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傷跡に、触れてはじめて気づくもの

びっくりした。
Podcastで過去のラジオを聞いていた。最近お気に入りの「安住紳一郎の日曜天国」だ。恥ずかしながらこの有名ラジオ番組のことを知ったのは今年に入ってからで、いつの話を聞いても面白いのだけれど、数年越しの企画も多い番組だということもあり、せっかくだからと10年以上昔のものを遡って聞いている。

ちょうど、2011年のあたりを続けて聞いていた時だった。あの日の直後の放送回が流れ出した。あの日、そう、東日本大震災だ。
震災は金曜日だったので、日曜天国は二日後に放送があったようだった。冒頭、安住アナウンサーはリスナーの安否を気遣いながら、各都道府県の被害者数を読み上げていた。
そこまでしか、聞けなかった。
そのことにびっくりした。
驚いているうちに涙が出てきて、止まらなくなった。10年以上経っても自分がまだあの日の恐怖を克服できていないことに初めて気付かされた。

あの日、私は東京都心のビルにいた。仕事中だった。突然の大きな揺れに会議室を飛び出した。壁に備え付けられていた棚には機材がたくさん置かれていて、男性の先輩が慌てて棚を押さえていた。その職業意識の高さと、力のある男性がそばにいることに一瞬安堵を覚えた。揺れがおさまってから会社の仲間たちとビルの外に避難し、しばらくしてビルに戻った。いつもは頼りになる女性の先輩が、震えて立てなくなっていた。営業先に出かけていた同僚の帰りを待ちながら、食い入るように見つめたPCの画面で、テレビで、まるで現実味のない恐ろしい映像が流れていた。
燃える石油コンビナート。津波。千葉から通っていた親しい先輩の怯えた表情。関西に出張していた上司から呑気な電話がかかってきて、同僚が激昂していた。彼女は仙台出身だった。いつも穏やかな彼女の怒った声が今でも忘れられない。

思えば私はあれ以来、地震や自然災害の「被害」を伝えるニュースを無意識に避けて生きてきた。そのせいだろうか、震災当時のラジオを聞くだけで涙が出る。やはりテレビなどまだとても見られない。立ち直れていないのだ。
家も家族も無事だった私でさえこの有り様だ。いわんや、である。

ふと、お盆の時期になると「戦後何周年」と銘打って特番が組まれるけれど、戦中世代の人はどんな気持ちであれを見ているのだろう、と思った。

災害も、戦争も、テロも、怖いことはできるだけないほうがいい。

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