自分の世界と表現力
「男には 自分の世界がある たとえるなら 空をかける ひとすじの流れ星」 国民的怪盗アニメのテーマの一節。高校野球等でもおなじみの有名なフレーズ。とはいえ男ならずとも老若男女誰しも自分の世界は持っている。そしてnoteには,あるいはnote以外の場所でも,その自分の世界をみな思い思いの形で世に送り出している。
ある者は文章で。
ある者は音楽で。
あるいは描くことで。
さらには映像,彫刻など。
その中には日本中を,あるいは世界をも虜にするようなものから,こうして私が書いているような数少ない人の目にしか触れないものもある。その影響度による貴賤はないと思うし,ある人の人生を変えたのはほんの些細な一言だったなんてよくある話だ。何はともあれこれを読んでいる人に感謝を。
私には表現してみたい世界はたくさんある。それは夏休み前の放課後のようなけだるさと高揚感が染み出す空気や,荒廃した街で煙草を吹かすような孤独感や,人の苦悩やそのカタルシスの瞬間など,まあいろいろだ。
この世界たちは私の文章の表現力では表しきれない。私は文章を書くことについて特別学んだわけではない。だから私は気に入った表現を紹介することが多い。それは紛れもなく私が表現したい世界の一部なのだから。
仮に私が相応の文章力を有していたとしても,その世界たちを表現するには文章だけでは足りないのかもしれない。あるいは絵や音楽,映像などを駆使しても満足できるとは限らない。たとえそれが可能だとしても私には絵や音楽の学がない。自分の世界が表現できるようになるころにはその世界はすっかり色あせていた,なんてことになりかねない。
そういった意味で文章はその世界をその刹那に表現できるという稀有なツールなのかもしれない。だから私は不完全なままでも思ったこと,感じたこと,気に入ったもの,を書き留めたいと思う。これらも紛れもなく私が表現したい世界の一部なのだから。
忘れないように。
思い出せるように。
閉じ込めて。
名を与えて。
この行為を重ねていきたいと思っている。書き留め続ければ何らかの形で現れるかもしれない。
表現したかった世界が。
空気が。
手触りが。
もしそれが叶わなかったとしてもそれはそれで満更ではない。私は表現で生計を立てているわけではないし,何より私が書いた自分好みの文章が出来上がるのはそれなりに楽しい。それが私が文章を書く理由。
遠くを見て悩んで。
できあがりを喜んで。
当分はこの繰り返しなんだろう。それで構わない。
以上,お納めください。
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