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27歳だった僕が数百名の部署を解散させ、数名の人物を死なせるきっかけを作った話

約4年前のことで自分自身を向き合う為にこの記事を一旦書くことにする

今自分が勤めている会社では前の会社での話

その会社は数千名の大企業なのだが、僕が入社してからその会社を辞める約5年間で株価が4倍になっており、僕が会社を辞めた現在も株価を見たら辞めてから2倍になっていた。

僕が入社してから4年目の時に、新規事業部門の中国市場立ち上げのメンバー選ばれ異動した。

既存事業に関して中国市場は既に成功しており、新規事業も同様に中国市場を広げていくことは不自然ではなかった。

僕の役割は市場導入計画を作ること、その内容に従って会社は物を生産し販売支社は販売を行いPR活動を行った。

結果的に中国市場の立ち上げはうまく進み日本国内で4年ほどで出した実績の2倍近くを1年で出し、更に新規の製品も日本より1年遅れで出荷したが日本以上の実績を叩き出していた。(僕が辞めた後も工場での生産が間に合わない量の需要が出ているので大成功だったと思う)

事業の中で利益を多く出す製品群だった為、僕らの会社内での立場は大きくなり他の事業本部も僕たちと同じ部署構成に変更した程であった

その中で起こった出来事

僕は会社の命令で新規事業の中での新製品の中国の需要と導入計画を作成するように指示を受けた

しかし、対象の製品は既に日本では数十年前に出しており製品としては需要が無いことは明確な商品だったが、OEMで他社に製造させていたので立場的にメンツが立たない状況だった

その製品を新しいものとして今ノリに乗っている中国で販売することで利益を稼ごうというのが自社での考えであった

実際に計画する際には必ず周囲や顧客元にヒアリングを行う。その製品を作り上げた人達の意見はそれが中国で大きく売れる訳が無いが大半だった

しかし、僕らの本部自体は流れに乗っている為にOEM先の在庫は必ず売れると確信を持っており、否定派の意見は黙らせ(むしろ、攻撃的に言って)自分達が正しいから必ず売ること、現場をわかっていない人物からの意見なんて役に立たないとばかりのスタンスを取っていたと思う

そして、OEM先に製造してもらう為に僕が提出した数字は5年間で日本市場の100倍近く売り上げるという計画を提出していた。

この数字に対して疑問に思っていた人物は多くいたが、調達部門はその数字を約半分にしてOEM先に提出した

OEM先からはその数字を製造して会社を大きくする夢をもち、生産ラインを2倍以上にする工事を行い生産を行ってくれた

そして実際に販売開始からの2年間で出た売上だが1年間で0、2年目で日本の10分の1に届かない数字になった

結果に対して社長から責任の追求があり、僕は役員までに報告に行った。そして、報告書を関係者は作る状況が続いていた(その時に初めて名前が黒塗りになっている書類を見た)

2年目でそれでも少しでも結果を出そうと動いていた時に自分の元上司の同期が鬱になって自殺をした

自分はその報告を現地の中国にいる時に聞き、横にいた亡くなった人の同期の方に口頭で報告をした

また、数ヶ月後に製品の販売担当者が電車に轢かれたという連絡がきた

酔っ払って電車に轢かれたと言われたが、その人が帰る方向とは違う方角であり、社員としては本当に誤った事故なのかはその時不思議に思っていた。

更に近い時に別の販売担当者が過労で心筋梗塞で亡くなった

明らかに自分達の人間は疲弊していた。

最終的にはOEMの製造した商品と設備を買い取ることで合意、会社として過去最大である1製品群数億円の損失を被ることになった。

そして、その責任を取る形で役員は顧問に代わり、部長陣は全員違う部署に異動することになり数百人いた事業本部は解散することになった。

そして会社として大きく再編成し、僕は違う事業本部に昇格をして配属された

自分に対してどのように接したら良いかわからない周囲もいる環境の中、僕は祖父の介護が偶然重なったことも理由があり、現在の会社に転職した。

自分の中ではあの時の数字が全てのきっかけであり、他人の人生をめちゃくちゃにしたあの事件については今でも反省はしている。部署が解散になった時はほぼ毎日泣いていたし、一緒に同僚が飲んでくれて慰めてくれた。

当時の担当者やメンバーは今でも連絡をくれるしたまに実家に寄ってくれる。皆が口を揃えて話してくれたのが「あの時は楽しかった。あのメンバーでまたやれるならやりたい」と言ってくれて、その言葉に何度も救われた。(自分が会社を止める時も一緒に泣いてくれたのは本当に嬉しかった)

恩返しになればと思って今僕は大学の就職支援の活動をしている。そして、必ず念頭に置いているのが「相手に無理を強要させない」ということだ

無理をすることは相手に取って苦痛でしかない。あの時は数字を達成する為に反対意見をくれた方には大きな声で反発したし攻撃的に矢面に立たせていた。実際に何名か泣いている姿も見ていたし、それが甘えだと思ってしまった自分がいた。(口癖も自分がやられるくらいなら、先に相手を潰せと口癖で言ってた)

今の自分ならそれが間違っていると注意できるし、相手の人には謝るチャンスがあるなら謝りたい。

夢を語るのは良いがそれを相手に強要させない。それが自分が持っている仕事のスタンスである。

長文で自分の考えて書かせていただいた。文章としてだらしないし、賛否両論があると思うが自分の心の整理で書かせていただきました。

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