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激しい「意味共鳴」の数々

ここまで激しい「意味共鳴(シンクロ)」を体験すると、「これは真実である」と確信するにも係わらず、ある種、絵空事に思えてしまうから不思議です。

そう、誰とも共有できな真実は、「存在しない」と同じと感じるからです。

それは「関係の意識(相対意識)」である脳の思考が、そうさせるのは明かです。

それはまるで、多くの人の現実と共に生きながらも、ひとり「次元がずれた位置」に居るかのような感覚なのです。

常識が誰とも合わないのですから、孤独(孤高?)になるしかありません。

スピ嫁でさえも、全てを共感することは不可能なのです。

彼女は、私のブログをあまり読みたがりません。

書き方にも難があるのかも知れませんが、あまり理解が及ばず、内容が曖昧だと感じているようです。

彼女は自分を瀬織津姫や市杵島姫命などの、弁財天系の系列だと感じていて、「あきこさん」と言うユーチューバーにシンパシーを感じています。

まあ、それはそれで納得する部分もあり構わないのですが、「思春期の息子との向き合い方」が難しくなってます。

息子にどう伝えるべきか、伝えるべきでないかに逡巡しています。

今までは、単なる趣味で済んだのですが、ここまで四方から理詰めで来られると、軸足を「現実」と「真実」のどちらに取るかで、社会との折り合いが微妙になります。

従いまして、今のところ「ダブルスタンダード」で生きるしかありません。

「アクトゥリアン評議会」からは、もう『体験の開示や情報交換だけでは不十分だ』と、ダニエルさん経由で、お互いが意図しないダメだしがありますし、正直どう対処すべきか戸惑うばかりです。

おそらくブログに「いいね!」を下さる方々も、共感できない戸惑いがあるだろうと思います。

たぶん「メンヘラおじさん」か、「私小説の創作の類」と思われているのでしょう。
何を書いても何を撮っても、何でもありのネット社会では、「虚構と現実」が曖昧になり易く「真実」を伝える事が困難になって来ます。

もう情報の真偽を見分ける方法が「自分軸」しかない状況が、すぐそこにまで来ています。
この軸を「心柱」に求めるしかない状況が目に見えるようです。

普通に生きたいと思うなら、「私に出来ることは限られている」と言わざる負えません。

まあ言ってしまえば、「地球外霊的知的生命体」を真剣に信頼しようとする行為ですから、仕方ないと思います。

ですが、割り切ってしまえば私の周囲の状況は、楽しい事ばかりです。

経済的には楽ではありませんが、何とかやり繰りでやれてますし十分に人生を楽しめます。

考えようによっては、毎日が「琵琶湖湖畔観光」とバスによる「京都市内観光」三昧です。
休日には、京都周辺なら何処でも行けます。
月に一度は、天龍寺で座禅も体験できます。
全てのアクセスが、自転車だけでOKです。

仕事もニッチながらも技術集約型で、給料は安いものの時間に余裕がある好条件にあり、毎日がほぼ定時退勤です。

通勤の経路も混雑とは真逆に方向で、京都駅からはほぼ座って通勤可能です。

こんな好環境は、どんなに探したとても探し出せるものではありません。

これも「アクトゥリアン評議会の意識エネルギー」の影響だと考えると、妙に納得が行く現在の状況です。

ひとつ難を述べるとするなら、「孤独である」と言った状態にあります。

友人も多くが関東に居り、紆余曲折を経て、価値観が大きく変わってしまいました。

「贅沢な悩みだ」と言われれば、返す言葉もありません。

「アクトゥリアン評議会」の指摘の様に、意識を高次元に保ちながら光を周囲に放つには、打って付けの場所と状況と言えます。

ここ京都にたどり着くまでの紆余曲折と、先に書いた現在の状況の全てを考え合わせれば、「アクトゥリアン評議会」を否定する気持ちには全くなれないのが、ご理解いただけるかと思います。

もしお互いに折り合いがつくなら、皆様ともご一緒に、「上と繋がる新しい生き方」について、語り合えれば幸いです。

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