記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

ジョシュ・ラニヨン『アドリアン・イングリッシュ』シリーズ感想

たくさんの人に読んで欲しいので前半はネタバレなし感想、後半は区切ってネタバレありです

あまりにもおもしろく、あまりにも痛い。

読後しばらくたっても、胸の痛みがひかずに呆然とし続け。
朝起きたとき、とても悲しい出来事があったかのような心持ちになっていた。
読書という体験で、こんな風になってしまうのはそんなにない。

思い出せるのは、意を決して読んだ萩尾望都『残酷な神が支配する』以来だ。
意を決したのにダメだった。意を決したことなんてすっからかんに忘れてしまった。神の賜いし作品は読んだ者の人生を変えてしまう。

しかしながら、それくらいの衝撃を、人生を変えてしまうくらいの揺すぶられを求めて、自分は読書をしているのだ。

この、ジョシュ・ラニヨン『アドリアン・イングリッシュ』シリーズ(全6巻)は、その欲を久々に満足させてもらえた作品だった。

読書人生において、はじめてのことだった。

一生忘れないと思うんですけど、カフェで読んでたんですよ。
三巻を。
信じられないようなセリフを読んで、心臓がぎりぎりと痛んだ。
途中で本を置いて、顔を上げて、誰かに言いたかった。
こんなことある?
誰か助けて。
苦しい結末だったらどうしよう。ジョシュ・ラニヨンには安易に手を出してはいけませんでしたか。
誰か教えて下さい。
だからといってネタバレ感想とかは読めない、読みたくない。
どんなに心臓が止まりかけてても、自分の読書の最大の楽しみ「物語の最大の衝撃を原典そのものから味わう」を奪うわけにはいかない。
けれど。
読み続けるかどうかをかなり逡巡した。
どうしようどうしよう、どうしたら……。
答えは決まってるんだけど、読むに決まってるんだけど、心臓もつのかな。つらい終わりをむかえた場合、そのダメージはちゃんと回復するのかな。そのあとちゃんと生活できる?
ここで、ようやくこの本に対して意を決した。
だって面白い作品を途中で読むのやめるとかない。ありえない。何のために生きてるんだ、とさえ言えるくらいの読書中毒者が。
だからこそ、夢中で読んでる本を途中でやめようかと迷った事自体、人生ではじめてだった。
苦しいがうれしいが苦しい。しかしそれほどの読書体験を与えてくれたことには喜びしかない。

アドリアン・イングリッシュという作品は、単純におもしろい。
エンターテイメント・ミステリとしての、次の展開が気になって読み続けざるを得ない構成力も社会の描き方も設定の重厚さも申し分ない。

けれど
この話のキーポイントはそこじゃない。

アドリアン・イングリッシュは、アメリカ社会における「男らしさ」という呪縛についての物語だ。

その呪縛はどうやったら解けるのか=自己開放についてのジョシュ・ラニヨンによる一つの解答である。

画像1

BL要素はそこを描くための必須不可欠な要素なのである。
主人公アドリアンと、その相手であるジェイクの恋物語の形をとりながら、全編にわたってそのことがあらゆる描写で事細かに描かれている。
社会的重圧、ジェンダー、抑圧、マッチョイズム、同調圧力。
最近ことさらに取り沙汰されるこれらが、アメリカのL.A.を舞台に最大限に物語のベースとなっている(日本での出版が2014年なので一昔前の社会状況にはなるが)。
BL好きでなくても、男と男の恋愛が「特に」好きではなくても、そこにあまり抵抗がない人には読んでほしいのだ。

そう、アドリアン・イングリッシュは海外BL・ブロマンス作品である。

正式にはM/Mと呼ばれるこのジャンル(以降すべてBLと表記)を読むのはBL好き、腐女子、海外風に言うならShipperと呼ばれる人たちだろう。

素晴らしいBL作品に出会ったとき、いつもモヤモヤとした気持ちになる。

声を大にして宣伝したい。いや、する。するんだけどやっぱりBLというのはBLが好きな人の世界だ。決して村上春樹やダン・ブラウン、あるいは鬼滅の刃のようには誰も彼にもは薦められない。どんなに作品として優れていても、性的嗜好という壁がある。
それでも、やっぱりすごい作品は狭い世界にとどまらず、たくさんの人に読んで欲しくなる。

『アドリアン・イングリッシュ』はBL、かつジェンダー文学として浸透していかないだろうか。
もちろんBLとしても年間500冊以上は読む者としては完敗の内容なのである。
しかし、BL好きだけの楽しみにしておくのはあまりに惜しい作品だと思う。

冒頭からするすると物語に入り込んだ。言葉選びはウィットに富み、饒舌でジョークや皮肉たっぷりの主人公の軽快な言い回しは、小気味好いジャズセッションのようなリズムで、読んでいて気持ちがいい。
さらには「読ませる」ミステリならではの事件の謎と人間関係の「引き」が巧みで、気がつけば三日三晩と少し、最低限の人間的用事以外の時間をすべて読書に費やしていた。一気に読みきらずにはいられなかった。三巻の最後まで読んだらもうだめです。この二人の結末を読まずには生きていられなくなる。

この作品の一番の魅力は、なんといっても主人公のアドリアン。

ともかくウィット混じりに人をけむに巻く皮肉屋で、頭はキレるけどどこか抜けてて愛嬌がある。ゲイであること、身体が弱いことでマイノリティと自覚しているゆえの影がある。そしてオタク。
そんな性格ゆえに読んでいても忘れがちになるのだが、細身で黒髪、濡れたような青い目をもつ美青年なのだ。
光も影もあわせもった口達者なユーモアたっぷりの人物。共感と愛しさを呼ぶ人物がアドリアンなのである。たいていの読者はアドリアンのファンになり、徹底して味方についてしまう。

一方、その相棒となっていくジェイクは、長身に金髪、ハンサムで恵まれた体格。警察という仕事に誇りを持つゴリッゴリの米国的マッチョ男性。卓越した観察眼と論理的な実行力、頼りがいもある。けれどどうにもこうにもマッチョイズムに染まってて尊大。ゲイであることは隠している(クローゼットのゲイ)。
もうこのジェイクが、アドリアンとのバディ相性がいいのに、最高にいい二人なのに、最高にも最悪にもアドリアンを翻弄するんですよ(そこは後半ネタバレでねっちり書きます)。

画像2

物語のベースはミステリ。

アドリアンの周辺で事件が持ち上がり、巻き込まれ、しまいには自ら巻き込まれに行って話が展開していく。ジェイクは刑事であり、偶然そのアドリアンと手を組んで一緒に事件を解決していくことになる。必然的に相棒となっていくのだ。
その中で二人は恋に落ちていくのだけど、そこが一筋縄ではいかない。
関係が深まるにつれて、読者は悶絶するくらいの痛みと怒りまで抱えさせられながら、読書していくことになる。覚悟されたし。
それら、アドリアンとジェイクの関係、ミステリの謎解き、二つの軸が交差して夜を徹して読んでしまう力がある。読んでいて思い出したのは『検死官ケイ』だ。事件と主人公たちのプライベートな人間関係の変化のタッチが似ている。
登場人物も多彩。各事件の容疑者に関係者に、アドリアンの家族や友人関係、仕事仲間、過去の恋人、ジェイクの周辺人物。たくさんの人たちが出てきて、二人を取り巻き、二人だけでなく周囲もどんどん変化していく様が重層的になっていき、物語はどんどんと分厚くなっていく。

そして巻が進むに従って、この作品が何が書きたかったのかをだんだんと理解し始める。そして最後には、あぁ、そうだったのかとカタルシスがやってくる。
繰り返すが、ぜひとも最後まで読んで欲しい。

読み終わって。

『残酷な神が支配する』の時と同じことをした。最後の数冊を繰り返し何度も読んでしまうのだ。アドリアンでは五巻と六巻を読み返した。
それは無意識の内に、心臓が止まりそうなくらい痛みを伴った読書体験を、癒やす行為なのだと思う。
繰り返し読むことでようやく、朝起きたときに「なにかとても悲しいことがあった」感覚が消えていった。
その過程はまるで、両作品の中の主人公たちが痛みを克服していく追体験でもある。

読書なのに。
まるで現実に、自分の身に起こったことのように「体験」してしまう。
それくらいの衝撃を、この作品はもたらしてくれた。

もし読み始めたのなら、少しでもおもしろいなと思えたなら、まずは三巻までは読んでみてほしい。それから途中で投げ出しそうになっても(本当にそうしたくなるのだ)頑張って六巻まで読んでほしい。
六巻は外伝のように売られているが本編です
構成がアドリアン・イングリッシュではない別の話が二篇入っていてややこしいのですが、六巻のラストまで読んで、やっと本当にアドリアン・イングリッシュは完結します。

ここから先はネタバレ感想になります。
ここでさよならの方は、まずは各配信サイトの無料試し読みを手にとっていただけることを願います。ぜひに。

新書館のサイトでも試し読みできますし、Kindle Unlimitedにも全巻含まれますよ。


ここから以降は完全ネタバレ感想です。ご注意を。



この本を読みきって真っ先に言いたいこと。

それは。
もう、とにもかくにも。
ジェイク!お前!お前お前お前ぇ~!!!
なんですよね。
アドリアン?なんでこんなの好きになっちゃったの?いやわかるよ、魅力的だもんね、そんなに接近してない時ですら相性がいいもんね?
でも、クソ過ぎませんか。
イヤな予感は最初からありましたよ。
ジェイクが女性と映画館の前にいたとか(腰抱いてたとか)。電話の向こうに女の声が聞こえたとか。ちらりちらりとちゃんとジャブは打ってくれてました。けど、見ないふりしてました(心臓は嫌な鼓動を打っていましたが)。
けど、見ないふりしてた悪い予感ってきっちり当たって返ってくるんですよね……実生活だけでなく、読書でも。

「子どもができた」

このジェイクのセリフのパンチ力。衝撃。
心が死ぬ音が聞こえました。
先に書いたように不穏な空気は感じながらも、ミステリとBLをのん気に楽しんでいた自分は一瞬で去りゆきました。
冒頭に書いた、カフェで読んでて心臓がギリギリしたのはこのシーンです。

ジェイクはさらにこう続ける。

「この結婚を完璧なものにしたい」

そんなセリフを人に向かって、まがりなりにも心が通じていた相手に吐くことができる人間がいるのか。
それが、愛する主人公の相棒であり恋人であり、読者としても少なからず好ましいとさえ言えていた者だという絶望感。
子どもができたのも、結婚も、アドリアンにそんなひどいことを言うのも。
全部ウソだと言ってほしかった。
正直に申し上げるなら。
アドリアンの母リサが、後に別の話題に対して言ったように「わたしだって家族が害されたなら人殺しをする」というくらい、アドリアンのしあわせを祈るあまり、良からぬ考えがどんどん浮かんでしまうくらいに怒りがわいて。
そしてそれは形を変えて、後に物語のなかで叶ってしまって、読者として罪悪感が残るというレア体験まで叶えてくれた。人間というものは、その想像力で、自分にはまるで関係のない人物達の話を読むだけで(創作物で)罪悪感まで覚えれる生き物なんだな、と。

画像3

さらに。
二度目の、この本を読み続ける決意を揺るがす衝撃は、イカれた殺人鬼の発言。

「僕とジェイクは5年前から恋人」

心がミシミシ音を立てて割れそうになる。
恋人だった頃から付き合ってる女性がいた、子どもができた、結婚した。そして別れた。もうそれだけでも充分にロンリー・ハートであるのに、まだあるのかよジェイク、お前……お前ぇ!
アドリアン、もうだめです。
ジェイクはだめです。
アドリアン、なんでジェイクを忘れられないの。もうやめようよ。でもジェイクじゃないと駄目なんだよね。それももう、充分にわかってるよ……。
そんな風に、もう、とにもかくにもジェイクがつらかった。
アドリアンの相手でいて欲しくなかった。

でも。
なのに。

六巻まで、最後まで読みきってから。
何を一番に誰かと話したくなったかって。

ジェイクの人生の苦しさなんですよ。

ジェイク。お前、人生まるごとつらかったんだな、ってわかったしまった。
ジェイクは最初に、その人生を全部捨てることになる予感するほどにアドリアンを愛しすぎてしまったんだなって知ったから。

もしかしたら傷つけまくられたアドリアンよりもジェイクの傷は深いのかもしれない。
人の、心の傷の比較なんかしても意味はない。比べられるものではない。
けれど、この世で何よりも大切な「自分」を偽って、ゲイであることを隠して生きてきたジェイクの42年間を思ったら。
少なくともアドリアン自身は、そう感じたのだ。
五巻末で、悲しい元刑事のゲイの老人に自分を、そしてジェイクを重ねて
自分の傷ついた三年より、己を否定し続けたジェイクの42年を思ってアドリアンは泣いた。理解した。愛する人の過酷な人生を。

どんなに悔いのないほど多く、男女問わずにモテてセックス経験があったとしても、特殊性癖に溺れたとしても、一瞬で人の心をつかむ美しい俳優とそういう関係にあったとしても。それはどれだけ「心からの安らぎ」とは遠い、虚しいものだったろう。人生の問題に向き合わないための当座の鎮痛剤でしかない。
ケイトとの二年間もまた、人間的尊敬の関係はあっただろうけど幸福だったとは言えないものだったろう。ジェイクを喜ばせた(そしてアドリアンを決定的に傷つけた)子どもの存在はおそらく早々に失われ(初期であったのだろうと推測)。自分から勝手に別れておいたにも関わらず、電話を二度、そして何度もアドリアンの店まで車の中から隠れて顔を見に行っている。そこにガイがほとんど住んでいるという事実まで知りながら。
新婚の期間にそんな行為をする者が心がしあわせで満たされているわけがない。

そのことを五巻のラストでアドリアンも知り、読者も知る。それを読んだときにようやく、ジェイクへの怒りに溜飲を下げた。
この作品を読んでる者はほとんど、アドリアンと共に生活をしたような気持ちになり、彼に寄り添ってしまう。ファンであり家族であり、彼のしあわせこそを祈ってしまう。
その彼を。失意のどん底に落とし、二年間自分の一番大事な部分に蓋をしてしまうくらいに傷つけてしまったジェイクを、許すことなんてなかなかできなかった。
けど。
電話したんだ、と。
ガイに見られたことにも気づきながらも、それでも何度も見に行ってしまったのだと。
イカれた殺人鬼との虚しい関係を復活させちゃうくらい、悪魔的性格に無意識に絡め取られてしまうくらいに弱っていたのだと。鉄壁のクローゼットの中にいたジェイクが、酒にもほとんど酔った描写のないジェイクが、精神的に弱り、酒に酔い、イカれた殺人鬼にアドリアンのことを喋ってしまうくらいに追い詰められてしまっていたのだと。

五巻で、最終的にジェイクは本当にすべてを失っていた。
誇りとしていた職業も、その順調なキャリアも、愛する家族も、長く住んだ家も、子どもも妻も、積み上げてきたストレートとしての人生も。
喪失、失意、それに伴う痛み、社会と周囲からの攻撃。
そして、アドリアンと友だちでさえいられない。二度目のチャンスなんてないのだと。心と身体がようやくつながったと思った直後に、さよならだと言われて。
あぁもう。
許そう。
ジェイクお前……クズどころかほんと、地獄に落ちろって思ったけど。
地獄だったんだな。
42年間もだし、結婚して、アドリアンの命を乞うて、助けた後もさらなる煉獄だったのだなと。
けどさ。
きっとそこで全部燃やして、失って。
やっとジェイクは「自分」でいれるようになったんだよね。
アドリアンにしつこく迫ってさらに傷つけるんじゃなくて、離れた方がいいと遠くへ行く道を選べるくらいに。アドリアンを諦めれるくらいに。
ようやく。

自分じゃなくって、愛する人アドリアンのしあわせを優先できるようになったんだよね。

画像4

それから六巻になった頃には。
自分の行動が相手にどんな衝撃を与えるかわかってなかった傲慢なジェイクが、どんなにもアドリアンを傷つけたかとやっとわかって、罪悪感に責められ続けていることを知る。
アドリアンが死ぬ夢を何度も見て、うなされて、叫びながら起きて。それこそ死ぬような思いを味わい続けていることも。まだ、トラウマから抜けきれていないことも。
自分が自分である(ゲイである)ことを隠していたせいで、その弱味を悪意をもった者に握られたせいで、アドリアンを死なせてしまいかけたことへの罪を抱え続けている。
そうしてアドリアンを想い続け、アドリアンにさよならだと言われ、無理だと言われて。ジェイクもどん底に傷ついてたのだ。
ようやく、ようやく。
アドリアンの強火な母親となった一読者は許すことができた。
それこそリサのように「アドリアンのジェイク」と呼べるようになった。
アドリアンの家族もまた五巻ラストまでのジェイクだとアドリアンがしあわせになれないと見てとっていた(そう、他人にはよく見えるのだ、特に愛する人のしあわせを願うなら特に)。けど、クリスマスの頃には、ジェイクが変わったことがわかり、許し、受け入れたのだもの。

六巻まで読んで、ようやくわかったのだ。
このセリフが物語る。

「二人でどれほど遠くまで旅してきたものか」

二人が出会ってからの時間だけじゃなく、それぞれの生きてきた分も重ねて。二人の心と魂の旅の物語だったんだ。
五巻と六巻はジェイクの解放と贖罪の物語でもあり、四巻まではそれに至る試練だと言える。

全六巻を読んではじめて、交錯し続けた二人の旅、二人の愛の軌跡が見渡せる。

終盤、セックスにおいてジェイクがボトム役をすることもまた、ただの性的嗜好描写ではない。
マッチョイズムにがんじがらめにされたカトリックなジェイクにとって、それがどれだけの積み上げてきた自分を否定する行為なのだろう。受け入れる側になることは、呪縛からの解放の儀式のように感じた。そして、愛の証明。
ジェイクは、このことをずっと前から考えていたと言う。アドリアンにしてほしいのだ、と。
アドリアンは

「(俺への愛を)お前は何も証明する必要がないんだよ」

とジェイクに言う。
このセリフは二巻のジェイクのセリフへの返答にもなっている。
炭鉱の中へ無謀なる勇気を持って一人降りて行き、またそうしようとするアドリアンへジェイクは言う。

「お前は、自分がどれだけタフで何でもできるか、俺に証明する必要はひとつもないんだ。いいか?お前は充分、タフでたよりになる男だ。よくわかってるよ」

まさに、男はつらいよ、だ。
アドリアンでさえ「強い男であることを証明しなければならない」呪縛があるのだ。だからこそ身体の弱い自分に複雑なコンプレックスを持つし、そのことをただ心配するリサの言動にも弱点を指摘され続けるような疲弊を感じる。
社会的に強者として生きてきたジェイク、弱者だと思ってきたアドリアン。二人はトップとボトムを入れ替えることで解放し、癒やす。愛を確認しながら。

海外BLにはリバ(性的役割を交代する行為)が多いと聞いていたが、こういう理由かと感じた。他の作品でもリバは愛の証明の要素として描かれていた。もしかしたら日本よりもマッチョイズムが強いアメリカの方が、そういうことに重きが置かれるのかもしれない。

思い返せば。そもそもジェイクは一巻で既に、警察という職を失う可能性を知りながら、それでもアドリアンを犯し、殺そうとした犯人を銃殺したのだ。
嫉妬と愛と怒りで。
忠実なる公僕、自らの誇り(=人生)仕事を捨てるほどの強い感情で。
そもそもジェイクは、アドリアンに出会ってすぐに、アドリアンが自分の人生を投げ売ってしまうくらいの大きな存在になる予感を感じ、惹かれてしまっているのだ。

そして、一歩一歩アドリアンに近づいていったのはジェイクの方なのである。

案外、アドリアンのジェイクに対する気持ちの方が最初は軽い。単なる「好みのタイプ」。アドリアンは何故か権威的なマッチョイズム的な風貌の男性が好みなのである。けれど、どうやらあまり良くない相手である気配がして少し及び腰ではある。
けれど最初のセックスを経て、どんどん惹かれてしまうのだ。どうしようもなく。

「俺には、何も約束できない。お前に何もやれるものがない」


アドリアンはそんなことを最初から言う、どうしようもないクズ男のジェイクを愛してしまうのだ。

けれど、そのアドリアンの愛が。ジェイクの愛が。
「俺はタフでたよりになる強い男なんだ。ましてやホモでは決してないのだ」という呪縛を解くのだ。
結果的にアドリアンは傷つきながらも待ち、受け入れた。ジェイクはすべてを捨てて、アドリアンに跪く。

出会ってからずっと、傷つけあいながらも愛しあっているという行為によって、それは成された。

最終的にジェイクは泣くし、ボトムになるし、嫉妬も弱音も見せる。
クローゼットから出てゲイであると公表し、社会的地位も捨てただけじゃなく。精神的にも柔軟になり、他人に弱いところも見せれるようになった。

そう、それこそがマッチョイズムという「男らしさ」の呪縛からの、本当の解放なのだろう。

ジェイクの変化、呪縛からの解放の過程は繊細に丁寧に描かれていく。

ジェイクは数多の試練を乗り越えてアドリアンと安定した関係になってからも、まるでPTSDのように恐怖に怯える時がある。自らの失敗が許されることはなく、アドリアンを失うのかもしれないと。アドリアンを大切にしなかったことを、最初のチャンスをダメにしたことを、まだ、悔いている。

画像5

五巻ですべてを失ったジェイクが再びアドリアンに近づいた時、アドリアンは

「お前の心変わりの『可能性』にはもう耐えられない(またお前を失うなんてことは想像もしたくない)」

とまだ来ぬ未来の不安を理由に拒否をする。ジェイクはその時、その言葉を否定できなかった。
けれど六巻で。
死が二人を分かつまでは気持ちが変わらないと言葉にしてアドリアンに伝えるようになる。
やっと、愛する気持ちが安らいだのだ。打ち解けて、二人での平穏な日々を、なんでもない二人だけの夜を過ごすようになって、ようやく。
なんなら「死後の世界まで」とゴリゴリのカトリックで育ったジェイクが言いそうにないセリフまで吐き出して。

しかも最後の最後にプロポーズ。
猫も犬もいて。高級住宅街のテューダー様式のプール付のお家まで付いて。アメリカ人が絵に描くようなしあわせを、結局つかむのだ。
もう、笑ってしまうくらい陳腐なラストじゃないの。
だけど、ここまで焦らしに焦らしてきた込み入った人間関係や社会問題を絡めた殺人事件、ホモフォビアや社会事情を描いてきての、ザ・ハッピーエンドなラストには拍手喝采してしまう。
アドリアンとジェイクがBoy Meets Boyを果たしてから三年。
ひと目会って運命の相手だと思った時から、いくつもの殺人事件を手を組んで、それこそ命をかけて解決して。喧嘩しながらも息の合うバディとしてミッションをくぐりぬけ、関係性を深め。そして深く傷つけあって。
あくまでも「アドリアンはジェイクを傷つけてない」のだけど、ジェイクにとってはアドリアンの存在そのものが人生の驚異で。それは、今まで出会ったことがないほど深く深く愛してしまう予感と、それによって、築きあげたすべてを失ってしまう恐怖に満ちた存在で。そして実際そのとおりになり。
ジェイクは満身創痍になりながらも、本当の自分を取り戻した。
アドリアンを愛することで。

本当に人を愛するって、怖いことでもあるのだ。

繊細に描かれる変化はもちろんジェイクだけでなくすべてに対してで。二人の関係性も、五巻の最後や六巻まで行くと、口喧嘩も最悪なところまではいかないよう一歩手前でとどめるようになってる。関係が進んで、相手への理解が深まってるんだよね。
それに、柔らかくなった二人の空気。もう、言ってはいけない、話してはいけないことがある緊張感がないから。それがずっとずっとあって「安心する存在」にまで打ち解けずにいたんだもの。

それでも、最後の巻でも、二人の関係はまだ終わりじゃないし、まだまだ安定していない。傷は癒えきっていない。二人だけの夜も、なにげない時間も、薄氷を踏むように関係性を育んでいく最初のステップなのだと二人共が自覚している。
そうやってこれからも続いていくのだと感じさせて、物語は終わる。
アドリアンらしい、最高のセリフで〆られて。
プロポーズの返答に、これほどアドリアンがアドリアンである完璧なセリフがあるだろうか。

ブラボー。

画像6

(最後の最後、六巻でようやくふたりとも向き合って笑うんだよ)

さて。
ここから先は、まとめきれない細かな感想をつぶやかせてください。

・ジェイクのファーストキスはアドリアンだし、初めてのボトム(ジェイク言うところのキャッチャー)もアドリアン

こうやってツボを抑えてくるもんだから、そんなにもアドリアンに「俺のはじめて」を捧げたいのかよジェイク。なら、もう、許してやろう!ってなっちゃうよ。
(五巻から先は、読者がジェイクを許していく物語なのだ)

・アロンゾというフォモフィビアはもしかして潜在的ゲイなのか?

もしくはなにか社会的抑圧を受けて鬱屈している人。これはジェイクの鏡面でもある、マッチョイズムの犠牲者。

・ガイこそかわいそう

年下彼氏は本当に庇護欲なのだろうし、インテリである彼は頭の良いアドリアンとの交流こそ楽しかったろうし愛していたと思う。アドリアンのために身の危険を犯して行動してくれるし。ジェイクがまだまだクソ野郎だったとき、ガイと穏やかにしあわせになりなよアドリアンって本気で思ったくらいですよ。
無自覚モテなアドリアンは割と罪作りで、それにガイもジェイクも翻弄されたんだよね。

・ケヴィンとアイヴァーはアドリアンとジェイクの鏡面

ゲイであることを片方の家族は受け入れ、片方は拒否をする。家族に会わせたいと言われなかったと拗ねるケヴィンと、ジェイクの家族から招待を受けたとは言え、キツいことがわかってる場にジェイクのために自ら行って社交的に振る舞うアドリアン。愛し合ってるけど傷つけあってしまう若い二人に、かつてのアドリアンとジェイクを見る。長い旅路の果てに、相手のために行動できるようになった二人の成長が見える対比が美しい。

・アドリアンの徹底したウィットトーク

なんせ。
ジェイクが

「お前と出会ったときに自分の世界が変わるとわかった」

と一世一代の告白をしてるのに

「俺も似たように思ってた。人生が変わると。逮捕と懲役に関してだけど」

と皮肉るのだ。心の中でだけど。甘くなってもいいシーンなのに。でもそこが好きだよアドリアン。
さらに。
物語中でも一位二位を争うくらいの名場面。ジェイクがアドリアンに

「お前は人生で乞うたことがあるのか」

と問う、大事な大事な会話ですら

「倒錯的な話?前に読んだ小説に出てきた、絹のスカーフと羽根なら試してみてもいい」

なんて言うのだよアドリアンは。これは口に出して。そこはさすがに茶化すとこじゃなかったでしょ!ってなる。大好きだよ。

・一番の難関だったジェイクの家族もまた、歩み「よろう」としている

完全ハッピーエンド、何もかも解決、じゃなくくて。例え時間がかかっても、理解することはできなくても、完全には受け入れられなくても。愛するもののために努力していこうという途中描写にしてるのがいい。ジェイク家族も、ジェイク自身も、アドリアンも。

・病気の人、その回復期の描写がすごい

体調悪いと、誰だって気鬱や弱気とかになるでしょ。そしてちょっとづつ回復していくと、心も回復していくの。その実感がものすごくて。五巻がすごかったのは、アドリアンの体調の回復と、二人の関係性の回復が同時進行なんだもの。なんて巧みなんだジョシュ・ラニヨン。
この感想の中で何度も「心臓が痛い、止まる」って書いてるけど、その情感へどっぷり感情移入させられてしまうので読者もアドリアンみたいに心臓に問題を抱えてしまうんだよ。

・思い(愛)があるセックスだから最高なのだとわかってるアドリアンと、スペシャルテクニックのおかげだと思ってるジェイク

悔いがないくらい男女ともにめちゃくちゃセックスしてきたのにな、ジェイク。
人生ではじめて愛する人とのセックスをしたジェイクを、許さないではいられないよね。ここでも「俺のはじめて」はアドリアンなんだね。

・リサもナタリーも最初苦手だった

リサは鬱陶しいおせっかい焼きの母親くらいに思ってたのに。彼女がいなかったらアドリアンはアドリアンでなかったし、最終的に、彼女がいつだってアドリアンを愛し心配する気持ちを共にするようになった。
ナタリーもめんどくさいあつっくるしい子とさえ思ってたのに、彼女がいることでアドリアンもなんとか健康を保てて書店をいい方向にもっていけていて。彼女のまっすぐな愛し方がアドリアンの人生を豊かにしているようにも思う。
リサの再婚によって、アドリアンは最愛の姪っ子を得るし、ジェイクもまたナタリーの子どもを通して、保護者という立場を得るだろう。もしかしたら二人に養子という選択肢だって持ち上がるかもしれない、という未来だって見える。子どもが好きなジェイクの心が満ちますようにと願う。

彼女たちだけでなく、本当に魅力的な登場人物ばかりだ。
あとがきで三浦しをんが書いてたように美容師のパオロも、アドリアンの良き友人だったクロードももっと出てきて欲しかった。ミステリーライターのグループの面々もファニーだし、後にチャンが加わり、アドリアンとジェイクとの仲や探偵ごっこに一役買うのもジョシュ・ラニヨンのストーリーテーリングの妙である。

一冊ごとにゆれる二人の関係を表紙絵にしてくれた草間さかえさん、するすると読みやすく軽快な日本語に翻訳してくれる冬斗亜紀さんも素晴らしいです。
ジョシュ・ラニヨンの作品を日本出版してくれた新書館のモノクローム・ロマンス文庫にも感謝。

おわりに。
五巻と六巻を読み返しながら気づいたことがある。
「この二人は今ちゃんとしあわせだから大丈夫だよ」
このことを。再読することで繰り返し自分に教えてあげて、心がようやく回復していったのだ。
『残酷な神が支配する』の最後の三冊を繰り返し読んだのも同じ理由だったのだ。

『アドリアン・イングリッシュ』もっとたくさんの方に読まれて欲しい。
どっぷり六冊。たかが六冊。
読み終わり、大きな物語を、誰かの人生を追体験したような満足感と放心に身を包まれた。

読書って、ほんっと素晴らしいですね。

よろしければサポートをお願いします!いただいたサポートは、創作物の購入に使わせていただき、感想を書いていくのに役立てます。