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その時にしか書けない言葉を大切な人に、自分の決意も添えて。

2023年を迎える前、とても悲しい別れをしました。
その気持ちをどうにかnoteの下書きに書いたけれど、なんだかこれ以上筆が進まなくて。
でも今の気持ちではきっと書けない言葉だろうから、手紙のつもりで下書きから公開してみようと思います。


ちゃんとログにしておくべきだと思ったので、今はまだ整理が正直ついていないけど、ちゃんと書けるときに書こうと思います。うまく言語化はできていないけど、それはそれでいいかなと思います。

12月27日、父が亡くなりました。ずっと覚悟はしていたけど、なんだかなあという気持ちです。
知らせを聞いた時、覚悟していた思いと信じられない思いが交差しながら実家に帰りました。父と対面した時、なんだか他人のようで、嘘みたいで、信じられないうちに棺に入って、骨になっていました。
あんなに呆気ないんだな人は。

約5年前、私が病気のことを知った頃にはすでに手術を終えていた入院中の父でした。直腸癌で、すでに結構進行していたためストーマという人工肛門の手術をしていました。
私は病気のことを直接本人から聞くことはなく、母から今の状態をたまに聞くくらいでした。きっと、闘病中しんどいこともたくさんあっただろうと思い、私は普段通りの会話をしていました。
今考えれば病気のことなんて話すこともなければ私から聞くことはありませんでした。それが娘として正解なのかなと勝手に思っていたけど、正解だった?って聞きたかったなあ。

今ふと思うと、私は父のことをあまり知りません。兄弟の中で末っ子だった父、働いていた時の父、叔父としての父。いろんな父がいたはずだけど、私はあんまり知らなくて。
もっと知りたかったなあなんて気持ちもあって、父のきょうだいと従兄弟と執り行ったお通夜で、素直にその気持ちを話しました。ありがたいことにその話が素直でよかったよと葬儀社の方やお寺さんにも言っていただけたのがなんだか誇らしくて、父の前でいい娘ができたかななんて思います。
少しずつだけど、大人になったからわかるいろんな姿を聞けたらいいななんて思います。

まだ正直よくわからないし、まだあんまり信じることができていないです。どこかにいる気がするし、まだPeaceの煙草の匂いがする気がします。
ビールを飲んで、ウイスキーの水割りを飲む姿。
運転する姿を後部座席で見てたかったし、なんなら私が運転して出かけたかったけど、初心者マークの下手くそな運転以来結局できたのは骨壷を乗せて自宅に帰る時でした。

やっぱりちょっと寂しいみたいです、娘は。
どうか見守ってください。

まとまりのない駄文になってしまったけど、ログにはしておこう。

2022.12.30


年が明け、世の中も通常通りになってきたので役所関係の手続きを少しずつこなし、位牌を決めたり仏壇をどうするなど少しずつ母親と整理しています。
1ヶ月の有休消化の中でこれができるのはなんだか巡り合わせのようで、きっと仕事をしていたら進めることが大変だっただろうなと思うと、父はわかっていたのかな、安心していたのかなと思っています。
あまり言葉を交わすことのない父と娘。そして父にとって唯一の子供であるわたし。胸を張っていきたいと思います。
有休消化が終わる辺りがちょうど四十九日。一生忘れない有休消化になりそうです。

よし、少しずつ自分の整理もしていこうじゃないか。


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