底,素敵だと思ったし,愛したいと思った.

だけではなく.
不思議なことに,「保護されるべきだ!!」と思った.

尊い…
尊すぎて,どう愛でればいいかわからない…うっ…

って感じだった.

保護区を作って,そいつレベルで変わってる人間ばっか集めて.
「変わってる」って言われ続けてきた人間たちを集めて.
お互いが干渉しすぎないような距離を保ちながら,自生する.
お互いを頼りながら生きていけば,そこに経済圏が生まれ,一種の独立国家的な空間が出来上がるのではないか?
全く違うベクトルで変わってれば,「変わってる」の言葉の意味が変わってくる.
自然とお互いを理解し合えて,幸せに暮らせるんではないか?

そういう仮説を実証したくなるぐらいには,人生観が変わった.

うん,幸せだ.

一応,補足しておくと.
その人間は,僕よりも優秀で,社会的にも成功している.
なぜ,そんなことが可能なのかわからないが,社会に馴染んでいる(風な装いを維持できている.僕にはできないし,尊敬している)
だから,自分よりも変なやつを見つけて,劣等感を埋め合わせているわけではなく,真にリスペクトしている.

そして,この記事で韻を踏んだ部分は,僕のADHD的性質の発露として,ご愛嬌.

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