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その言葉に絡まる糸を、解きたい。

中学生の時、それなりに勉強ができた。自分の学力の最大で行ける学校と、余裕を持って合格できる学校の2択で、私は後者を選んだ。
大学には行きたい、けれど経済的に余裕がない現状を知っていたから、大学に行く道を自ら断つように、高校に進学した。
勉強をしても、どうせ大学に行けないなら勉強したくない。そんな浅はかな考えから勉強をしなくなった。嫌いな数学は赤点常連。成績も全然良くなかった。
高校卒業後の進路選択で悩んだ。周りの友人は皆センター試験の補講を受けている。志望校の赤本、参考書を片手に勉強していたけど波には乗れなかった。行きたい大学、というより行ける大学がなかった。経済的には無理だと思っていたので、当時の学力でどこに行けたかは覚えていない。
しかし高卒で就職するというのも自分の選択肢にはなかった。どうしようと思い、専門学校を調べることにした。当時行きたいと思っていたのはグランドスタッフを目指す専門学校だった。親と一緒にオープンキャンパスまで行ったが、一人暮らしをしないといけないので経済的に難しいと思い断念した。結局、当時5番目くらいになりたいと思っており、通学できる範囲にあった医療事務の専門学校を検討しはじめた。
選択肢にあったのは2校。はじめに行った学校のオープンキャンパスで、ある決意をした。

ここなら、やり直せるかもしれない。

勉強せず適当に過ごした高校生活を取り戻すには勉強するしかないと思った。その学校は、先生方が面倒くさいくらい熱心にサポートしてくれると言っていた。その大人を信用してみよう、と初めて思えた。

決意を胸に入学をし、2年間必死に勉強した。目標は、大卒の人と同じレベルの場所に就職すること、そして辛かった場所から抜け出して一人暮らしをすることだった。
結果、無事に2つの目標を叶え卒業した。

社会や大人に対する絶望や不信感の呪いが解けた学生生活だった。
必死に勉強すれば結果が出ること。
結果が出なくてもその過程に意味があること。
自分が残してきたものが「信頼」に繋がるということ。
社会に出る前に、さまざまな成功体験を積ませてもらった。


そんな思い出深い学校に、教務として戻って1ヶ月が経つ。
卒業して約6年経ち、学校名もカリキュラムも変わってはいる。世の中の流れもコロナ禍をはじめとして大きく変わった。
学生も、自分自身の学生時代に持っていた価値観とは違う。先の見えない世の中でもがいているのは大人だけじゃない、学生だってそうだ。
SNSが世の中の「当たり前」になり、今まで見えないものも見えるようになった。事実だけでなく、人の価値観まで丸裸にされている。
大人が何気なく話す「先が見えない」の言葉で、社会をあまり知らない若者は目の前が真っ暗になる。
これから進む「社会」に希望がないことを痛感すれば、絶望しか生まなくなってしまう。

「苦しいからどんな手段を使ってでもお金を稼ぎたい」

そんな何気ない願いが昨今の卑劣な事件を生んでいるのだろう。


私だって、10年後に不安がないかといえば嘘になる。そう思う大人も多いはずだ。でも「人生をかけて実現したいビジョン」があれば、不安をかき消す希望や努力に繋がる。そうして新しいことが生まれていくのだとも思う。

「どう生きたい?」という壮大な人生の問いに、うまく言葉にできなくても自信を持てる未来の社会人が、たくさん増えてほしい。
「お金を稼ぎたい」でもいい。きっとその言葉の中にはたくさんの思いが含まれている。その言葉に絡まっている糸を解いて分解するのが大人の役割だと思っている。
だから、たった一言の言葉だけで真っ向から否定したくない。仮に間違ったことを言っていても、真意は違うものかもしれないから。

来月から新年度。私は1年生の担任をすることになった。
私が前職から目標にしていた「欲しかった先輩になる」の軸は変わらない。

「欲しかった先生になる」

そのために、日々模索と挑戦を続けていきたい。

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