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長野プチ旅②:クマが怖くて善光寺、感謝の念と不便さと

前回からの続き。

長野市にある地附山公園を散策した後、長野駅前のホテルにチェックイン。
一息ついていた私のスマホのアラートが鳴る。

長野市からの緊急情報。

今日行こうと思っていた戸隠でクマが出たとの情報だ。
その後も立て続けに、長野市内でのクマ目撃情報がスマホに入ってくる。
長野市ではクマアラートは当たり前の日常なのか。
ひぇー。今日会わなくて良かったぁ。

明日は曇り時々雨の予報。
戸隠高原に鳥を探しに行こうかなとバスの時間を調べていたが、天気と疲れとクマ情報に、私の探鳥熱がスーッと綺麗に冷める。
今回は戸隠を諦め、長野まで来たのだから善光寺でもお参りして帰るか。
善光寺は2回目。明日はさらっとお参りして、御朱印をいただこう。

地ビールで乾杯

大浴場にゆっくり浸かった後、ホテルの部屋でよく冷えた地ビールを飲みながらのんびり過ごす。
今日はとりあえず、貯まった疲労を睡眠で回復させよう。
早めにベッドにもぐりこむ。

翌朝、長野駅からバスで善光寺を目指す。
善光寺は約1400年前に創建され、阿弥陀如来さまとの結縁の場として、また人々の心の拠り所として日本中から広く信仰を得ている。
特定の宗派に属さない無宗派の寺ではあるが、運営は天台宗と浄土宗の両宗派によって行われているという。
ご本尊の一光三尊阿弥陀如来は、一つの光背の中に三尊(中央に阿弥陀如来、両脇に観世音菩薩、勢至菩薩)が配置された様式で「善光寺式阿弥陀三尊像」とも呼ばれている。
この仏像は絶対秘仏。
1400年以上の間、人の目に触れたことが無いという。
7年に一度の御開帳で出会えるのは、ご本尊の御身代りである「前立本尊」。
どんな秘仏なんだろうと、想像するだけでも楽しい。

仁王門に到着

日の出後に行われる朝の法要後のお数珠頂戴に並ぶ元気は無く、朝9時過ぎに到着。
早朝にも関わらず多くの人で賑わっている。
さすが、日本中から慕われている善光寺。
前回初めて訪れた時に、立派なお寺だと感じたことを思い出しながら境内へ入る。
雨が降ったかと思えば晴れ間が見えたりと、空はせわしない。

前回と異なるのは、境内にお守りなどの授与品を売る授与品処がピカピカに新しくなっていたこと。
多くの観光客が訪れる「勝ち組」寺社が自身の利益を求める姿に、ちょっぴり複雑な思いを覚える。
困っている人に還元するなど、別の形でお金を使う方法が無かったのかなと。

仲見世を抜けて山門に至る。
国宝の本堂。つかの間、日が差す。

本堂は1707年に再建されたもので、築300年を超す国宝だ。
いつ見ても堂々として美しい。
建物の中は撮影禁止。
見えないご本尊に向かい、静かに祈りを捧げる。
堂内はお戒壇巡りに並ぶ人で賑わっている。

お参りを済ませたあと、札所で御朱印をいただく。
さらさらと筆を走らせる様子をありがたく見守る。

美しい字に惚れ惚れする
前回訪れたのは平成31(2019)年の春

本来御朱印は、写経したお経を奉納した証としていただける有り難いものだった。
現在はお参りするだけで貰うことができて助かるが、スタンプラリーのように買い集めている参拝客を見ると複雑な気持ちになる。
善光寺ではお守りなどがネットでも買えるようになっており、直接仏へ祈りを捧げることなくお金で授与品がもらえる時代になったことに違和感を感じる。
何でも金で買える時代、なんだね。

雨の仲見世、来た道を戻る

前回はおいしいおやきを食べたが、今日はまだお腹がすいていない。
明日の仕事に備え、早めに東京へ帰ろう。
バス停に戻る。

バス停前のお店の屋根に鳩瓦
こちらは本物(笑)
長野駅と善光寺を結ぶバス

長野市の交通機関では全国共通の交通系ICカードが使えないことを知らずに訪れた私。
KURURUという長野地域のバス限定のカードしか使えない。
普段東京の生活は、ほぼキャッシュレス。
支払いにSuicaかクレジットカードを使用し、現金を持ち歩く習慣が薄れていたのと、旅行先でもSuicaが使えることが多く小銭を準備するという頭が無かった。
両替機で小銭に替えるのは久しぶり。
2021年に新硬貨となった500円玉を未だに認識しない、古い両替機。
何度も新硬貨を両替しようとして拒絶されている私に、運転手さんが「新硬貨が使えないんです」と申し訳なさそうに声をかけてくれる。
頻繁に両替機を交換するコストを抑え、来週新札に変わるタイミングで両替機を交換するのかな。
1000円札を両替機に入れ、小銭で支払う。
運転手さんへの「ありがとう」という気持ちと共に。

JR在来線もICカードが使えない

そういえば、熊本のバスが交通系ICカードを廃止するとニュースで聞いた。
利益が多くない地方の公共交通機関にとって、ICカードリーダーの導入や更新の費用負担が大きいことは容易に想像がつく。
当たり前に使っている文明の利器。
便利さの追求の裏には代償が存在するということを私たちは忘れがちだ。
本来は公共交通機関自身に使われるべき運賃収入が、便利さの追求に消費されていく。
公共交通機関に限らず、他の分野でも同様の現象が起きているんだろうな。
キャッシュレス決済は楽だが、いくら払ったか無頓着になりがち。
サービスに対するありがたみや感謝の念も減るように思う。
現金での支払いは不便なことが多いが、本来あるべき「感謝」や「お礼の気持ち」を思い出させてくれる。

バスに揺られながら、こんなことを考えていた私。
長野にいると、不便を楽しむ心の余裕がよみがえる気がする。
今から戻る東京は、あくせくしたせわしない街。
心の余裕が奪われがちだ。
感謝の念を忘れず、不便さを楽しめるよう、心の保養に時々は長野を訪れたいと思った今回の旅だった。

自分へのお土産たち

お土産用のお蕎麦や野沢菜はどれもファミリーサイズ。
おひとりさま向けのサイズがあれば良いのにと思いながら、長期保存できる漬物をチョイス。
しばらくは漬物を買わなくて済みそうだ。

帰りの新幹線が来た
新幹線を待っている間も、長野市からクマ情報が流れてきました

長野の皆さま、
どうかクマに気を付けて。
今度はクマが冬眠する季節に来よう。
長野をあとにする。