鑑賞と消費/ルーブル美術館とポンピドゥーセンター
パリの朝はまだ太陽で温め切られておらず少し肌寒い。朝日に包まれるノートルダムも街並みも美しいのに、街はまだ眠ったことにされていて黙々と道路工事が進められている。
泊まっているところからセーヌ川沿いにバスでシテ島の脇を抜け、最後はバスでセーヌ川を渡る。そこにあるのは世界最大の美術館ルーブル美術館である。
18世紀にできたこの日の殿堂は当時のフランス王朝の権威のために作品が世界中から集められてできた。作品と一口に言っても、今は展示されて作品になっているだけで過去それが「生きて」いたころにはなんらかの宗教的な(それは公的にも私的にも)意味合いであったり、建築を支える一部分であったりした。これは作品の可動性がもたらしたコンテキストからの離脱だと私は考えていくつかの論文に分けてその趣旨を書くつもりである。
その圧倒的な絵画の量には驚かされる。高い壁面に超大型の作品、中型以下の作品であれば腰の高さとその上に2段、息をつく間もないほどに作品が情報の暴力のように並び尽くされている。
しかし人々はモナリザやミロのヴィーナス、サモトラケのニケに気を取られるばかりでおそらく8割方の作品にはろくに目を向けていなかっただろう。人気の作品にも、記念なのかなんなのか写真を撮るばかりで、果たして作品鑑賞とはなんなのか考えさせられる。
私は個人的にあまり解釈をしないまま、観察をしないまま作品を享受することを作品の消費だと思っている。これは程度の問題だしそもそも何を持って解釈とするかは主指導の教員とも揉めたことがあるが、少なからず写真だけ撮って満足しているうちはそれはただの消費行動で、リンゴを食べるのと同じことだと思う。どんな印象を持ったか、何が描かれているか、実物と印刷でどう違ったか、そういう対話の時間が絵と開かれてこその作品鑑賞ではないかと考える。
そうなった時、ルーブルにはあまりにも作品が多すぎる。広さや所蔵数も踏まえれば当然の展示数かもしれないが、とてもじゃないが作品に一つ一つ向き合う余裕はない。かたや私の大嫌いな言葉である「キラーコンテンツ」なる作品が置かれ、作品の優劣がつき「見られる作品」と「見られない作品」が分かれていく。こんなに切ないことはないだろう、王立アカデミーの初代学長を務めたニコラ・プッサンの絵がふらりと置かれているフロアに誰もいないのだから。
なんだか消化しきれないままルーブルの中を彷徨い、そこそこな時間で出てきてしまった。ルーブルの楽しみ方がわからない。
そのあと少し電車を乗り継いでポンピドゥーセンターへと向かった。こちらはルーブルに対して収集作品は近現代で、建物としても20世紀に完成したものだ。
ポンピドゥーセンターに着いて驚いたのは、フロアの分け方だった。もともと建物の5-6階が美術館になっているとは聞いていたが、モダンとコンテンポラリーで分かれているとは思わなかったのだ。時代はもうコンテンポラリーに来ている、コンテンポラリーの先のことをなんと呼ぶのかは知らないが、1965年からと区切られたコンテンポラリーはもう展示されて久しいのだ。いつまでもモダンなままではいられないし、美術館もコンテンポラリーにアップデートしなければならない。それはクレア・ビショップが「ラディカルミュゼオロジー」で指摘していたように。
20世紀美術が好きで、美術史の中で専門を選ぶとするならその時代を選ぶ身分としてポンピドゥーセンターの作品たちは刺激に溢れたものだった。おそらくそれなりに多くの作品を持っているだろうに、作品は壁に一段ずつ、全てが腰の高さで、壁の余白も十分に取られている。学芸員実習の時に習ったことだが、作品を展示する時に求められることの一つとして適切な壁の余白があるという。その余白は絵の大きさだけではなく、そこに描かれた作品の密度、他の作品との繋がりによって規定される。それが心地よかったのがポンピドゥーセンターだ。ルーブルにはない、作品と向き合うゆとりのある空間がそこにはあったと思う。
名だたる近現代の作家が並び、そこにはデザインや建築も含まれ、人々が自由に過ごすあの空間は、かつて岡本太郎がポンピドゥーセンターを開かれた美術館と呼んだ意味がよくわかるものだった。
作品の鑑賞とはなにかを対照的な美術館で感じる1日だった。私は作品一つ一つに向き合えるゆとりのある作りが好きだ。それは収蔵作品が少ないと叫ばれる日本なら、むしろ作品を無駄にすることなく活用して実現できる活路ではないかと思う。修論のネタが増えてしまったが、いまだに主指導の変更の決着は着いていない。いい加減結論を教えてもらわないとこちらはいよいよ卒業できなくなる。困った。
パリの王道の美術館を二つ梯子した後、少し休んでからフレンチカンカンを見にムーランルージュへと向かった。疲れと普段寝ている時間というのが相まって撃沈し普段なら瞬殺で飲み干すシャンパングラスが残った。おばさまがたに知らない言語で「1人で来たのか?」というようなことを聞かれたが、いいじゃないか1人で来たのだ。意識は飛ばしていたが。光が鮮やかだったことはよく覚えている。
パリで初めてタクシーに乗りフランス語で目的地を伝えた次の日の今日は、ランスまでルーブル美術館の分館を求めて遠足へ。
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