ハンナ・アーレント「人間の条件」②観照と活動
さてさて前回はいかにハンナ・アーレントが具体例を嫌う人種だったかということがわかったが、今回はちょっと優しくなってくれた。
主に古代ギリシャの都市(ポリス)を具体例にあげて、〈活動的生活〉がどのように理解され扱われてきたのかを説明してくれるぞ!
古代ギリシャなんか知るか~~~~~~~!!!!!!!
いやちょっとは知ってるけど誰でも知ってる前提で話すんじゃないよ!
誰もが高校で世界史を選択しているわけじゃないと思うんですけど!?
■古代において【活動的生活】とは【政治的生活】だった
アリストテレスは生活を3つに区分した、というところからアーレントさんは話し始める。
①肉体の快楽を享受する生活
②ポリスの問題に捧げられる生活
③永遠なる事物の探求と観照に捧げられる生活
この区分の特徴は、奴隷、女性や子供などの家事労働者、商人や職人などの
労働や仕事を考慮したものではない、ということだという。
アリストテレスら哲学者のいうポリスでの「生活」とは「自由に選ばれた政治組織形態」を意味しており、「自治的で真に人間的な生活様式」を形成しない人々の活動力は人間の必要や欲望への奉仕であり、自由であり得ない。つまり、【活動的生活】の外部にあるものと考えていたのだそうだ。
ここでの【活動的生活】とは【政治的生活】のことであり、さらにいえばこれは人間事象の領域だけを示す。人間領域の事象を維持するのに必要な活動力は他者とのあいだで成立する【活動】だけであり、アリストテレスはこの【活動】を強調した。
昔の哲学者というかポリスの政治参加するひとたちは自由が大好きだったんだね。家帰って子供の面倒ちゃんと見ろ。
■【観照的生活】がヒエラルキーの頂点に
その後大きな転換がある。
ポリスの生活をよくしようと頭を捻り続けた哲学者たちは、ポリスの生活をユートピア的に再組織しようと考えたのだ。
但し、ここでの「よりよい生活の再組織」とはもちろん「哲学者の理想の生活様式の樹立」にほかならない。
そこで哲学者たちは、【観照】を理想とした哲学的脱政治を考える。
観照とはなにかというと、ひとことでいえば「真理の探究」のことらしい。アリストテレス曰く、人間の真の幸福とは神との一致であり、神という世界のすべて(真理)を直観する存在と人間が同一であらんためにはこの観照こそが生きる上で最も重要だという。詳しいことはアリストテレスの「二コマコス倫理学」に書いてある。
【観照的生活】が入ってきてしまったからさあ大変だ。
いままででかい顔をしていた【活動】(政治的生活)は下位の活動力と同一のものとなってしまった。
つまり、真理を知ろうとする活動(=観照的活動)の前では、政治もその他の奴隷や商人などの労働や仕事と同様、【観照的生活】のための「必要」の一部に成り下がってしまったのだ。
ハンナ・アーレントはこう述べる。
言いたい放題である。
図にするとこんな感じである。
仕事・労働・活動という活動力は総じて「世界の物事への積極的な関わり」とされることになってしまい、真理の探究である「観照」こそが最も重要とされるようになったのだった。
と、ここまでが哲学の考えてきた伝統的な【生活】のヒエラルキー。
ハンナ・アーレントはここに疑問を抱く。
■本当に生活にヒエラルキーは存在するのだろうか?
以上。
ここまでで32P。
草生えますわ~~~~~~。
一年かかりそう。
読書会は7月の予定です。
ファーーーーーーーーーーーーーーー
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