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『思考にまつわる共時的な意味連関』

千賀一生氏の『0(ゼロ)フォース』を読んだときに感じた「共時的な意味連関」についてのつづきです。

言語によって、思考の仕方(意味の捉え方)が変わって来るのは、心理学の分野では一般に知られたことです。特に「西洋の言語(代表として英語)」と「東洋の言語(代表として日本語)」では、その傾向が顕著に現れます。私は、「関係の言語」と「場の言語」との表現を使いますが、「矛(ほこ)の言語」と「盾(たて)の言語」との表現も可能かと思います。資本主義が、対立と攻撃性による切磋琢磨を主体とするのも、「矛の言語」である英語から発した文化であることを考え合わせると、納得が行くのです。
「一神教の精神」と「多神教の精神」の違いも、同じ文脈から理解が可能です。

臨床心理学の側面から見た、日本語と日本人に付いての話しは、元臨床心理士の春井星乃女史のHPが解りやすいのでこちらをご覧ください。

「日本人のあるべき本当の姿とは?」
http://ideapsychology.net/2020/04/05/synchro/

もう一つの例としては、「騎士道精神」と「武士道精神」の意識の違いがあります。騎士と武士は両方とも主に集う武力集団ですが、その大義のあり方が「矛」と「盾」なのです。騎士道は、「円卓の騎士」に象徴される様な「侵略や生の大義」が中心です。翻って武士道は、「葉隠れ」に象徴される様な「守護や死の大義」が中心となります。これらは「封建社会」の在り方にも大きな影響を及ぼします。詳しくは書きませんが、この様な「文化的な傾向」は、随所に見られます。

そうそう書いていて思い当たりましたが、日本語には「守護神」と言う言葉はあっても、「侵略神」と言う言葉はありませんね。

私も『「HARA」と「中空構造」にまつわる共時的な意味連関』のところで、「日本人の心」を形作る「中空構造(故河合隼雄先生)」について書きましたが、これらも全て、「心の中空構造」や「真言の心柱の夢」の文脈にも沿っているのです。

私はこれらの地球規模の傾向を、大地が表現し「人間の無意識」に作用する「意味共鳴の現象(意識エネルギー)」だと認識しています。

まさに千賀一生氏の『0(ゼロ)フォース』とも共時的に「意味連関」していますし、前著である『ガイアの法則』とも「意味連関」しています。これらの出来事は、「関係の意識」と「場の意識」と呼んでいる、「新たな言葉(真言❓)」による思考に沿って、成立しているのです。

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