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自己観察から見えたもの 3


自己観察から見えたもの


『自信が持てない、思考の癖』

同時並行しつつエッセイを書き、自分の感情を言語化していく中で、私の中にとある「癖」があることを発見した。
私はすぐ「これで正しいんだろうか」「これで良いんだろうか」「これで間違えていないだろうか」
と考えながら行動をしている。

それは「ちゃんとやらなきゃ」「間違えちゃいけない」そうでなければ「役に立てない、価値がない」という思考からきていると気づいた。
そういう思考は、自分の欲や好奇心からかけ離れた場所にある。そして「ちゃんとやらなきゃ」「間違えちゃいけない」そうでなければ「役に立てない、価値がない」というのは、自分が本当にやりたいものが何なのかが分からなくなる思考だ。
そして、そうやって「これで正しいんだろうか、これで良いんだろうか…」と迷いながら行動している私は、いつも自分に自信がない。

自信が持てない、自信を持って行動できない、「これで間違っていないだろうか」とクヨクヨしてしまう。ちゃんとやらなきゃ、間違えちゃいけない、そうでないと自分に価値がない。そうして、自分に価値がないと思ってしまうとさらに自信が持てなくて… と負のループをぐるぐるしてしまう。どうしても自分1人では抜け出せなかった。

なので、私から見て、この人自信持ってるなー!!すごい自信満々で輝いて見える!!と思う友達に、直接聞いてみることにした。いつもの作業通話のメンバーである。

なぜ、自信を持っていられるのか?
すると、1人の友達は
「私は小さなことで、すぐ自分を褒める!」
と言っていた。「今日も作業通話でみんなを笑わせちゃったぜ~!って良い気になっているよ(笑)」と言っていて、なるほど!と思った。
私は、自分の自信を他人から褒められることに依存していて、そのために頑張ろう!と思っていた。自信を持ってる友人は、自分で自分のことを褒めている人間だった。私は反対に、自分の自信を他人に依存してる人間だ。

そして、もう1人の友達は
「今、自分がここにいる、今ここにいることがまず大正解!!」
と言っていた。
もう、その言葉を聞いて、目から鱗だった。
私は、今、自分がここにいて素晴らしい!自分最高!と口に出して言ったことも、思ったことも、全くなかった。
自分に自信のある人は、今自分がここにいる、というただそれだけのことを自分自身に「とてもすばらしい!!」と声をかけてあげられる人なんだなと思った。

自信があるから自分を褒められるのか、自分を褒められるから自信があるのか。
どちらから発生するかはわからないけれど、今すぐ自分に自信が持てるようにはならないけれど、自分自身を口に出して褒めることはすぐにできそうだったので、
友達からその話を聞いた夜から「自分で自分を褒めよう大作戦!」をしてみることにした。


『自分で自分を褒めよう大作戦!』

もう本当に些細なこと
「子どものお弁当箱を洗って、私ってえらい!」「雨で濡れて臭くなった靴をすぐに洗って、私すごい!」などなど、自分がやっていることを口に出して褒めてみた。
すると、そんな私を見ていた子どもたちが「え?母何やってるの?なんかいつもと違うね?」と反応してきた。最初は訝しそうに見ていたけれど、自分で自分を褒めている私を見て、子どもたちが「そうだよ~!母はすごい!母えらい!母ありがとう!」といつもはかけてくれないような言葉をかけてくれた。
その言葉をかけられて、「お子ちゃんたちもすごい!良いやん!イエーイ!」と子どもたちとニッコニコ笑いながらハイタッチするに至った。
自分で自分を褒めるとなんだか面白おかしくて、テンションが上がって、ふふっと笑えてくる。
楽しそうにしている私を見て子どもたちも「なになに?」と興味津々で寄ってきて、一緒に褒め合ってみんなで面白おかしくなれた。

ただ、自分で自分を口に出して褒めていただけなのに、なんだか知らないうちに家庭の雰囲気までよくなってしまった!
たったそれだけのことで自分も周りも変化して、とても面白い経験だった。

『自分の中から形にして出すこと』

口に出す、ということをしてみて思ったのが、
口に出して発声するというのは、目に見えないけれど形にするということだ。
自分の中にぐるぐる巡る思考や思いは、自分の中にはあるけれど、形にはなっていないし、外にも出ていない。誰からも見えないし感じられない、存在しないものになってしまっている。
自分が願うものは、自分で口に出して、自分で責任を持って行動しないと、誰もやってはくれないし、誰も叶えてはくれない。まして、自分の中だけでぐるぐる巡っている思いを、見えもしないものを、誰が汲んでくれるというのだろうか。
まずは口に出すこと。口に出して形にすることが手っ取り早いのだと思う。
だけれど、そもそも自分は何が欲しいのか、何がやりたいのか、私はその根本がわかっていない。
こうしたいな、こうなりたいな、と願うものこそ欲なのだ。

私は、欲をすぐに打ち消してしまう。願いが思いついた時に「でも、お金がないし」「私がやりたい!だけでやって、それが何になるの」など。
そういうふうに考えていると、だんだんと自分の欲がわからなくなって、感情がわからなくなってくる。
自分がやりたいなと思って、ワクワクしたことも、自分自身がすぐに打ち消してしまうのだから、やりたいのかやりたくないのか、ワクワクしてるのか感情を打ち消して無でいたいのか、相反する自分が内在していて自分自身がよくわからない、という状態だ。

そしてそこに「ちゃんとやらなきゃ、間違えちゃいけない、そうでないと役に立てない、価値がない」という、他人から見て自分自身がどう見えているのか、他人から見て自分自身は役に立ち・価値がある存在なのか?という思考が余計に、私自身がやりたいこと、私自身の欲というものから自分自身を遠ざけているのだと思った。
口に出すために、自分の願いをまずはじっくり自分に聞いてみることが必要だと感じた。

桜林直子さんの自分を知るワークでは、自分は何が好きか・何が嫌いか、それを一つ一つじっくり書く。
それは自分の欲や好奇心に蓋をせず、認めるため、自分が「どうしたいのか」を探し、口に出して叶えていくために必要な過程だった。

そうして、じっくり書き、ワークを進めていく中で、
やはり私がやりたいことは「絵が描きたい」「絵を描いて生活していきたい」というものだった。
それはもう仕事として、自分から望んでいるし、わかっているし行動している。
だけど、その先の「どういう絵が描いていきたいのか?」「絵を描いて生活していくといっても、どんな仕事なのか?」などぼんやりしている部分がある。
もっともっと具体的に「私はこういうことがやりたい!」が見つからないと、口にも出せないし、ただ「絵で仕事がしたいんです!」と言うだけでは、仕事は来ない。
もっともっと、深くまで自分を知る必要があると思った。

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