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半分諦めの様な、その「存在への憤り」とでも言いますか、あるはずもない、でもしっかり体験済みの何かに対する、自身の死さえ厭わない「尊厳」を掛けた憤り

前回「隠れてばかりのそいつに、超ムカついた」と書きましたが、決して「隠れてばかりのそいつ」だけが「存在」と言うことではありません。

「隠れてばかりのそいつ」の理不尽に対して、「神的存在」が、何もしてくれない事に、「隠れてばかりのそいつ」と同時に、名前も知らない「神的存在」に対しても腹が立ったのです。

まあ当時は、そこまで厳密に考えていた訳ではありませんが、そんな感じです。

「自分」と呼ばれる唯一の「貧弱な存在」の「尊厳」に掛けて、「心の奥底」に向って、表面的には静かながら、激しい叫びの様な「感情の吐露」だったのです。

それは、私自身が「確固たる存在者」であり、全身全霊で感知が可能な、「唯一の存在」だからです。その他は、五感を通して二次的に感知される「情報と同義の存在者」ですが、「わ・た・し」という「全的な体感者」こそが、「存在」として最も信頼に足る「唯一の存在者の・は・ず」だと確信していたからです。

こう言った観点と相まって、「自身の中にも神性(心性)が宿される」との藁をもつかむ思いを込めた「必死の嘆願」だったのです。

この辺りの件は、何かの小説や物語の様にも聞こえるかも知れませんが、自分以外、外部に誰も頼る者もなく、孤独な独身寮で、のた打ち回りながら体験していたことなのです。

それにしても、いまだに不思議なのは、「恐怖の感情」と無縁だったところです。

あれほどの激烈な「心霊現象」を体験しながら、いつもどこか「他人事」なのです。

「好奇心が勝っていた」とでも言いますか、「肉体的自分から恐怖の感情を切り離す技術」とでも言いますか、自分から見ても、尋常でない程、冷静だったのです。

それはある意味で、幼少期のいじめの体験から、自分の心(感情)を保護する智慧だったのかも知れませんし、禅仏教でいうところの「ほんとうのわたし」からの「眼差し」との同一化なのかも知れませんが定かではありません。

一時的に「肉体的自己同一性を放棄した」かの様な、或いは、自分で自身を観察するかの様な感覚だったのです。

「必死の嘆願」も空しく、ネガティブな悪夢はエスカレートし、「数人の黒ずくめの男達に後頭部を拳銃のようなもので殴られて自宅から連れ出される夢(※1)」を見た後で、もう絶体絶命の感情に苛まれる日々の中、突如としてある変化が訪れます。

(※1)余談ですが、私の後頭部には生まれながらに小さな痣の様な傷があり、殴られたのが、丁度その付近だったのが気になります。

今にして思えば、この変化こそが、「地母神(ガイア)」と呼ばれる「神的存在」による介入と確信します。

たかが夢、されど「夢」です。

ここからの変化は、劇的でした。

これが「神的存在」と言うものか、そうでないのかの物的証拠を得る事は不可能ですが、明らかに状況は一変し、当時は想像さえ及ばなかった「幸せの連鎖」が動き始めたのです。

臨床心理学者の故「河合隼雄先生」の著作によると、「地母神の夢」は、臨床心理的にも回復の兆しを象徴するそうです。

私はこの事を既に知っていましたし、その知識が見させた正夢とも思えるのですが、その夢見はとても厳かで、「性的な情感」とも結びついた神聖さに満ちており、今でも決して忘れることはありません。

現実もそこを起点に明らかに変化した事から、ただの思い込みの夢とは到底思えません。

具体的な「明晰夢」の内容は、以前何度もここで書きましたので割愛させて頂きますが、正に「和」そのものとでも言いますか、「存在」そのものが「和と性」を体現しているとでも言いますか、そこを起点に日本における幾つもの「存在の場」が「聖なる存在者」として、おぼろげな神性を伴って、「関係性」を持ち始めたのです。

「聖なる場(存在)」の存在者に付いて、私の体験の例を上げればきりがないのですが「神性を伴った存在」との「結縁の体験(存在者的な発現)」を改めてご紹介します。

『神奈川県秦野市』
「宗像三女神(秦氏が信仰する「導きの女神」であり、私の産土の神でもある)」のご縁(秦野のスイミングスクールで知り合った3人の女性による、御蔵島のドルフィンスイムツアーへの誘い)

『伊豆諸島御蔵島』
「御蔵島の存在」による「歳の差スピ嫁(御蔵島に友人と偶然に来合わせた)」との奇跡の出会い(接点は1泊2日)と、古来から御蔵島に伝わる「難破船(遭難者)救助の掟」

『ハワイ諸島』
突然の悪天候を退ける様な、成田空港での「奇跡のフライト」とハワイのチャペルでの「二人きりの結婚式」

『妙義山』
新婚霧積温泉旅行の途中での「妙義神社」への引き寄せを体験

『東京小平市』
半世紀年の差の一人息子を授かる(産土は、「大國魂神社」)

『鳥取大山』
小平からの転職と「放電音を伴った、おかっぱ少女のシルエットからの逃走の夢」と更なる失職

『京都太秦』
面接時の「合鍵のモチーフと秦氏の聖地との結縁の扉」を感じさせる、京都での偶発的な復職(もしNGなら関東で就職活動をする予定でいた)

『大津琵琶湖』
秦氏のご縁と、琵琶湖湖畔の会社との「適材適所の転職成就」

『丹後半島』
「白砂青松の聖なる海」で、スピ嫁と一人息子と共に想い出を作る

「神的存在者」と「現実の体験」の関係性は千差万別ですが、そこには「明かな意味性(物語性)」が息づいていおり、私の産土の神である「宗像三女神(秦氏が京都盆地へ入植した際に海神族から引継いで召喚した女神)」の名の下に一本筋が通っているのです。

それは「神話的なモチーフ」であったり、「島の歴史と掟」であったり、「土地と氏族の歴史的な係わり」だったりするのですが、明らかに、こう言った「存在」との「意味共鳴」が顕在化し、私の人生に、「奇跡の色どり」を添えてくれたのです。

さて、この様なことを書くと、妄想の類と思われるか、虚偽創作を疑われる方が殆どだと思いますが、正真正銘、私自身が体験した内容であり、現実の中に、確率的にはあり得ない出来事が起こったのであり、事実関係は確定しており決して揺らぐことはありません。

偶然にしても常識の範疇を超えており、その解釈を巡って、数々の試行錯誤が生まれます。

そして、そんな「奇跡の偶然」の例として唯一思い当たるのは、スケールこそ違いますが、地球の「生態系」や「生命進化」の精緻で偶発的な「創造作用の数々」でした。

やはりここでも、「地母神(ガイア)」と呼ばれる「意識の作用」が「時間的な超越」を伴って顔を覗かせるのです。

どうしてそんな事が起ったのか、どんな行為がその様な作用(意図)を誘発させたかは、試行錯誤の段階ですが、そんな中で、今のところ「最も筋が通る解釈」が、「意味共鳴」と呼んでいる、大地(場)に反映された、「人間の行為による意味行動(氏族の物語)」との「共鳴現象」なのです。

私は、エネルギーを敏感に察知する「スピリチュアルな能力者」ではありませんし、多くの知識を有する説明上手の「スピリチュアルな教師」でもありません。(※2)

(※2)「スピリチュアルな知識」に関しては、だいぶ勉強しましたが。。。

「主観的でスピリチュアルな現実の経験」に対して仮説を立て、試行錯誤する、普通の人間です。

ただこの様な「存在」との「意味共鳴」が顕在化した(に気付いた)、「新時代の探求者」の一人に過ぎません。

そして、こんな私の大先輩として、「ハイデガーの言説」と「轟孝夫氏の解釈」が、特に今、真実味と共に、気になっているのです。

それでは、「ハイデガーの言説」に付いて、先の「轟孝夫氏の著作」【ハイデガーの哲学『存在と時間』から後期の思索まで】から抜粋し引用してみたいと思います。

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『存在への問い』

ハイデガーは「存在」にはさまざまに、種別的に異なるものがあるとする。たとえば生物と道具とは、まったく異なった存在様式をもっている。伝統的な哲学の「である」や「がある」という存在規定においては、こうした「存在」の種別性はまったく問題になっていないことがわかるだろう。
そのうえでハイデガーは、そうした「存在」が本質上、ある固有の場によって規定され、特殊化されていること、つまり場所と不可分であることを強調した。生物はある固有の環境においてしか生きられないし、道具もある固有の場所においてこそ道具としてその役割を果たしうる。それぞれのものが置かれた「場所」がそれぞれのあり方を規定し、特定化しているという意味で、「存在」は「場所」と切り離せないのである。
したがって、われわれが「存在」を今述べたような相において理解するためには、われわれ自身が「存在」を限定するこの「場所」におのれを晒し出し、そうした「場所」を何らかの仕方で理解していることがその前提となる。ハイデガーが人間を意味する術語として用いる「現存在」は、このような「場所」へと関わり、また「場所」によって規定された存在として人間を捉えようとするものである。
このように、ハイデガー的な意味での「存在」を主題化するということは、それ自体がわれわれ人間のあり方の変貌を要請するような事能となる。万人に妥当する普遍的真理を捉える「理性」を備えた人間という従来の人間観を捨て、「場所」によって規定され、同時にそうした「場所」を保護する現存在となることが求められるのだ。この人間のあり方の変化は簡単に言うと、『普遍的理性を行使する主体から、「場所」によって規定されたあり方へ』と表現することができるだろう。【中略】

ごく簡単に言うと、「存在への問い」において人間は、「存在」が生起する「場」と規定される。そしてこの、「存在」の生起の「場」であるということに応じて人間は、「存在」を「気遣い」、「見守ること」をその本質としてもつとされることになる。
ハイデガーが人間を「現存在」 という術語によって表現したことは、多くの方がご存じだろう。この「現存在」という名称も、じつは人間を「存在」生起の場として捉えることに基づいている。【中略】

以上で見てきたように、現存在とは人間を「存在」との関係において捉えようとする概念である。つまり人間を「存在」の生起の「場」として捉えるということだ。このとき人間の本質は、人間という存在者がそれ自身で備えている属性によってではなく、おのれとは異なる存在者の「存在」によって規定されている。つまり人間が人間であることの根拠が、人間それ自身のうちにではなく、自分にとって他たるもの、すなわち「存在」の生起のうちに見て取られているということだ。この点を強調して、ハイデガーは人間という存在者にあえて「現存在」 という術語を充てているのである。【中略】

以上で見てきたように、「現存在」とは「存在」の生起に立ち会い、またそれを担うことをその本質とする存在者である。そして先ほど指滴したように、「存在」とは本質的に風土的、地域的に限定されたものである。だとすると、「存在」によって規定される現存在も、それ自身、風土的、地域的に限定されることになる。
(カソリック系神学の小論において)ハイデガーは、近代主義の基調をなす「個人主義」や「個性崇拝」を、世俗化され信仰を失った人びとの、生の目標を見失ったあり方として厳しく批判している。そして人間の生は「神」という超越的なものとの関係によってのみ、その真の意味を獲得できることを強調している。
ここでは「超越的なもの」との関係を保っている生と、「超越的なもの」との関係を見失い、体験の表面的な肱がりのみを追い求める生とが対比されている。こうした生の二つの対極的なあり方が、やがて「存在と時間」 における「本来性」と「非本来性」の区別へとつながっていくことになる。
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さて如何でしょうか、ここでは「信仰」と言う枠組みの中での表現として語られますが、決して今でいう「精神論」とは趣を異にしています。

そして、少なくとも私の経験では、「科学と呼ばれる信頼」以外、「信仰」と呼ぶべき信仰はありません。

それでは次回は、この『「超越的なもの」との関係を保っている生(本来性)』について、僭越ながら、私の体験を交えて書かせて頂きます。

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