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4,すべてを受け入れて生きていく:クワガタから学ぶ人生

前回までで、僕の「森の上の方」の環境には「ノコギリ クワお」「ビバお」「ビバ子」「ビバ美」「コクワ コクワお」が「カラフルゼリー」を食べて暮らしている。

代わり映えしない日常の中で

小さな虫かごの中で、5匹の代わり映えしない日常を見つめていると、「あれっ」と思うことがあった。

ビバおの足の鉤爪が一本無いのである。

確かに、時々、威嚇しあっているのを見ることはあるが、ビバおの体躯は圧倒的である。

だから、大抵の場合、威嚇だけで、実際の戦闘になることはない。

さすが、自然界はよくできている。
滅多に実戦はない。

実は僕も格闘技をやっているのだけど、大人同士のスパーリングをすると、気をつけていても、まあ、よく怪我をする。

「怪我するのは下手だから」とも言えるのだが、何かの拍子に1週間ほど痛むようなケガをすることはしょっちゅうある。

実戦ではなく、スパーリングでこれなのだから、試合になると、無事に帰ってこられる方が少ない。

そう考えると、喧嘩っ早いヤツは何を考えているのか。
実際に喧嘩をすれば、骨折などは簡単にしてしまう。
喧嘩っ早いヤツは、実際は喧嘩をしたことがないのではないかとすら感じる。

だから、自然界では、威嚇が大事だ。
これを忠実に守っている僕のクワガタ達が、ケガをするとは思えない。

「おそらく、生まれつきだろう」

続出するケガ人

数日後、改めて、ビバおを見てみると、もう一つ、鉤爪がないではないか。
何ということだ。
そして、何というペースだ。

他の連中を見てみると、クワおも一本無い。
ビバ子も一本ない。

エサもあり、充分な広さもある。
喧嘩は威嚇だけだ。
なのに、鉤爪を失うような出来事が起こり得るのか?

もしかしたら、夜中、僕が寝静まった後に、大きな戦闘が起きているのだろうか?

虫かごをよく見ると、取れた鉤爪が落ちている。
取り出してみると、まあ、細い。
これでは、何かの拍子に外れてしまうのではないか?

これは戦闘によるもの、というより、単純な設計ミスではないのか?

どうやら、また生えてくるようなものでもないらしい。

もしかしたら、「いずれ、外れるのが当たり前」なのだろうか。
「ああ、あれ、外れちゃうよね!」という、軽い感じなのだろうか?

痛そうな気もするが、そういった素振りもまったくない。

あまりはっきり覚えていないが、ビバおは、結局、半数以上の鉤爪を失ったような気がする。

クワお、ビバ子も、何本か失っていた。

だが、彼らは動じない

人間だって、「これ、もう少しこうだった方が良かったんじゃないの?」と思う箇所はある。

例えば、小指などは危ない。
何かあれば、取れそうである。

実際に僕は外れてはいないが、指の骨折をしたことがある。
医者に行き、ギブスをし、治療をした。
その間、大変に不便であった。

だが、彼らは動じない。
1本ではなく、何本か無くしているのに、何事もなかったかのように暮らしている。

いや、鉤爪のない足は滑っているようなので、多少の不便さは感じている様子だ。

だが、彼らに聞いたら、きっと言うだろう。

「仕方ないじゃないか。ジタバタするなよ」
「生きていく中で、何かをなくすのは当たり前だろ?」

深い。
武士のような潔さである。
風が吹き抜けるのを感じる。

いや、もしかしたら、「あれっ、なんとなく、いつもと違うな」くらいなのかもしれない。
そもそも、なくしたことも、気づいていないのかも分からない。

僕は反省をした

そう、自然界では、体は生きるための消耗品だ。

どんなに気をつけていても、傷を負ったり、病気をしてしまったりする時はある。

そんな時、僕らは病院に行くわけだが、彼らには病院など無いのだ。

傷を負ってしまったら、それで生きていくしかない。

それに比べて、僕ら、人間はどうだ。

「コーヒーは体にいいのか、悪いのか?」とか
「生きて、腸まで届く」とか、
そんなことばかり言っている。

傷を負ってしまったら、元に戻らないと大騒ぎだ。
勝手にやらなくてもいい格闘技なんかをやり、どこかを傷めたら、「先生、ここが痛いんです!!」なんて病院に駆け込む。
そんな自分が恥ずかしくなってきた。

クワガタたちは悠然と受け入れて生きている。
ケ・セラ・セラだ。

まあ、生きているといっても、虫かごの中を徘徊しているだけではあるが、そんなことを言ったら、我々だって、五十歩百歩だ。

たとえ、今後、自分に何が起きようとも、生きれるだけで御の字である。
もし、少しでも治療できるのであれば、それ以上、ありがたいことはないではないか。

まさに身の引き締まる思いである。

もうひとつの可能性、つまり、クワガタが自分たちの負傷に気づいていないとしてもだ。

「あっ、鉤爪、取れてた?気づかなかったよ」

大人物である。
こういう人物についていきたい。

どちらにせよ、僕はこの一点では、クワガタに負けていた。

このクワガタたちの生き様から発せられる強烈なメッセージ。
僕の指ほどしかない体から発せられる、その背中から発せられる、この強烈なメッセージを、ある日、僕は確かに心に刻みつけていた。

続くよ


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