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ワイ、人間になる。


今日は人間らしい1日だった。

恋叶わなかった人のそれと言ってよい。


・朝11時

隣の部屋の留学生が帰国する。彼とは10ヶ月ほどお隣さんだった。バルコニーで一緒に飲んだ夏夜や、運動場で懸垂に励んだ日々が懐かしい。僕は最後の挨拶として、彼にはがきを手渡した。簡単なメッセージが書いてある。彼は一瞥すると、ありがとうと言って、それをリュックの外ポケットにしまった。握手を交わすと僕は若干涙目になっていたが、湿っぽさに執着しないのが彼のいいところだ。エレベーターの扉が閉まるのに合わせて彼の姿は細くなっていき、すぐに消えた。隣の部屋にはもう誰もいない。大きな体が壁にぶつかる音はもう聞こえない。


・昼13時

近所の洋菓子屋さんに行ってみる。前々から行こう行こうと思っていたのに、結局行ってなかった店。オススメのシュークリーム、LLサイズを1つ買い、その足で近くの公園へ向かう。24歳大学院生、平日の昼下がりに1人公園のベンチに腰掛け、無人の遊具と薄墨色の空を交互に見ながら、シュークリームを頬張る。サクサクの生地からカスタードクリームが溢れ出す。「甘いな。」曇空よりも無表情な感想が空を切る。ため息を1つ吐く。何やらバタついていたハトが飛び去るのを見届けて、公園を離れる。


・昼15時

火曜市で食材を買い込んだ後、ジャンカラへ向かう。人生初めての1人カラオケ。以前から企んでいたけど結局延期していた、ヒトカラ。2時間で申し込む。最近マイブームのあいみょんや、その他ラブソングをぶっ通しで歌い続ける。僕は歌が下手、というか、自分の歌声が好きではなかった。でもさすがに2時間歌い続けると、慣れてきて、自分の声が聴けるようになってくる。音程はガタガタだけど。安室奈美恵のLove Storyとレミオロメンの粉雪、Superflyの愛をこめて花束をにハマる。結局、30分延長を2回したから、トータル3時間。声が潰れるってこういうことなのかと知る。


・夜19時

誰にも使われずケロリとした共有キッチンで、晩御飯を作り始める。ここでもスマホから音楽を流す。あいみょんの恋をしたから、加藤ミリヤのAitaiはかなり切ない。秦基博のひまわりの約束はあたたかい。今日のメニューはさんまの開きに片栗粉をまぶして焼いたのと、ニンジンとちぢみほうれんそうとしめじの中華炒め。どっちも初めて作ったけど、うまかった。どんな時でも腹は減る、それが僕という人間らしい。


・夜22時

noteを書いている。今は無音だ。正直、切ない。ため息が出る。あの笑顔を忘れたくなくて、頑張るけど、輪郭が薄まっていくのを感じる。やり切れないから、音楽に隠れ込もうとするけど、時間様はそれを許さない。

「時間が解決してくれる。」

そういう言い方もある。時間が癒してくれなかったらどうしようもないような出来事の1つや2つ、僕だってこれまでに経験している。だけど、時間に癒されてしまうのが、怖い。この気持ちは一過性のもので、多分しばらくしたら、跡形もなく無くなってしまう。ため息をつくこともなくなり、同じ恋歌を聞いても今と同じように悶えることもない。あの人の声も笑顔も、今日別れを告げた友人も、いずれはきれいに美化された記憶の中にあっさりと丸め込まれてしまう。時間治癒は人が生きていくために必要なことなんだろうけど、今僕が持つこの想いは徐々に薄まっていき、いずれは忘れ去られるかもしれないと思うと、切ない。



時間治癒なんてなければ、人間は美しくなれるなのに。

覚えていなければならないことを、忘れることなんてないはずなのに。

そう思う。



何はともあれ、ひとまずあなたに感謝を伝えたい。

ここ何日かで、僕はちゃんと人間をやれた気がする。

ありがとう。