瞬間を生きているということ

人生は連続しているようで不連続だ。睡眠で抜け落ちた時間、何かに集中していた時間、記憶が曖昧な時間をなんとなく切り貼りして、連続しているように認識している。

常に自己を認識しているつもりでも、それはとても曖昧で、一瞬過去を振り返し、記憶のレコードを紡ぎだす。

つまり、「生の証」がそれだ。

従って、「生」そのものは「今この瞬間」にしか存在せず、それは「刹那的」で「圧縮的」である。

人は過去や未来ばかりに意識をはりめぐらせ、「今この瞬間」を見ようとはしない。「今この瞬間」は「成立して当然」「何事もなく過ぎ去って当然」であるからだろう。

僕は昔から「死」というものに対しての畏怖を持っていた。「死」というものはなんなのか、と。

うつ病になり、精神的な死を感じ、肉体的な死までを考えた体験と、前述した「人生の不連続性」という観点から、「生きながら死に、死して生きている」と考えるようになった。

瞬間瞬間、人は死んで、また生まれ、そして死んでいく。これは細胞的に見てもそうだろう。自分の記憶や意識は、ずっと「生きている」と認識しているが、心身は「動的平衡」を保持しながら、新陳代謝をしているのだ。

これはとても奇跡的では無いだろうか。この奇跡がもっとも煌めくのが「目の前の瞬間」なのだと思う。

その瞬間を生きる。そう生きていきたい。

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