反抗期と不登校と。

こんにちは。まろです。
さきほど不登校のお子さんへの対応に困っているお母さんのポストが流れてきまして。
私自身、精神障害を持っているのと、不登校になりかけた過去(親にひきずられて無理やり学校に行かされていたタイプ)、反抗期がかなり長いタイプでしたので、私なりの見解を書こうと思います。


不登校は甘えなのか?

私が思うに全てが甘えではないです。
事実、私は小学生の時からいじめを受けていて「学校に行きたくない」と何度も両親に訴えかけましたが、無理やり行かされていました。
サボり癖がつくといけないなどの色々な理由があると思いますが、結果上手くサボれなくなってしまって、大人になってから自殺未遂の常連になってしまいました。
リストカットはしませんでしたが、飛び降りてみたり、首を吊ってみたり、OD(薬を大量摂取)してみたり…
色々な事を試して、死に損なって、今結局生きています。

子供の頃に嫌なことから逃げる練習をしないと、大人になってからうまく逃げれず、逃げ方が下手くそになってしまって、転んでしまいます。転び方も知らないから、受け身が取れるはずだったのに、骨を折ってしまったりするかもしれません。
※逃げ続けると人生ハードモードになるので、立ち直る事が前提ですが。

メンタルって、めちゃくちゃ難しいんです。
単純そうに見えて、色々な気持ちが複雑に絡み合って、思っていたよりも厄介です。
例えるなら知恵の輪みたいな感じ。
最初は「簡単じゃない?」って思っていても、いざ向き合ってみると「え・・・難しくない?」となるのと一緒。
本人も周りも、困惑するし、しんどい。
しかも目に見えないという条件付きのくせ者ですね。
パッと見えたら便利なのに。
しかも知恵の輪のように、最適解もない。
出口が見えないトンネルのようです。
ずーっと真っ暗。私もそうでした。

反抗期について

親御さんからしたら、本当に苦しい問題だと思います。
自分が苦労して産んで育てた子供に心無い言葉をぶつけられてしまったり、ひどいときには暴力を振るわれてしまったり。
自分が「こうなって欲しい」と思っていた結果と反れてしまって、子供が幸せにならないのではないか。という恐怖。
このまま大人になったらどうしようという心配。
子供のことをあやつり人形にしたいわけじゃないけど、親には責任が生じるから。せめて少しでも幸せになれるように「自分が思う正しい道」に導かないと、という重圧もあると思います。

世のお父さん、お母さん。
毎日お疲れ様です。

でもね。子供って思ったより子供じゃないんです。
見守りと放置の違いが分からない親御さんもいると思うけれど、一回お休みしてみたら良いんじゃないかな?と思います。

「自分の子供」ではなく「一人の人間として」向き合ってみたら、もしかしたら新しい感情が生まれるかもしれません。

第二次反抗期とかいうちょっと恥ずかしい時期

第二次反抗期は主に思春期に来ると思うのですが、半分子供半分大人のような非常に難儀で厄介な時期です。
大人に養われて、大人に守られているけれど、子供自身は大人ぶりたい時期なのです。自分一人でも生きていける、と思いがちなのです。
反抗することが「カッコいい」とか思っちゃう年頃なんですね。

ただ、ここで反抗期をしっかり経由できないと、大人になっても人様の顔色をうかがえない痛い大人になってしまいますので、親御さんからしたら踏ん張り時です。
甘やかさずに「良いことは良い、悪いことは悪い」としっかり叩き込む時期になります。

大人になってから「あ、アレは恥ずかしい事だったんだな」とお子さんが思えれば教育の賜物と言えるでしょう。

優しさ甘やかしは似て非なるものなので、混同しないように注意をしてください。
頼れる存在ではあるけれど、決してナメられないようにしてください。
親である前に1人の人間であることを伝えてください。
何でもかんでも許容していたら、潰れてしまいます。

感情が爆発しそうなときは、時間をおいてください。
感情的になっても話は良い方向に進みません。
話し合いたい時はタイミングをうかがってください。
要点をまとめて、話したい事を整理してから、冷静に話してください。

言葉にしないと分からない事、たくさんあると思います。
別の人間ですから。


実際どうすればいいのか。

〇〇をしたい←理想の自分
〇〇ができない←現実の自分

理想と現実って、近付こうとすればするほど苦しくなってくるんです。
理想に対して現実の姿が遠ければ遠いほど、自己嫌悪に陥ります。

見守りとか声かけって、されると嬉しいときと、重圧になってしまう時があります。
大事な存在であればあるほど、のしかかってくるタイミングがあります。

ただ「うんうん」と話を聞いてほしい時もあります。
↑聞かされる側は結構苦痛なんですけどね(笑)

壁に話して楽になるなら、壁に話してれば良いんでしょうけど。
それで解決するなら、多分精神病ってこの世にないんだろうなと思ってます。

人に話を聞いてもらって、肯定してもらえる。
受け入れてもらえるという事は、極端な話「生きていても良い」「存在しても良い」という自己肯定にもつながります。
人間の中にある承認欲求にもつながりますね。
とても大事なことです。

ただ親だから無条件にそれをしろ。というのはあまりに酷な話です。
何故なら親である前に人間ですからね。
でも親だから受け入れなければ、と思う気持ちもあるのは当然です。
親ですからね。
その気持ちが無い人も居るでしょう。
それでもいいと思います。

どう導けばいいんだろう?と悩むこともあるでしょう。
どうすればこの子にこちらの気持ちが伝わるんだろう?と頭を抱えることもあると思います。

私はこう思います。

一旦、本人の好きにさせてみればいいんじゃない?

冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、結局子供であっても自分とは別の人間なのです。
他人を傷つけるようなことをしたり、他人に迷惑をかけたりしなければ、何でも良いのでは?と最近思うようになりました。

何でもかんでも親がしてあげると、親が居なければ何も出来ない子になってしまいます。

学校に行きたければ行ってみればいい。
行きたくなければ休めばいい。
無理はしないで欲しい。
ダメそうだと思ったら帰ってくればいいよ。

学校に行くと決めた日。
どうして1日いっぱい頑張らないといけないのか。
午前中だけでもいいじゃない。
午後からでもいいし、なんなら1時間だけでもいい。

フルマラソンでいきなり全力で走ったらすぐ疲れちゃうのと一緒です。
何事も人それぞれペース配分があります。

それに合わせて自分が上手く付き合って共同生活ができるかどうかでだいぶ変わると思います。

個人的に分かりやすい例え話

個人的に想像しやすいのと言語化しやすいので、人生をRPGゲームに例えますね。

いわば、リリースされたばかりのゲームだと思ってください。
やり込み要素も含め、全部クリアが100歳だとして。
10代の子はまだ1/5もクリアしていない状態です。
しかもそのうちの半分以上はゲームでいう初期装備です。(新生児~幼児期)
最初の村をぐるぐる探索している状態なのかな。
攻略サイト(その子専用)も無ければ、バグ(つまずき、挫折、諦め)もあるでしょう。
裏ワザ(よりよいライフハック)を見つけることもあるかもしれません。

多くの子は小学校3~4年生とかになって、ようやく隣の村に行けるようになるんじゃないでしょうか。(稀に2~3個先の村に進む子も居ますが…)

面白いことに、同じゲームをしているのにゲームの進め方、楽しみ方って人それぞれで。

ポケ〇ンでいうと

・どんどん先に進みたい
・最初の町の隣の道路でひたすら野生のモンスターと戦ってレベルアップを優先してから次に進みたい
・色違いのポ〇モンを集めたい
・図鑑をコンプリートしたい
・個体値(モンスターによって能力の違いがあります)をより良いものにしたい
・サブイベント(やり込み要素)を楽しみたい
・ゲームのキャラクターやストーリーの考察をしたい


バトルだってそうです。

・属性を考えながら戦う(自分が有利な状態で戦う)
・縛りプレイでクリアしたい(条件を自分で設定して、より難しい環境でゲームを進める)
・有利とか不利とか関係なく自分の好きなモンスターでバトルをする

・覚えさせるのは相手のHP(目に見えている体力)を減らす技中心
の子も居れば
・バフ効果(自分の能力値を上げる)、デバフ効果(相手の能力値を下げる効果。目に見えて相手のHPは減らないが、バトル内で有利な状況を取れる)を使いながらバトルをする
子も居ます。

同じゲームをしているのに、こんなにもプレイスタイルが分かれるんです。
ある程度ゲームを進めていくうちに、バフ効果やデバフ効果の大事さが分かる子も居るでしょう。

人生も同じではないでしょうか。
違うところがあるとすれば…

・簡単にリセットができないこと
・ゲームのように答えがあって、都合よく上手くはいかないこと
・感情というものがあるので、ソイツに邪魔をされてしまうときもあること
・生身の人間なので体調も悪くなってしまうこと

くらいですかね。厄介な部分です。

ただ、一難去ってまた一難あるのはゲームも人生も一緒です。
大なり小なり目先のイベントをクリアしていった先にゴールがあるのかなと思います。

困ったときは周囲にヘルプを出すのも有りですね。
身近に頼れる人が居なければ、専門家が居ます。
市役所に行くと、つないでくれると思います。
でもその段階では、ただ攻略本を見ているだけの状態なので「この先このゲーム(人生)をどうプレイするか」はプレイヤーである本人に任せてください。
親はヒントや選択肢を出すだけにとどめるのが良いのかな、と。(勿論、例外はあります。※重度の障害を抱えていたり、自分で選択の決定が難しいとき)
明らかに間違えているとき(犯罪などモラルに反すること)だけ止めてあげてください。

親として出来る事

話は戻りますが、親として必ず教えなくてはいけない事って、実は思っているよりも結構少ないんじゃない?と思っています。
衣食住などの保証は最低限が前提として。

道徳的な部分です。

・挨拶はしっかりすること
・返事は相手に聞こえるようにハッキリと
・何かしてもらったら「ありがとう」
・相手を不快にさせてしまったら「ごめんなさい」
・自分がされて嫌なことは人にしてはいけない(親も含めて)
・人に迷惑をかけてはいけない

自分の気持ちを大事にしながら、人の気持ちも想像出来るようになったら人生楽になるのかな~と。
これのバランスが崩れると一気に難易度がハードになりますね。

結局何が言いたいか分からないまま話がごちゃごちゃになってしまいましたが…(ADHDあるある)

要はある程度本人の意思におまかせしてみても良いんじゃないかな。という話です。

突き放す、ではなく答えを求められたときだけアドバイスをする。という事です。

今回ポストで見たお子さんが不登校だけど「学校どうしようかな?」と答えを求めてきた場合の例だと

1.「行きたいと思っているならチャレンジしてみたら良いと思うよ。(行きたいというお子さんの欲求の承認)」
2.「やっぱりしんどいと思ったらお昼(もしくは午後だけ)で帰ってくるとかも考えてみたら?(ステップアップの提案)」
3.「無理だけはしてほしくないから、少しずつ一緒に頑張ろう(心配しつつも背中を押してみる)」

というのも手じゃないかな、と思います。

子供にとって「いつでも頼れる」「いつでも甘えていい」「親は味方になってくれる」という意識は非常に助けになります。

親に感謝できるようになるのって、子供が大人になってからのパターンが多いです。
私もそうでした。


あとがき

以上が第二次反抗期が最近終わった私(遅すぎ)が思ったことでした。
当時私が親に求めていたことも入り混じっているので、文章で書きだして俯瞰で自分を覗いてみた時に「自分ガキだな…」と思いました(笑)
なんだか無駄に長いうえに、支離滅裂な文章になってしまいましたが、誰かの目に留まって何かの助けになれば幸いです。

※あくまでも個人的な意見なので、個々に合わせてあげてください。

2024 2/19 まろ


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