想いが溢れ出す時

自分の意見を主張したり、何かを伝える時、極度の緊張と恐怖が心を駆け巡る。うつ病になり、あっさりと人が自分から離れていったときの感情や情景が重なってしまうのだ。だから、どこまで自分をさらけ出して良いのか、手探りしながら少しずつ、心の扉を開けては閉め、開けては閉め、を繰り返している。

相手を信頼していないわけではない。心のそこから信頼している。しかし、そういった過去が重しとなり、人との触れ合いを怖がり、また自分の殻に閉じこもる。

僕の心は「防衛」がとても強い。カウンセリングを通じて、それの思いは強くなった。1年ほどカウンセリングを続けているが、いつもどこかで肝心な話は避け、なんとなく上手くいっているように自分に言い聞かせて来た。これだけ長くうつ病と向き合っていることもあり、「前進している感覚」を錯覚でも良いから持ちたい、持たないと心が折れてしまいそうだからだ。

先日、約1ヶ月ぶりにカウンセリングを行った。この1ヶ月はとても変化に富んだもので、僕の心も大きな変化に晒された。浮き沈みもこれまで以上に大きく、自分でも正直その変化にしがみつくことで精一杯だったように思う。

その環境の変化を淡々と話し、話すたびに「悔しい」ということばが出て来る。そんな話をしていたら、今までにない感情が湧き上がってきた。言葉に詰まる、これ以上話したら泣いてしまいそうだ。

そして、泣いた。声にならず、ただただ涙を流した。僕の心の防衛が一瞬で解けてしまった。想いは言葉にならず、涙となって溢れ出したのだ。

泣くだけ泣いたあと、言葉にしたのは仲間への感謝であった。

「悔しさ」の根底にあったのは、これまで仲間から多くの優しさ、気配り、愛情を受け取ってきたことへの感謝と、受取るばかりで何も返せていない自分に対する「悔しさ」だったのだ。

もっと仲間の役に立ちたい、仲間が苦しんでいる時に助けられる人間でありたい、会社が困難な時に先頭で笑って皆を癒せるような人間でありたい。そんな想いが溢れて止まらなかった。

自分でもこれほど仲間のことが好きで、感謝の思い、愛情を持っていたことに驚きを隠せなかった。とても温かな感情を久しぶりに体験した。

その反動か、前述した「何も返せていない」という悔しさをより強烈に感じるようになってしまい、今心はとても辛い状態にある。大げさだろうか。

この収拾がついていない心を鎮めるために、今の想いをブログに残す。また立ち上がることが出来るだろうか。たぶん、立ち上がるんだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?