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【後悔の取り扱いについて】


その人それぞれに
どうしようもないことにしないと
救われないことも
ひとつの手段としてあるように見える。

なので、
そういう手段の取り方もありだと
捉えている。

ただし、あらゆる物事の見え方を
その形で使わなくてもいいのでは
ないかなぁっと

これは
はっきりと思っている。

何でか。
どうしようもないことだらけではない
そういった視点もあるからなのです。



【もうひとつの後悔の取り扱いについて】

後悔とは何だろうかと
調べてみると
後になって悔やむこと。

ワタシ自身の頭の中のデータから
後悔とは何だろうかと
検索してみたら

シンプルに
何かをやらなかったこと。

もう少し検索していったら
古いやらなかったこと。と
出てきたのです。

そうして
古いやらなかったことを探って行きますと

今この時(最新の今)に
何かをやらなかったことの
時間が経過したものであることが
浮かび上がってきました。

そうして
やらなかったことの中にも
本当にやらなくていいことと
ちょっとだけやったほうがいいこと。

この二つが混ざっているのが
あらわれて参りました。

なので
これは意外にもあるあるなのではと
思うことが

やらなかったことで
必要以上に悩む時間を作ることは
もったいないのではないだろうか
仮説を持っています。

何故そう言えるのか。といいますと

必要なやらなかったことは
姿や形を変えて
再びそれに関係する人物のところに
遊びに来るからなのです。

その来たものを
やり直せばいいのではないだろうかなと
思うところがあります。

ちょっとだけやったほうがいいこと
これが来た時に
そのときに出来る小さな事をまずは
やってみる。
まずはやってみる。

すると
ちょっとのやり直しが行われている状況が
創られはじめてきている状態です。

ワタシ自身は
ちゃんとした人間ではなく
穴だらけのところがたくさんありますが

それを今は不思議なくらいに
卑下しておりません。

これはもしやすると
穴だらけでも
ちょっとだけ
やり直しイベントをしていることが
効いてきているのではないだろうかなぁっと
感じる今日この頃です。


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