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『五重塔の心柱にまつわる共時的な意味連関』


ここ京都も、今年はお祭りの殆どが自粛で寂しいかぎりです。
とても京都とは思えない秋の訪れです。

千賀一生氏の『0(ゼロ)フォース』を読んだときに感じた「共時的な意味連関」についていろいろ書いていますが、ほとんどの方が「ドン引き」ではないかと思います。
まあ、誰も共有できない「境界性妄想の一種」ぐらいに考えた方が無難なのは確かです。
ですがもし、これらの体験に、真実が隠されているとしたなら、その可能性は絶大です。私はある意味その可能性を信じるがゆえに、しつこく、この様な際どい体験を書き綴っているのですから。

さて以前「自立体の確立にまつわる共時的な意味連関」のところで、「真言の心柱の夢」の解釈が、五重塔の心柱と関係していると書きましたが、まさに空海さんの「神秘思想」にもある、「現実」と「夢」とが、ある種、混交した状態で連関し合っています。ですが、混交と言っても無秩序な混沌状態ではなく、はっきりとした区別があるのです。
この状況は、「関係の意識」と「場の意識」のコトバが概念化を試みる秩序ある混交です。通常は、「分離した状態」で、決して連関し合わない出来事が、一つの「統合した状態」として、理解されるのです。

私は「心柱」とは、意識の「中空構造」に芽生える、「心の御柱」だと認識しています。これらは、五重塔の構造の中に、象徴的に表現されています。

私は、「真言の心柱」の夢の中で、その漆黒の柱をはっきりと見たのです。そして漆黒の柱の下に穿たれた鍵穴型の穴も。そこには、細かな木の根がはみ出しており、そのリアルな様子までが見て取れたのです。そしてその上部に穿たれた「真言の」の文字。。。これらの文字も、深くしっかりと穿たれており、まるで神社や仏閣の入口に佇む、「門柱(石柱)」の様でした。
そして、これらの夢が醸し出す空間の全体が、一つのメッセージとして感じられたのです。目覚めた直後のその不思議な感覚を今も忘れません。夢というには、あまりにそのディテールがハッキリしているのです。そして、この夢が現実へと連関して行く様子は圧巻です。どんな物語よりも、体感的な感覚に溢れているのですから。。。

これらの意識の芽生えは、日本語を母国語とする人々に有利に働くと思われます。それは、普段何気なく使っている言葉の中に、仏教(心の文化)由来のコトバが、多く含まれるからです。英語を母国語とするから出来ないのではなく、考えを巡らす上で日本語の方が、その意識の構造にアクセスしやすいと感じられるのです。
言葉自体は、世俗化(次元水平化)されており、本来の意味からずれてはいますが、そのエッセンスは、潜在し続けています。

空海さんが大陸からもたらした仏教(真言密教)の文化は、「五重塔の心柱」や、その他多くの宗教建築や思想を通して、私たちの進むべき方向を、示してくれていると思います。

そんなことを考えさせられた、「意味連関」な出来事でした。

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