「私は普通だよね」を確認する会話

僕が生きる世界は非常にせまい。

そもそも今回の前から、僕はリモートワークだったし、妻以外のほとんど誰とも合わないような暮らし。

だから、「たまには他の人と触れ合わないと、まずいんじゃないの?」という思いにとらわれることがある。

「閉じた世界で、偏った思想をもつオジサン」
やばそうじゃないか。

そうして、濃厚接触を求めて、時々、オジサンは外の世界に飛び出していくのである。

「私(私達)は普通だよね」

「ちょっと聞いてよ。この間さ、こんなことを言われてさ」
「えー、それはひどいね」
「そうでしょ!」
「うちの会社さ、こうなんだよ」
「えー、おかしくない?」
「そう、おかしいんだよ。」

外に出ると高確率で出会う、こういう会話。
いや、なんというか、外の世界では、むしろ、こういう会話がほとんどを占めたりする。

基本的に、意図しているのは、

「私は普通だよね」
「私は悪くないよね」

の確認。

そして、
「悪いのは、あっちだよね。」
「あの人、おかしいよね」
という結論になれば、なお良い。

責める相手が人であれ、組織であれ、意図していることは同じ。

「自分の位置の確認」と、
「バックアップしてくれる味方の確認と取り込み」だ。

どこにもいけない会話

ただ、この会話、受ける方にとってみれば、得るところがなにもない。

話している相手は、「自分はやっぱり正しかったんだ」「おかしくなかったんだ」という確認が得られるけれど、こちらにとっては、その踏み台にされているだけで、何も残らない。

それどころか、慣れていない僕のようなピュアな人間は、その人に同情してし、その人の身になって考えたりして、ストレスが溜まったりしてしまう。

もちろん、通常は、こちらのターンがある。

自分がおかしくないことを充分に確認したら、僕がおかしくないことを教えてもらうエピソードを投げかけるターンだ。

これでおあいこ。

だけど、普通であることを諦めてしまった僕は、そのターンがない。

ターンがないついでに言わせてもらえば、この会話は発展性がないことも気に食わない。

この会話を毎日、何年続けても、何もない。
どこにもたどり着かない。
僕も、その人も、置かれている状況は何年経っても変わらないだろう。

こういう会話に満ちている

だが、世間はこういう会話に満ちている。

今日も喫茶店で、この会話を聞いた。
延々と、この会話を続けていた。

設定が変わるだけで、常に、話の内容は一緒だ。

僕の周りにも何人かこういう人がいる。

話を聞くと、確かに、その人に同情すべきだし、その人が正しい。

だが、人は話を捻じ曲げるもの。
双方の意見を聞かないと、分からない。

もし、話を捻じ曲げていないとしても、何年も同じ話を愚痴らなくてはならないような状況に、毎回、陥っているなら、その人が悪いんじゃないの?って思う。

アドバイスや反論はご法度

しかし、もちろん、この会話での目的は「ちゃんとしたアドバイスが欲しい」「正論が欲しい」というわけではない。

話している人は、そういう自分も好きなのだ。
これは事実かどうか、本当に自分が普通かどうか?が大事なのではない。

もし、よしんば、ちゃんとアドバイスをしたり、反論してしまったりすれば、感謝されるどころか、あなたが、次の「あの人、おかしいよね」「あの人に、こんなことを言われたんだけど・・」の標的になるだけだ。

できることは限られている。
この会話を仕掛られた時点で、詰んでいるのだ。

話している問題自体だって、大した問題ではない。

そして、話している問題自体だって、大した問題ではない。

次に「そういえば、あれ、どうなったの?」なんて聞けば、「えっ?ああ、あれ?あれはまあ、なんとかなったけど・・・、そうそう聞いてよ!」と別の仕掛けが来る。

だから、もう仕掛られた時点で、「へぇー」「ふーん」と話を聞くことが僕の役目だ。

その役目に浸りながら、「ああ、これがほとんどだったんだよな」と思い出す。

いいのだ。
人間関係というのは、えてして、こういうものだろう。
誰が味方か、誰が敵か?自分は合っているのか間違っているのか?を常に把握しておくべきなのだろう。
題材は何でもいいのだ。

僕と違って、みんなは濃密な人間関係の中で生きている。
自分が他人と違えば、爪弾きにあってしまうだろう。

また、小さい頃から、「変わっている」と言われ続けた僕はそもそも「普通である」ことを諦めてしまっている。

だから、この会話をされると、「別に普通じゃなくてもいいじゃん」と言いたくなるけど、「みんな、状況が俺とは違うんだよな」とごっくんと飲み込む。

たまに反抗してみる

だが、限られた人生の時間をそれに費やされるのは、我慢ならない。

だから、たまに反抗してみたくなる。

これが僕の悪いところ。
といいながら、そう思っていないのは、この会話を仕掛ける人と一緒だ。

「ちょっと聞いてよ。この間さ、こんなことを言われてさ」
「ンー、フン?」
「いやさ、こういうことをさ」
「オー、yeah?」
「お前、ふざけんなよ」
「聞いてくれよ、うちの会社さ」
「えー、それはお前、全然悪くないよ」
「まだ、何も言ってねえよ」

まあ、だいたい、怒られるんだけど、少なくとも、この会話は拒否できる。

これを繰り返していくと、だんだんとこの会話を仕掛られなくなり、ひとりぼっちになっていきます。

少なくとも、「話を聞いてもらいたいな」という時に思い浮かぶ顔ではなくなる。

「あいつ、おかしいからな」
「あいつ、変わっているから」
何をやっても、そう言われてきた僕には、もうそのターゲットにされようが構わないので、この会話をどうぶち壊してもいいのだ。

まあ、時々、お呼ばれとかしちゃって、こういう会話に参加しなくてはいけないときがあるんですけどね。

こうして僕は世界へと戻っていく

「ああ、そうだった。そうだった」
「こういう感じ。こういう感じ」

こうして自身の偏りを解消した僕は、また閉じた世界に戻っていく。





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