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僕は優しい人じゃなく、怒りを使い果たした人~貯金通帳から1800万円が消えた日~

 20歳の春、貯金通帳から1800万円が引き出されていた。
「なんで?泥棒じゃない?」
 そう言うと母は悲しそうに、
「またお父ちゃんだ。お父ちゃんしかおらん」
 と言った。
 母の「また」という言葉が気になったが、
「おとんが勝手に使わんだろ?泥棒だって!」
 と僕は反論した。
 でも今度の母は冷静だった。
「3000千万円あったのに、1800万円だけ引き出して、通帳まで返す泥棒はおらんわ」
 と諭すように言った。
 確かにそうだ。泥棒ならすべて引き出して、通帳は今頃どこかのゴミ箱に捨てられているはずだ。それに母が言うには同じ事を父は何度もしていたらしい。
 僕は急に怒りがこみ上げてきた。なぜならそのとき3年間の入院生活を終えて帰宅したばかりだった。

 これより3年前の17歳の春、僕はラグビーの試合中に首の骨を骨折。脊髄損傷で首から下がマヒして動かなくなった。医師からは、
「一生寝たきりでしょう。車イスに乗れるかどうかもわかりません」
 と言われた。
 昨日まで自分でできたことが何もできない。食事も着替えもトイレさえも人の世話にならなければならなかった。特に、紙おむつは屈辱的だった。17歳で紙おむつ。恥ずかしい。情けない。悔しい。でもどうにもならない。
 入院は3年間にも及び、最初の半年は塞ぎこんだ。イライラが募ると母に悪態をついた。6度の手術もした。長い3年間だった。それでも入院生活を終えて、体は動かないまま車イスに乗せられて自宅に帰った。

 自宅は居心地がよかった。体調のことを考えれば、病院のほうが安心できたが、家族がいつもそばにいてくれるのは心強かった。友達と深夜までバカ話で騒ぐこともできた。病院のように消灯も起床時間もない。好きな時間に寝て、好きな時間に起きてもいいというだけで幸せだった。なのに、僕の安息を脅かすトラブルメーカーがいた。

 それは父だった。
 当時の父は53歳。いまの僕と同じ年齢だが、それまでまともに働いたことがない。昼間から酒を飲み、気を大きくして母に暴力を振るい、飲酒運転で捕まり、ケンカをふっかけておきながら殴られて怪我をしていた。とにかく酒がないと生きられない人だった。その父が僕の通帳から1800万円を引き出して、借金の返済にあてていた。

 3000千万円という大金は生命保険から下りた金だった。まだ高校生で、ラグビーをしていた僕に、
「万が一のことがあってはいけないから」
 と母が生命保険をかけていた。高度の身体障害を背負ったことで3000千万円の保険金が下りた。僕が全身マヒとして生きていく上でも大切な金だった。それを父は遊びでできた借金の返済に勝手にあててしまった。許せなかった。しかも、言い訳で誤魔化そうとしたのが、さらに僕を怒らせた。
「家族の金だ」
 と父は言った。
 だが、母と兄と二人の姉と父のうち、父だけ働いていない。
「家族の金なら働け」
 と僕は怒鳴ったが、それで働くようならとっくに働いている。僕の叫びなと、どうやっても父の心には届かない。20歳の春、あのとき、僕は一生分は怒ったと思う。泣きながら怒り、苦しみながら怒り、最後は笑いながら怒った。
(人は魂の叫びが届かないとき、笑えてくるもんなんだな)
 と思った。
 いまの僕は、今は誰から友達や出会った人から、
「優しい人」
 と呼ばれる。でも、優しい人なんかじゃない。怒りを使い果たした人だ。怒りすぎて怒りのエネルギーが底をついてしまったのだ。もし体が動いていたら、あなとき僕は父をに殺していただろう。そんな気持ちになるくらい、動かない体でベッドの上から父に怒鳴った。
 
 そのことがあってから、体が食べ物を受け付けなくなった。食べると吐くようになった。消化器内科、神経内科、心療内科、精神科。何十人もの医師の診察を受けたが、はっきりと原因はわからなかった。ある医師は、
「お父さんとのことが原因しているのかもしれない」
と言い、またある医師は、
「マヒした神経のせいかもしれない」
と言った。ただ、「原因がわかったところで治療法はない」とどの医師からも同じことを言われた。

 食べられない日々は30年続いた。ずっと点滴だけで生きていた。回数にして8000回。もう針をさせる血管がなくなってしまった。点滴だけでは栄養が足りずに一時は身長180㎝で体重35㎏になってしまったこともあった。敗血症で死にかけたし、全身十数ヵ所に腫瘍が見つかったこともあった。
「もういつ死んでもいい」
と何度も諦めた。でも、寿命は尽きていなかった。2カ月ほど前から体が少しずつ食べ物を受け付けてくれるようになった。30年ぶりに食べたたくあん。こんなにも美味しいとは思わなかった。

 現在、全身マヒになって36年が過ぎた。健康な体だったときの2倍が過ぎている。もちろん、つらいことばかりではなく、楽しいこともたくさんあった。友達に助けられ、友情の大切さを知った。100人のボランティアを集めて介護をしてもらい、人の暖かさを知った。海外旅行にも行った。北海道にも沖縄にも行った。露天風呂にも入った。プールにも入った。何度もコンサートに行った。そして何より結婚した。妻とは19年一緒にいるが、
「結婚して後悔したことは一度もない」
 と言いきる強い女性だ。
 不妊治療で娘も授かった。14歳で身長が170㎝ある。大きく成長してくれた。娘を見ていると、
(自分の命なんて娘の命に比べたらどうなってもいい。けれど、今はこの子のために今は生きなければならない)
 と思うようになった。

 今、僕はすべてのことに満ち足りている。もう何も要らない。妻と娘が元気でいてくれさえいたらそれでいい。
 
 ただひとつ。父のことを除いては。

 父は僕が結婚する前に死んだ。ガンだった。友達と呼べる人は誰一人として参列しない葬儀だった。家族の中で僕一人だけ参列しなかった。父が死んでから、母も兄も姉たちも僕も、みんなが、
「やっと死んでくれた。これから楽になる」
 と安心した。実際にそうなった。でも、僕はまだ父を許せていない。それは1800万円という金の問題ではない。
 僕は子供のころ、父が大好きだった。どんないたずらをしても父に叱られたことはかなった。優しい父だった。逞しく尊敬していた。その父が本当は怠け者で酒浸りな人間であると大人になってから知った。僕には、それが裏切りに思えた。父に騙されていたと思った。だから今も父を許せない。金よりも心の裏切りほど、人は許せないのではないだろうか。
 ただ、死ぬまでには、父を許せる日が来たら嬉しい、とは思っている。もし父を許せるのなら、たとえ全身マヒで体の自由がなくても、心の自由を勝ち取ったことになるのではないかと思う。

#創作大賞2022
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