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非日常的自宅療養

流行りの感染症になってしまい10日間の自宅療養を余儀なくされた。とはいっても症状は軽めで身動き取れなかったのは初日くらい。軽症で済んだのは不幸中の幸いかな。自宅から出ることは禁止されていたけれど、自分メインで担当する案件が佳境を迎えていたので在宅ワークをさせてもらうことになった。頭と身体は十分に動くし、何も問題はない。すでに大手を中心に恒久的に在宅ワークを可能とする企業が増えてきているけれど、中小企業で在宅ワークを本格導入しているところは少ないだろう。かくいう、自分が勤める中小企業も社会情勢に鑑みて在宅ワークを一時的に可能としているけれど、いつまで続くかは全く分からない。今回は在宅で出来る類のタスクを多く抱えている状況で、自分がやらなければ誰も進めたがらないだろう性質の案件をもっていたので、特別に長期在宅ワークOKとしてもらった感じだ。ちなみに、自分がいなければ進まない類の仕事は、なるほど自分の介在価値が高いという見方もあるかもしれないけれど、基本的に価値が低いと思っている。組織としては、1人抜けたくらいで案件進捗に何も影響がなく、粛々と物事が進んでいく姿が望ましいと考えるからだ。いずれ在宅と出社が混在したワークスタイルになっていくだろうと推測する。マクロの流れに逆らうことはデメリットが多きいだろうし。ただ、在宅ワークを支える設備投資に時間はかかるだろうな、などと思考した。

自宅での時間が増えたことは良いこともあったし悪いこともあった。

良いこととしては、睡眠時間が大幅に増加したことだ。いつも6時間半から7時間半くらいの睡眠時間なのに対して、隔離期間中は8時間睡眠に大幅に増加した。8時間以上の睡眠を10日間続けてみて、いつもの自分が慢性的な睡眠不足に陥っていたのだなと痛感した。普段の生活に戻ってから改善したい点である。次に、家族の時間が増えた。自宅で過ごす時間が増えたことで必然的に家族で会話が増加した。いまやっておかなければ後悔することとして、家族の会話を豊かにすることもあるのだな、と気が付いた。忙しい日常生活を駆け抜ける中では気が付きにくい論点であったな、と思う。

悪いこととしては、身体的なコンディションが悪化したことが気になっている。アスリートとして生活の半分を競技に捧げている身としては、隔離明けの復帰後に、どれだけコンディションが悪化しているか心配でならない。おそらく、相当の苦労をもってコンディションを戻すことになるだろう。次に、未来の投資に労力を割くことを無意識的に避けていることが挙げられる。慣れない分野を勉強をすることや思考を通す作業をすることは、エネルギーが必要でありコストがかかる行為だと思うけれど、本質的で継続的な自己研鑽は自分らしく生き続けるために必要不可欠だと考える。今回問題視したいのは、いま楽をするという行為が将来的に大きなコストとして顕在化するリスクが極めて高い、ということだ。将来発生するコストとして負債を計上するべき惰性的態度は改めたい。

今回は比較的具体的な話しで終わってしまった。思考が深まれば、抽象論と具体論の往復を繰り返しながら論理展開が出来るのだけど、まだまだ及ばない境地だね。精進精進。



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