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これが「そうだった」って、後から気がつくということ

しなやか、という言葉を聞いてなにをイメージするだろう。
辞書によれば「弾力に富んで、よくしなうさま。動作がごつごつしていない様子」を表す形容動詞らしい。

きっと思い出したイメージのそれは人によって異なっていて、 これまでの経験や他者との比較によって生まれた感情なのだと思う。
そう。しなやかだけでなく、ほかの感情も、生まれ持って感じられるものではなく 生きている中で経験や比較から創られて初めて気づくものだ。

わたしは、私の人生において、
メンタルアウト…じゃなかった、メンタルダウンの経験やそれに親しい経験をした人が人生を諦めずに生きられるように、何か自分にできることをしたいと思っている。
それは病歴NGをなくすために働くことかも知れないし、自分自身が長く働くために工夫することかもしれないし、なにか資格をとったり勉強をすることかもしれない。

私にとっての人生でがんばりたいことが、人からみたら「しなやかな考え」だったり「自己実現意欲が高い」だったり、はたまた「何無理を言っているんだか」だったりするのかもしれない。 でもそれはその人の中でのものさしではかった結果だ。

しなやかになりたいと思っても、それは自分のなかのものさしではかったしなやかさ。 ただ自分のやりたいことを叶えるためにがんばって、その結果誰かからしなやかに見えたら、 それがその人にとってそう見えたってだけなんだと思う。


何が言いたいかっていうと、 人によって感じ方は違うから、なりたい自分になれてたら嬉しいし、言われたい言葉を言われたら嬉しいけれど、そうじゃない言葉をかけられてもあくまでもその人の尺度でしかないよってこと。


この前私は「すごくしなやかな考え方だね」って言われて嬉しかったのでした。

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