平凡な30代男性の生い立ち

こんにちは、Mr. K です。
人生は振り返ってみると色んなことがあったと感じます。皆さんもきっとそう感じるかと思います。あの時は良かったと感じたことは1度もありません。今の自分が最高!というわけでもなく過去の自分がとてもネガティブだったんですね。正直、過去に戻りたいと思うことはありません。ですが、この経験があって今の自分があるのだと思っています。私自身の過去の話、需要があるかはわかりませんが、晒していこうと思います。


小学校で最初の挫折

平凡な家庭に生まれた私ですが、特に不自由なく育ちました。多くはないですが友達もいました。そんな私ですが、とても内気な性格で自己主張の少ない子供でした。そして小学4年生になった私は、サッカーを始めます。ちょうどフランスワールドカップに日本が初出場を果たし、サッカーブームが来ていたころでした。友人のほとんどがサッカー部に入部し、流されるように私も入部しました。

これが最初の挫折になることも知らず入部したサッカー部ですが、市内屈指の強豪チームでした。そんなことも知らず入部し、いきなり厳しい練習が始まります。楽しいと思えずすぐに辞めたいと思ってしまいます。しかし、先生やコーチが厳しい方で内気な性格の私は辞めると言い出せず、徐々に部活をサボるようになります。親も厳しかったので中々相談できず、最終的に誰にも相談できず部活をやめることになってしまいます。

このときの私の心には、何となく「私は一つのことを続けられなかった弱い人間」という感情が芽生えます。このときに途中で辞めてしまったせいで、自分に自信が無くなります。ネガティブな性格になったのもこの時からではないかと記憶しています。これが後に私をとてつもなく悩ませることになります。

ただ、子供だった私は特に自覚することなくこのコンプレックスを抱え卒業することになります。


新たな挑戦

通常であれば中学校入学は、夢と希望に溢れていると思います。しかし、ネガティブな私は授業についていけるか、友達はできるか、先生が恐いんじゃないかと、ほぼ不安しかありませんでした。しかも、なぜか部活入部が必須。不安なうえに部活も入らなければいけない、もう入学前から嫌でした。入学前からそんな気持ちで、今の時代であれば不登校になってもおかしくない状況でしたが、そんな私が不登校にならなかったのは、とあるスポーツに出会ったことがきっかけでした。

それは剣道でした。剣道と出会ったことで少しづつ自分に自信をつけていくことになります。これは絶対に続けてやろうと覚悟して始めました。剣道は高校卒業まで続けることになりますが、この話はまた別の機会にしようと思います。

練習が厳しく何度もやめようと思いましたが何とか続け、中学校卒業のタイミングが来ます。剣道に集中しすぎたせいで全然勉強していませんでした。剣道を続けたいが、当時の成績では剣道部のある高校に入れませんでした。剣道は辞めたくない。その思いだけで受験勉強をし、どうにかギリギリで志望校に合格することが出来ました。

これが次の大きな挫折に繋がります。


無理をした代償

猛勉強の末、自分の実力より2ランクほどレベルの高い高校に入学しました。こんな私に待っていた現実は、とにかく授業についていけないんです。周りは皆、私よりも優秀です。そして中学校より厳しい剣道の練習。ますます授業で置いていかれます。授業についていけないと自覚した人は早々に部活をやめますが、剣道を続けると心に決めた私は何としてでも続けようと頑固になってしまい、留年ギリギリの成績を維持していました。周りの人たちに何度も剣道をやめろと言われ、精神的にもかなり追い込まれていました。

剣道でも色々な苦難がありましたが、高校最後の試合が終わると私に残ったのは学年最下位の成績だけでした。とてもじゃないけど大学に進学できる成績ではありません。勉強に関しての自信は完全に失ってしまいました。どうしようかと考えていましたが、素晴らしいことにこのときの私には将来を語り合う友達がいました。その彼は学年トップの成績です。成績トップと最下位が親友という異色のコンビでした。

彼の目標はアメリカのシアトルにある大学に進学するというものでした。そして偶然のタイミングで、私はシアトルへの留学プログラムのあるホテルの専門学校を発見。私のように最低水準の成績でも入学できるようで、そこに入学しようと決めました。しかし、前述のとおり内気で自己主張の少ない私にとってホテルという業界はとても高いハードルの挑戦です。自分の弱さととことん向き合うことになります。

初めてづくし

ホテルの学校に入学。初めての東京、初めてのアルバイト。内気で消極的な私は初めての接客の仕事で苦労します。しかし、この性格を克服したいと思っていた私は頑張ります。いや少し頑張りすぎてしまいます。アルバイトの会社の寮に住みながら、働きながら学校に行くという制度があり、両親のお金の負担も考え、この制度を利用していました。学校終了後ほとんど毎日働いていたため、毎日ぐったりです。授業に出ない日が徐々に増えていきます。しかし頑張らないといけないと自分に言い聞かせ、この生活を1年続けます。

その後シアトルに1年留学しました。初の海外です。学生ビザの為、現地ではインターンシップ以外は働いていません。勉強に集中し、友人と思い切り遊び、とても楽しい1年でした。性格も自然と少し明るくなったと思います。今思い返してみれば、これが学生の本来の姿だと思いました。ちなみに、高校時代の親友とも再会することが出来ました。そして、また帰国して働きながら学校に行く生活が始まります。

帰国してもう1年学校に通いました。前と同じ働きながら学校に行く生活です。しかし以前はお金を稼がないと、頑張らないと、と思い働いていたのですが人生楽しまないとなと思えるようになりました。この年は就職活動をする時期でもありました。リーマンショックの次の年ということもあり、なかなかうまくいかず、その焦りから特に考慮せず丸の内にあるフレンチレストランへ就職しました。

この後、地獄の20代が始まることを私はまだ知らない。

誰も信じられない

入社したレストランは、週6日勤務、17時間労働でした。そんなところすぐに辞めればよかったと今では思いますが、当時の私は少し無理をすればできると自分を過信していました。この労働時間に加え、ミスが許されない環境でした。ミスをすると賄い抜きや、上司からの殴る蹴るは当たり前でした。この仕事を半年続けやめることとなります。

心身ともに病んでしまい、半年という短い期間で仕事を辞めてしまい自己嫌悪に陥ります。結局一つに事を続けられない。この気持ちがまた蘇ります。しばらく休養し再び就職活動です。収入も貯金もなかった私は、とりあえずアルバイトでとあるコーヒーチェーン店で働き始めます。そこは労働時間もいたって普通で殴る蹴るなどのハラスメントはありませんでした。しかし、そこでとんでもない上司と出会い、以後会社で上層部を信用できなくなっていきます。

そこで出会った上司、とても明るく部下思いで情熱にあふれた人でした。
表向きは!
私に対してはとんでもない人でした。自分のミスは隠し、部下である私のミスはとことん責めて追及する。簡単に言うとそういう人でした。彼に関して色々なお話があるのですが簡単に例を挙げたいと思います。

ある日、遅番で出勤した私は店の状態を見て、何一つ業務が進んでいないことに唖然とします。早番の責任者は彼です。その状況で何事もなく引継ぎを受けます。私は何かあったんですか?と聞きました。ただ一言、忙しかったで片づけられました。早番の仕事を引継ぎ、さらに遅番の業務もこなします。いつもの倍近くの業務をこなし最後、業務レポートを書きます。そこでは必ず1日の時間ごとの売り上げなどデータを確認するのですが、早番で忙しかった時間など一つもなかったのです。後日、様々な経緯があり彼がその日遅刻していたことが分かりました。

別の話では、私が責任者で彼は私のサポートをするという日でした。いわば、私のトレーニングです。彼の最高の必殺技は、デスクワークで裏に下がると二度と出てこないということです。そんな技を持った彼を、私はいないものとして考えていました。とんでもなく難しい仕事を抱えているのなら解るのですが、基本座って休憩の従業員としゃべっています。もはや怒りもないのですが、この日は15分休憩を1時間帰ってきませんでした。もはや計算もできないのかと呆れますし、何よりその後に謝罪も何もありませんでした。こういう人が出世できるのかと不思議に思いました。

こういったことが20代前半で立て続けに起こり、この上司に対する信頼が無くなっていきます。今後出会う上司に対しても疑心暗鬼になってしまい、うまくコミュニケーションを取ることが苦手になります。

後半戦も安定の地獄です

結局このコーヒーチェーン店で4年ほど働きます。この間、良い上司、気の合わない上司たくさんいましたが、例のあの上司からはある意味たくさんのことを学びました。ここからは20代後半に入っていきます。何とかこの負のスパイラルから抜け出したいと思い、転職を決意します。

しかし、地獄はまだまだ続きます。この転職で、イタリアンレストランに就職します。ここでは暴力はありません。ただこの会社もミスには厳しく、少しのミスも物凄く責められます。私の性格だと、ミスを責められるとプレッシャーを感じてしまい、新たなミスを誘ってしまいます。私はそんな環境でミスを連発するようになりました。

すると、社長から無視をされ始めます。無視をされミスを責められ、私は精神的に病んでしまいます。このレストランはわずか4ヶ月で辞めてしまいます。もはや私に、仕事はできないのではないかとさえ思いました。正直、このとき人生で一番落ち込んでいたかもしれません。しかし、仕事や就職で失敗ばかりでしたが、やっと落ち込んでも仕方がないと気づけるようになりました。

この経験から学び、どうしたら良い方向に向かうか真剣に考えました。まずは、じっくり時間をかけて就職活動をすることにしました。これまでの経験を踏まえて私も企業を見極めようと思いました。そして、飲食業界よりも比較的労働条件の良いホテル業界に的を絞って求職します。自分にとって何が一番幸せなのか、本気で考えました。

3ヶ月の就職活動の末、ようやく外資系ホテルに就職することが出来ました。このホテルで私のバーテンダーとしてのキャリアが始まり、ソムリエ資格を取得することにもつながります。じっくり時間をかけたおかげで、お酒のスペシャリストとなることが出来、ようやく負のスパイラルから抜け出す兆しが見えました。私は決して優秀ではないので面接など苦労しました。何社も応募し、中には友人の紹介で応募し不採用になったところもあります。

落ち込みながらもこの苦難の時代を乗り越えて、様々な学びがありすべて自分の人格に繋がったと思います。当時は苦しかった話も今は笑って話せるものです。これらの苦難がどのように今の私に繋がっているのか、いくつか紹介したいと思います。

学び、そして心得

挫折ばかりの人生ですが多くの学びがありました。まずポジティブになるために、そして自分の送ってきた人生を肯定するために意識していることがあります。それは「逃げるのは悪いことではない」と考えることです。かつては途中で辞めるのは良くないことと考えていましたが、社会人となり逃げてしまい落ち込んでしまいました。しかし、あの時逃げていなければ、もっと体を壊していたかもしれないし、精神的に追い詰められ鬱病になっていたかもしれません。自分を守るためにも、健康のためにもそういった状況だったら即逃げることを心掛けています。

残念な上司に出会ったとき、こうはなりたくないと「リーダーシップ」を猛勉強しました。本を読み漁り徹底的に学びました。なので、例のあの上司に出会って以降、部下とのコミュニケーションに困ることは少なかったです。もともとネガティブで内気だった私にとって、とても大きな進歩でした。このときに読んだ本で、印象的だったものはぜひ紹介させていただきますので楽しみにしていてください。こういうきっかけをくれたという意味では、その上司にも感謝しないといけませんね。

失敗を許さない職場にありがちな風習があります。それは、自分が厳しく指導されてきたら後輩にも厳しくするということです。このような組織はミスを責めることで、2度と起こさないようにする考え方だと思います。こうすることで私のような不器用なタイプは逃げていくので、必然的にミスの少ない組織になっていきます。しかし、私のように苦しむ人は見たくないですし、そんなことで苦しむ必要はないと考えています。そこで私が意識したことは、「失敗は許す、怠慢は叱る」です。

失敗は徹底的に許します。許すことで、その原因の根本が見えてくる場合があります。2度同じ失敗をしてしまった場合は、なぜその対策をしなかったのかという怠慢を指摘します。この考えを持っていると職場や組織の問題を見つけ出しやすく、環境改善につながります。

私は、この経験を「暗黒の20代」と呼んでいます。しかし、それがあったからこそ組織やチームを率いることが出来たと思いますし、ネガティブな人の気持ちが分かるポジティブになれたと思います。次の時代は「挑戦の30代」とすでに命名しております。

終わりに

ここまでのご拝読ありがとうございます。人それぞれ辛い経験があるかと思いますが、如何にして自分のエネルギーに変えるかが重要だと思います。この経験が誰かを助けられたらうれしいです。








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